094 好きの反対は憎しみなのかな
「逃げるな! ここで私と戦えぇっ!」
カラリアの放つ銃弾が、アミの真横を掠めていく。
「絶対に逃しません――
「わたくしの下僕たちよ、あの罪人を食い殺してしまいなさい!」
メアリーの放った砲撃が、キューシーが飛ばす鳥たちが、次々と少女の背中に襲いかかる。
アミは、“よく知る人物から向けられる殺意”という恐怖に怯え、目に涙を浮かべながら、さらに加速した。
靴の裏から生やした車輪を使い、ギュアアッ! と土を巻き上げながら、公園の奥にある森へと突っ込んでいく。
「速度だけなら私が一番早い! けど……けどぉっ……!」
逃げるしかないと理解していても、状況に納得がいかない。
なぜ好きな人に憎まれなければならないのか。
メアリーたちは、明らかにアミをアミ以外の誰かだと認識した上で攻撃している。
そしてこの腕の数字――ごしごしとこすって消そうとしても、歪むことすらない謎の刺青。
「こんなところで死ぬもんか……! 必ず元に戻って、お姉ちゃんとキスするんだからっ!」
胸に目標を抱き、強い決意を刻むアミ。
彼女は腰を落とすと、さらに車輪の回転数をあげ加速し、山の向こうへと消えていった。
◇◇◇
数分後、アミは三人を撒くことに成功した。
彼女は大きな木の幹に背中を預け、肩を上下させながら呼吸を整える。
森の中の空気は澄んでいて、肺を満たすだけでも、爽やかな冷たさが思考をクリアにしていく。
寝起きのぼんやりとした気分など、とうに吹き飛んでいた。
アミは両頬をぺちんと叩くと、表情にも力が入る。
いわゆる戦闘モードというやつだ。
「アルカナとの戦いで大切なのは、まず第一に情報。頭が悪いなりに考えないと、どうして私がこんなことになったのか」
アミの目の前で起きた最大の異変は、やはりエラスティスだろう。
「何で通信端末を持ってたんだろう。戦う前に端末を没収されて、戦う後は誰とも接触できないはずだから……戦いの中で手に入れたってこと?」
戦闘中、村人は避難していたため近づけないはず。
そしてあの場にいたクルスやオックスは、エラスティスに接触する余裕などなかった。
「あとは……そうだ、ディジー! 『
ディジーの言っていた“準備”が、エラスティスに端末を渡すことなら、この状況に陥ってしまった理由も納得できる。
「でも、端末を隠し持ったりできるのかな。カラリアは見逃さない気がする……あ、そっか、渡さなくていいんだ。場所さえ伝えれば!」
だが、それはそれで、新たな問題が生まれる。
ただ置いているだけなら、他者にバレる可能性がある。
つまり地面に埋めるなり、隠しておく必要があるわけだ。
しかし怪しまれているエラスティスが、社員のいる前で地面を掘ったりできるだろうか。
「そもそも、普通はトイレの裏なんかに行ったら怪しむよね……万が一、社員さんが私たちに報告してたら、そのまま首の輪っかを起動してたはずだし……トイレ……入って……窓、かなぁ」
記憶は曖昧だが、トイレの裏には窓があった気がする。
エラスティスは一旦入り口から入り、裏の窓から這いずるように外に出て、そこに隠された携帯端末を入手した。
「うぅーん、だけどそれだと、ディジーはあらかじめ、私たちがここに来ることを知ってたことになる。いつ知ったの? ここに来るのを決めたのは、村での戦いの後だったはずなのに」
考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく。
アミは頭を抱えうなった。
「うーん……うーん……わからなぁーい! 結局、ディジーが仕掛けた罠だってことは変わらないんだから、そういうことにしよう。あいつはエラスティスを使って、私たちを仲間割れさせて……でもそれも、何でなんだろ。『
そしてエラスティス自身、『恋人』の能力は“
弓がなければ能力を使えないとも。
仮にあれが嘘だったとしても――相手の“憎悪”を操るという『恋人』と真逆の特性を操ることができるだろうか?
「恋……憎しむ……真逆……? 確か、アルカナの特性と真逆の力が発動することがあるって、ノーテッドおじさんが言ってたよね。えっと、
様子がおかしかったのは事実だ。
しかし、いくら何でもあの場で立ったまま死んでいたら、アミにだってわかる。
端末越しに何かを聞かされ、かなり強烈なショックを受けていたのはわかったが。
「……やっぱり考えてもわかんないよ。何で? 何でエラスティスの反理現象は発動しちゃったの? でも……これが反理現象なら、エラスティスを殺さないと、私も助からないってことだよね。それははっきりしてる」
ここからエラスティスのいる場所まで、かなり距離は離れている。
しかも、森の中ではメアリーたち三人が、今もアミを探している可能性が高い。
遭遇せずに戻るのはほぼ不可能と言っていいだろう。
「よかった、殺すだけで終わるなら。首輪を使えばいいだけだから」
エラスティスの首には、アミがかけた輪っかがはめ込まれている。
この距離でも絞めて首を飛ばすことは可能だ。
アミはぎゅっと開いた手のひらを握って、魔力を込めた。
しかし手応えがなく、首を傾げる。
「無くなってる……? 壊された? そんな、さっきまであったはずなのに! お姉ちゃんたちが壊しちゃったの!?」
アミは憎悪の対象。
そんな彼女が仕掛けた首輪だ、怪しまれて破壊されてしまったのかもしれない。
「じゃあ、結局は直接殺しにいかないといけない……戦わなきゃ、みんなと……」
アミの握った手が震えていた。
もちろん殺すつもりはない。
けれどアルカナ同士でぶつかりあえば、それは問答無用で殺し合いだ。
殺してしまうかもしれない、殺されてしまうかもしれない。
「やだ……やだよぉ……っ」
アミは、自分みたいな無価値な人間を、命がけで救ってくれたメアリーが大好きだった。
大好きで大好きで、自分も命を賭けていいと思えるぐらい大好きだった。
だけど、実を言うと、今は少し違った。
命を使えるだけで十分だ、そう思っていた頃もあったが――気持ちが大きくなるたびに、欲も膨らんでいく。
残された時間は二十四日。
きっと平民であるアミにとっては、本来あったはずの人生全てを使っても手に入らない、贅沢な時間。
だけど、終わりたくないと思っている。
もっと、ずっとメアリーと一緒にいて、妹として――あるいはそれ以上の存在として、愛してほしいと思っている。
それを失うのが、一番怖いのだ。
矛盾しているかもしれないが――死ぬより怖い。
「キューシーやカラリアとも仲良くなれたのに、こんな場所で終わりたくなんてない……!」
うつむき、両手を強く握りしめる。
すると、右手の甲に浮かび上がる数字が形を変えた。
「六から、五になった? 減ってる? たぶん、こうなってから十分ぐらい経ったはず。それが六個だから、一時間ってこと? やったっ! もしかしたら、それが終わったら魔術が解けるのかも!」
希望を見出し、アミの表情がわずかに明るくなる。
顔の前に手をかざし、“Ⅴ”に変わった数字を見つめ――彼女は気づいた。
「……あれ? まだ寝ぼけてるのかな」
だが、変わらなかった。
「指先が、透けてる……」
慌てて全身を確認するアミ。
すると手だけでなく、脚や体の一部も透け始めていた。
「な、何これっ!? これも『恋人』の反理現象、なの?」
見た目だけでない、存在そのものが薄くなっていく“感覚”があった。
「じゃあこの数字……ゼロになったら、私、消えちゃうってこと? 残り五十分で、エラスティスを殺さなくちゃいけないってことなの!?」
死ですらない。
消滅という、記憶すら残らない終わり。
アミは全身を震わせて、さらに強く恐怖した。
「死んでお姉ちゃんに悲しまれることすらできないなんて、もっとやだよぉ! やらなきゃ。絶対に、エラスティスまでたどり着かなきゃ!」
体の奥底からこみ上げる“怯え”に背中を押され、決意を強くするアミ。
すると彼女は、むき出しのふくらはぎに、わずかにちくりとした痛みを感じた。
「痛っ……何? 虫?」
見れば、小さな蟻にも似た虫が、鋭い顎を肉に突き立て血をにじませているではないか。
さらに、足元からは同じ虫がわらわらと、アミの足に登ってきていた。
すぐさま脚部より車輪を生み出し、回転させ排除する。
「今の、普通の虫じゃなかった。もしかしてっ!」
アミがその場から飛び退くと、彼女を狙う虫の群れは同時に向きを変え、うぞりと地面を這って彼女に迫る。
その数は数千か、数万か――少なくとも、アミの視界に入った地面を全て埋め尽くす程度には大量だった。
そして、群れの奥には金髪の女が立っている。
象徴的なツインロールに、相手を人として見ていないかのような冷たい目つき、そして悪徳貴族のような意地の悪い表情。
当然のことだが、彼女が“敵”に向ける顔を、アミが真正面から見るのは初めてだった。
「キューシー……!」
キューシー・マジョラームが靴で地面を叩けば、その土は全て虫へと変わる。
動物よりもよほど使い勝手がいい上に、相手は“無条件で憎悪の対象”となる今のアミだ。
見た目の悪さなど考えもしていないようだ。
いや、むしろ――悪の令嬢めいた今のキューシーには、可愛らしい動物より、虫を使った下僕の大群のほうが似合っているぐらいかもしれない。
「全力で殺すわ。そのためには、手段なんて選ばない――」
「待ってキューシー! 私、アミだよ! 一緒に旅してたよねっ!」
「わけのわからないことを言わないで! あなたは敵よ。誰よりも憎むべき敵!」
「キューシー……」
「行きなさい、わたくしの下僕たち!」
彼女が手を前に突き出すと、地面を這う虫たちは一斉に飛び上がった。
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