081 少女たちは世界を壊す恋をする
部屋の中央に置かれた大きな漆黒の机。
これが世界だ。
神に選ばれた生徒たちの手によって、黒――すなわち虚無に、少しずつ世界を構成する要素が書き込まれていく。
世界は鮮やかな色を得る。
一方で、別のデスクで作業を続けるメンバーの姿もある。
そちらでは、この世界に生まれる“生命の設計”が行われているらしかった。
メアリーたちの目からは、それは無駄にお金をかけた人形遊びにしか見えない。
しかしヘルメスたちは大真面目に、寝る間も惜しんで世界創造に取り組んだ。
世界の完成が近づくにつれて、彼女たちの肉体にも変化が起きる。
体の一部が人とは異なる形状へ――与えられた名と、その役目に沿った“神”へと変わっていく。
その頃には、周囲の人々が彼女たちを人間扱いせず、神として崇めた。
また、それは少しずつ精神にも変化を及ぼしはじめる。
『……だいぶ変わっちゃった』
寮の部屋にて、マニは寝間着ごしにヘルメスの腹部に触れた。
その下には、ゴツゴツとした硬い感触がある。
『全身が変わるのが楽しみ。もっと早く変わってくれればいいのに』
『でも……これじゃあもう、子供も作れない』
『あはははっ、『
『うん。でも私は、ヘルメスと――』
『『皇帝』、どうしてあたしのことヘルメスって呼ぶの?』
『……』
『あたしは『魔術師』。アルカナ。神。もう人間じゃないんだよ? そんな下等な名前で呼ばないでよ』
『……うん』
マニは自分の腹部に手を当てながら俯いた。
精神の変化は個人差がある。
ヘルメスはそれが早く、マニは遅かった。
マニは大好きな親友が自分を置いて逝ってしまったような気がして、無性に悲しくなった。
結局、その差は埋まることなく、世界は完成に近づいていった。
いつからか神たちは
会話も無い。
それは低俗な人間同士のコミュニケーション手段に過ぎないからだ。
接触も無い。
それは低俗な人間同士のコミュニケーション手段に過ぎないからだ。
ただ、その中で――まだ半端に人であり続けたマニは、嘆き続けた。
彼女が悲しんでも、もうヘルメスが慰めてくれることはない。
その事実が、マニの心をさらに深くえぐり取った。
◇◇◇
「あたし、そろそろ飽きてきちゃったなー」
両手を頭の後ろに置いて、足を投げ出すように歩くディジー。
前を行くメアリーは、振り向きもせずに呆れながら言った。
「少しずつ終わりに向かっている予感はありますから、我慢してください」
「その必要ある? あたしがぶった切れば外に――」
ディジーは青い壁に、
しかし壁は普通の剣と同じように、その刃を弾いた。
「……ちぇっ」
舌打ちするディジー。
メアリーは内心、この壁を剥ぎ取って持って帰りたいと思っていた。
まあ、あの剣で切れないのだから、おそらくは不可能なのだろう。
再び扉をくぐる。
次の部屋には――映像は投影されていなかった。
前の部屋同様に青い壁が四方を覆い、その中央に少女が一人立っている。
『皇帝』――マニだ。
彼女は黒い髪を揺らしてメアリーとディジーのほうを向くと、悲しげに語った。
『最後までこのイースターエッグに記録しておくつもりだったけど、緊急事態で時間が無くなったから、最後は言葉だけ残しておくね』
「えー、最後の最後で手抜きぃ?」
「緊急事態って何が起きたんでしょうね」
『神々は、世界が完成したら肉体を捨てて、文字通りの“神”としてその世界に降臨する。けど、私たちの世界は完成前に“ある事件”が起きて、未完成のまま降臨しないといけなくなった』
おそらく実際の姿は、すでに人とは違うものに成り果てているだろう。
それでもなお、マニは人の精神を持ち続けていた。
『私以外のみんなは……ヘルメスも、今ごろミティスと――『
「やはり、『世界』もそこに……」
『私も早くいかないと、さすがに怒られるかも。別にそれで消されたって、もうヘルメスはいないから、どうでもいいんだけど』
それはおそらく、幸せなことではない。
神への変質は、与えられたその役目を全うするには、人としての価値観など邪魔なだけだ。
『私、本当のことを言うと、世界創造を台無しにしようとしたミティスの気持ちがよくわかるんだ。私だってそう。こんなおもちゃみたいな世界に大切な人を奪われるなら、壊してしまえばいいって、何度も思った』
だから、マニのその言葉も、本来なら許されるものではない。
聞かれればすぐに神失格となり、補欠と入れ替わっていただろう。
もっとも――その補欠が、今まさに大暴れしているわけだが。
『でも私は臆病だから、結局、何もできなかったんだ。目の前で、人間じゃなくなっていくヘルメスを見て、言葉で繋ぎ止めるどころか、何も言えなくて――』
マニは唇を噛み、言葉をつまらせる。
それを見たディジーは、落ち着きのない様子で右手の爪をカチカチと鳴らした。
メアリーはそれを横目で見て訝しんだ。
『そんな私は、今からすごく卑怯なことをします。ううん、とっくに卑怯かな。この遺跡の形とか、場所とか、前に二人で旅行に行ったとこ、そのままの形にしちゃったから。ヘルメスなら気づいてくれるかな、って。まあ、ぜんぜん気づいてくれなかったけど』
それは、人間としてのマニが残す最後の言葉。
言えなければ後悔する。
けれど神になれば、その後悔すら霧散する。
『この空間に入れるのは『魔術師』の力を宿した命だけ。だから、何かの奇跡が起きて、もし誰かがここに来たのなら。そこに、わずかでもいいからヘルメスの欠片があるのなら、聞いてほしい』
そんなもの、死よりもずっと惨めだから――卑怯だとわかっていても、残すしかなかった。
『私、ヘルメスのことが好きだった。友達としてではなく、恋人として』
ずっと心のなかに封じてきた言葉。
彼女がヘルメスと出会ったのは、おそらく学園に入ってからだ。
一年か、二年か――ルームメイトとして過ごした間に育んだ、人生を賭してもいいと思えるほどの恋は、神の手により阻まれた。
喪失の瞬間、好きになった分だけ、心は傷つく。
愛情が深ければ深いほど、それは取り返しのつかない傷となる――
『あなたとキスがしたかった。あなたに抱かれたかった。あなたの子供がほしかった。たとえ、神になれなくたって――そっちのほうが、ずっとよかった』
誰かの当たり前は、誰かの非常識だから。
選ばれなければ成就していたであろう願いは、もはやはるか遠く。
手を伸ばしても届かない場所にある。
『……きっとこれを見ている人は、こんなことを言われても困るだろうけど。ごめんなさい、自己満足に巻き込んで』
最期にマニはそう言って、映像の記録を打ち切った。
姿が消える。
扉が開く。
その向こうから空気の流れとともに、土の匂いが香ってきた。
どうやら出口のようだ。
しかし、ディジーはその場で立ち止まったまま動こうとはしなかった。
メアリーは皮肉を口にする。
「驚きました。あなたに、他者の過去を自分と重ね合わせるような情緒があっただなんて」
「……はははっ、何を見て言っているのかなあ」
「仮面で覆ったところで、流れる雫までは隠しきれませんよ」
「……」
「正直、そんなものを見せられても、私には不愉快なだけですが」
「ひどいこと言うなあ」
「だったら自分たちの行いを顧みてはどうです?」
「そんなもの、メアリーだってそうじゃないか。あたしたちは同類だよ。同じ人殺し」
こぼれる雫を誤魔化すように、賢しい言葉で挑発するディジー。
彼女はメアリーのほうを向くと、さらに不快な言葉を続けた。
「あたしたちは生まれてくるべきじゃなかった」
「一緒にしないでください」
「一緒だよ。誰も、あたしがあたしであることを望んじゃいない。メアリーだってそうじゃないか。器が生まれることを望む者はいても、“メアリー・プルシェリマ”を望む者は誰もいなかった」
「お姉様がいます!」
「失われた命さ」
「カラリアさんが、キューシーさんが、アミちゃんがいますッ!」
「これから失われる命じゃないか」
「――ッ、いい加減にしてくださいっ!」
メアリーは殺すつもりで、腕から生やしたブレードでディジーに斬りかかった。
ディジーは軽くバックステップで避ける。
すると切っ先がわずかに仮面に引っかかり、その素顔があらわになった。
「なっ……その顔、は……」
フランシスに似た口。鼻。輪郭。耳の形。
髪の色だって美しい金色だ。
だが――彼女の顔には、無数の“目”があった。
パーツは美しいのに、そのいくつもの目が、化物のようにぎょろりと開いている。
ディジーはそんな自分の醜い顔を撫でながら言った。
「あたしはベータタイプの中でもフランシスに一番似てたから、こうなった。こう
要するに――彼女は、愛好家の貴族にその醜い顔を押し付けられたのだ。
フランシスの瞳を
何よりも醜い人の心が、その顔を作り出した。
「こんなあたしでも、愛してくれる人はいたよ? けどね、望まれなかった命が、誰かに望まれたとき――それは“歪み”になるんだよ。その優しい誰かは、いつかあたしたち生み出した歪みに飲み込まれて、死んでしまう」
「そんな……そんな都合の悪い偶然を、まるで運命のように言わないでください!」
「繰り返して言う。あたしたちは生まれるべきじゃなかった。生きれば生きるだけ苦痛に苛まれるだけだ。滅びなければならない、消えなければならない。けど、そんなの嫌に決まってるから――」
ディジーはメアリーの主張など聞いていない。
彼女の価値観はもう決定づけられているのだ。
誰が介入しようとも、形が変わる余地など無いのである。
その上で、ディジーは一つの結論を出す。
「世界を巻き込むのさ」
彼女は笑う。
惨めな道化として。
「あたしだって生まれたいと望んだわけじゃない。そのくせ、
「本気で……世界を滅ぼすつもりなんですか。お父様も、本気でそんなことを考えているんですか!?」
「『世界』にはその力がある」
「止めてみせます」
「無理だよ」
「私は、この身が何であろうと諦めるつもりはありません。復讐は果たします。みんなと一緒に生き延びてみせます!」
「もう絶対に覆せないとしても? どうあっても世界は滅ぶとしても? いや――
「そんなもの、認められるはずないじゃないですか!」
メアリーの声が空間に響き渡る。
それは出口を通して外にまで伝わり――ちょうど、階段を降りてきたカラリアは返事をするように大声をあげる。
「メアリー、大丈夫かっ!」
彼女を先頭にして、アミとキューシーも遺跡に入ってきた。
ディジーが振り返ると、三人は仮面の下の素顔に驚く。
そんなリアクションにも興味はないようで、ディジーはすっかり冷めた様子で言い放った。
「……そっか。夢見がちなのか頑固なのかわからないけど、だったらせいぜい頑張ってみなよ。どうせそのうち――あたしが正しかったってわかると思うけど」
お手本のような捨て台詞と共に、彼女は杖を握って消えた。
「今のは『魔術師』……逃げたのか?」
「お姉ちゃん、怪我はない!?」
アミが駆け寄ってくると、メアリーはうっすら微笑んだ。
「ええ、問題ありません」
「顔色あんま良くないわよ。何かされたんじゃないの?」
「大丈夫です、この中では……戦ってませんから」
何だかんだで、停戦協定は最後まで守られたわけだ。
むしろ、メアリーが一度破ってしまった。
「何があった」
「なんと説明するべきか……遺跡に、神話を聞かされました、でいいんでしょうか」
「神話?」
「詳しくは車に戻ってから話します」
敵はすでにこちらの位置を把握している。
まずはここから離れたかった。
メアリーたちは車に戻ると、早々に出発する。
その車の中で、先ほど起きた出来事を説明するも、カラリアたちは首をかしげるばかり。
当然だろう、メアリーだってまだ頭の中で消化しきれていない。
ただ――
(『世界』以外にも、この世界の滅びを望むアルカナがいる……)
たぶんこの世界は、最初から呪われている。
生みの親が、我が子に死ねと願う。
まるでメアリーのようだ。
だから、ディジーたちの言う“世界滅亡”という言葉は、決して大げさではなく――文字通り、この世界を消し去ることを意味しているのだろう。
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