080 誰も知らない日記帳
「いたたた……」
落下したメアリーは、
「ここは一体……」
八方を青い水晶のような壁に囲まれた、真四角の部屋。
確かに彼女は上から落ちてきたはずなのに、見上げてもあるものは天井だけ。
部屋には装飾品らしいものもなく、前方には扉のような板が一つ。
近づこうとしたところで――
「よっと。へー、中はこうなってるんだ」
ディジーが部屋に現れる。
メアリーは声を聴くと、反射的にブレードで彼女に切りかかった。
「おっとぉ!? 油断ならないねェ、メアリー!」
「こんな場所に閉じ込めるなんて悪趣味ですね」
「あたしだって知らないよ、こんな場所」
「嘘をつかないでくださいッ!」
「嘘じゃあない。本当に本当さ。おそらくここは、ミュンベー遺跡の一部だろうねえ」
「遺跡の調査はほとんど終わっています。これだけ完全な状態で残っている建造物があれば、とっくに報告されているはずです!」
「そうは言われても、あったんだから仕方ないじゃないか。誰も開けなかった扉を、あたしの
銀色の剣を手にするディジー。
その刃は、あらゆる物質を無条件で断ち切る。
「とんだ偶然だ。ああ、確かに、あたしがこの剣でメアリーの足元を狙う、なんてシチュエーション、奇跡でもなければ起きなかっただろうねえ。自称
「わけのわからない言葉でごまかさないでください!」
「あたしも困惑してる。でもさ、さっき本当に起きたんだよぉ。メアリーが穴に落ちたあと、目の前に自分を『皇帝』だと名乗る女の子の映像が現れてね。ここに入れって」
「……? 本気で言ってるんですか?」
「信じられないなら一人で進めば? あたしとしては、こんな意味のわかんない場所、協力してでもとっとと抜けたいぐらいだけど」
協力――到底信じられない単語がディジーの口から飛び出す。
仮面があるため、表情の変化すらわからない以上、それが本当かどうかなんて読み取りようがない。
だが今の彼女から、殺気のようなものは感じられなかった。
「……では、この中にいる間は、お互いに手を出さないということでいいでしょうか」
「お、意外と話がわかるねえメアリーは。そうしよう。殺し合いは外に出てから。というわけで、先に進んでみよー!」
「あなたが前を歩いてください」
「背後から殺されるかもしれないじゃん」
「お互い様でしょう。いいから先に行ってください」
ディジーは「はいはい」と不満げに言うと、扉の前に立った。
扉は触れる必要もなく、勝手にスライドして開く。
その先の光景に、二人は言葉を失った。
学校だ。
メアリーたちが知る場所ではないが、そこが学校であることはわかる。
「……どーすんの、これ」
「私に聞かれても困ります! 『皇帝』のアルカナが見せている光景なんですよね? むしろ心当たりがあるのはあなたのほうじゃないんですか」
「……」
「『皇帝』は消息不明のアルカナのうちの一つです。ホムンクルスが持つ可能性が高いと私たちは踏んでいますが――」
「持っていないよ、今はもう」
振り向くことすらなく、扉をくぐるディジー。
「あ、待ってください!」と慌てて追いかけるメアリー。
二人が“学校”に足を踏み入れると、扉は透明になって消えた。
「やっぱり、どこからどう見ても学校ですよね……」
「あたしは通ってないから、そこまで馴染み無いけどね。王都の一番上等な学校だと、ここまで綺麗な建物なの?」
「綺麗は綺麗ですが、こんな材質の椅子や机は見たことありません」
「ふーん……お、誰か入ってきた」
チャイムが鳴り響くと同時に、教室のドアが開く。
スーツを着た教師らしき男は、妙に嬉しそうだ。
同時に生徒たちの姿も浮かび上がる。
十代の男女が三十名ほど――彼らは一斉に教師に視線を向けた。
『今日はお前たちにいい報せがある。うちのクラスから二名が、次期世界創造に参加する神に選ばれることになった!』
教師の言葉に、生徒たちは『おおー』とどよめき、拍手する。
選ばれた当人でもないのに、教師は誇らしげだった。
『早速発表するぞ。まず一人目、ヘルメス・サーニー!』
一人の少女に視線が集中し、拍手はさらに大きくなる。
セミロングの金髪にはウェーブがかかっており、日常的に外で運動でもしているのか、肌は健康的な色に焼けている。
立ち上がり、調子に乗った様子で手を上げるあたり、かなり明るい性格をしているようだ。
歓声が収まると、教師はもうひとりの名前を発表する。
『もうひとりは、マニ・クラウディだ!』
歓声――ではなく、どよめき。
少し遅れて、拍手が鳴り響く。
マニと呼ばれた少女は、恥ずかしそうにうつむく。
すると黒く長い前髪で目元は隠れ、すっかり表情は見えなくなってしまった。
ヘルメスとは対照的に、あまり社交的な性格はしていないようだ。
『いやあ、まさか自分のクラスから二人も出るとはなあ。誇らしいぞ、サーニー、クラウディ! さっそく説明会があるからな、このあと特別教室に行ってくれ』
ヘルメスはクラスメイトから応援の声をかけられながら、教室から出ていく。
マニも彼女を追うように、控えめな歩幅でゆっくりと退室した。
――そして、“扉”が開く。
教室や、そこにいる人々はどうやら投影された映像だったらしく、夢のように消えてなくなった。
そして現れたのは、最初の部屋と同じ青の壁。床。天上。
意味のわからない映像を見せられ、メアリーは眉にシワを寄せた。
「今のは、一体……私たちは何を見せられてるんですか?」
「わかんない、って言いたいけど――あっちの暗い女の子、さっき地上で『皇帝』って名乗ってた子だね」
「アルカナ? 彼らは人間だったとでも……」
「先を見たらわかるんじゃないかな。なるほどね、アルカナがここを隠してた理由がわかった気がするよ」
「……ネタバラシだから、ということですか」
「あれが本当にこの世を作った神様だとするのなら、神話もへったくれもないよ。あまりのがっかり感に、世界を滅ぼしたーいって思う人が出てきてもおかしくないぐらいにね」
「お父様もこれ知って……作られた世界に絶望した? いえ、ですがアルカナに作られた世界だということは、とっくにわかっていたはずです」
「先いこーよ。せっかく教えてくれるっていうんだから」
扉の先に向かうディジー。
メアリーは小走りで彼女を追った。
――場面は移り変わる。
今度は先程の教室から出た廊下だった。
実際の部屋も細長く作られているらしく、無駄に臨場感がある。
『まにゃ、手!』
ヘルメスは周囲の目がなくなるなり、マニに手のひらを向けた。
マニは控えめに、ちょこんと指先で触れる。
『これじゃお手じゃーん!』
『……ごめん』
『タッチタッチ! おめでたーいことなんだから!』
『うん……』
今度こそ、マニとヘルメスの手のひらがパチンと鳴る。
そしてヘルメスは歯を見せて、心の底から嬉しそうに笑い、腕を絡める。
マニは恥ずかしそうだったが、これが初めてではないのか、そのまま廊下を進んだ。
『一人だけだったらどうしようって思ってたけど、まにゃと一緒でよかった』
『私も……うん、ヘルメスがいてよかった』
『神様かぁ、入学したときはなれると思ってなかったな。まにゃが勉強教えてくれたおかげ』
『勉強だけじゃ選ばれないよ。ヘルメスが、私を……前より前向きにしてくれたから』
『大したことしてないよ。あたしはただ――まにゃには、笑顔のほうが似合うって教えただけ』
ヘルメスはマニの目を見ながら、優しい笑みを口元に浮かべた。
マニは恥ずかしげに頬を染めながらも、しっかりと瞳を見る。
むず痒いほどの距離感――正反対に見える二人は、どうやら固い絆で結ばれているらしかった。
――扉が開く。
まだこの遺跡の意図はわからないが、進めば何かが明らかになるのだろうか。
今度は言葉もかわさずに、ディジーとメアリーは次の部屋に向かった。
◇◇◇
ヘルメスとマニが向かった教室には、すでに十数名の生徒が集まっていた。
全員が学生である。
男女の比率はちょうど半分ぐらいで、年齢もほぼ変わらないぐらいのようだ。
二人は並んで、真ん中の席に座った。
直後、女性教員が入ってくる。
大量の資料を抱えた彼女に、二人の生徒が駆け寄った。
いかにもお人好しっぽい、ぼさぼさ頭の少女と、メガネをかけた見るからに真面目な少年。
二人は資料を手分けして持つと、教員の指示を仰ぎ、他の生徒たちに配った。
マニは手元に回ってきた、『神様マニュアル・初級編』と書かれた表紙を見つめる。
すると、そんな彼女の顔をヘルメスが覗き込む。
至近距離で見つめ合う二人。
ヘルメスがいたずらっぽく微笑むと、マニは目をそらして頬を真っ赤に染めた。
そうこうしているうちに、資料を配り終えた教員が説明をはじめる。
『全員に行き渡ったみたいね。それじゃあはじめましょうか。まずはみんなに、“おめでとう”の言葉を送るわ。誰もが神になることを夢見てこの学園に入る。けど、その夢を叶えられるのはごく一部の優秀な生徒だけ。その狭き門を通過したのが、ここに集まった二十人よ!』
彼女は生徒を褒め称えるも、反応はさまざまだった。
明るい未来に目を輝かせる者もいれば、ふてくされた態度を続ける者もいるし、顔色を真っ青にしている者もいる。
『毎年、まず最初に神様としての名前を発表するんだけど……今年の世界創造は、過去最大規模で行われるわ。人数が多いせいで、なかなか名前のモチーフになるものが思いつかなかったんだけどね、今年はこれにしてみましたっ』
教壇の下に仕込んでおいた、縦長の箱を取り出す教師。
自分たちの名前ともなると、興味を持たずにはいられないのか、例外なく全員の視線がそこに集中した。
『タロットカード――大アルカナよ。どう、かっこいいでしょう?』
反応はぼちぼち、である。
そもそも、自分に今の名前と違う名が与えられる、という現実がピンときていないようだ。
すると、さっそくヘルメスが手を上げた。
『はいはーい! 先生、あたしから質問いいですか!』
『どうぞ、ヘルメスさん』
『タロットって二十枚より多いですよね? 人数が足りないと思うんですけど!』
『残りは補欠要員よ。世界創造の途中でリタイアする子も珍しくないわ、そのために余分に人員を確保してあるの。補欠が必要ない場合のことも考えてあるから安心して』
『ってことは、その中からみんなで好きに二十個を割り振るってことですか?』
『そうなるわね。この名前決めだけで、ひどいときは一週間以上かかることもあるわ。なにせ、これから何億年も付き合うことになる名前なんだからね。ただし、あんまり長いとくじ引きになるから、そうなる前に仲良く振り分けるのよ』
それが、彼らに与えられた、神様としての最初の使命。
その後、教師は“世界創造”の方法について詳しく説明をした。
途中からは場所を移し、別棟にある専用の部屋で、実際の道具を見ながら解説を続ける。
――この球状の建物は
世界が完成した暁には、出入り口は完全に封鎖され、二度と開くことはない。
候補として選ばれた者たちはその中で人としての自分を捨て、神となり世界の管理を行うのだ。
生命が次世代の生命を創り出すためにその人生を賭けるように、この世界の人類には次世代の世界を創り出す使命がある。
それははるか昔、星の意思と呼ばれる超常的存在により人類に植え付けられた“本能”だ。
ゆえに、揺り籠での眠りは何にも勝る誉れであり、全ての人類は神となることを目標として生きている。
もっとも……中には
大まかな説明が終わると、そこから映像が飛んだ。
次の場面は、名前を決める会議のようだ。
すでに教師の姿はなく、そこにいるのは生徒だけ。
教師の脅しも聞いてか、会議はスムーズに進んだ。
最初に教師に駆け寄った少女は『
だが最後のほうになると、そうもいかなくなってきた。
ただし、残ったのは元から名前に興味を示さなかった者ばかりなので、不満は出なかったが――
会議が終わると、また時間が飛ぶ。
今度はマニとヘルメスが使っている部屋のようだ。
学園の寮なのか、二人は同じ部屋で生活しているらしかった。
外はすでに真っ暗、他の部屋からも音は聞こえてこない――どうやら深夜のようだ。
へとへとに疲れ切った二人は、ベッドは二つあるのに、わざわざ同じベッドで横になる。
明かりを消した部屋で、並んで同じ天井を見上げながら、ヘルメスが言った。
『神様に選ばれて一日が終わったわけだけど……どうかな『皇帝』さん、今日の感想は』
茶化すように、彼女はマニをアルカナで呼ぶ。
それがマニに与えられた神としての名だった。
だが彼女はあまりお気に召さないのか、不満げに頬を膨らまし、ヘルメスの胸元にぎゅっとしがみつく。
『お?』
『……やだ』
『どうしたのさ、まにゃ』
『私はマニだよ』
『そうだけど、外でそう呼んだら『神様としての自覚が足りなーい!』ってセンセに怒られちゃうよ』
『なら……二人きりのときだけでいいから、名前で呼んで』
『まにゃ……うん、わかった。実はあたしも、『
『あと、逆だよね、私たちの名前』
『やっぱそう思った? どっちでもいいって流したけど、ちゃんと選んどけばよかったかなぁ』
『私は……ヘルメスがまにゃって呼んでくれるならどっちでもいい』
『んもー、まにゃはほんと、心配になるぐらいあたしにべったりだなぁ』
ヘルメスはマニの頬に両手を当てると、ぐにぐにと揉んだ。
マニは触られているだけで嬉しいのか、変な顔になりながらも微笑む。
――そこで映像は一旦途切れた。
また扉が開く。
「……はぁ」
ディジーはため息をついた。
「あれが、『魔術師』の元になった人なんですね」
「かもねぇ。作られた映像だから、あたしたちには真偽の確かめようがない。仮にあたしが作るとしたら、最大限に美化するね」
「ですがこんな建物、現代の技術で作れるものではありません。神が、自分たちが人間だった頃の記録を残すために作ったのだとしたら――」
「馬鹿だよねえ」
「彼女たちのことですか」
「だってさ、神様になったって自分が幸せになれるわけじゃない。他人の幸せのために自分を捨てた人間は、例外なく馬鹿だよ」
「そんなことは――」
フランシスを想い否定するメアリーに、彼女はぐいっと顔を近づけて言う。
「じゃあ自分が生き残ってよかったと本気で思ってる?」
「っ……」
「フランシスが生きてたほうがよかったって思ったことはない?」
「それは……」
「別に責めてるわけじゃない。ただあたしは事実を言ってるだけ。他人を助けるのは結構。けどそれで自分が犠牲になっちゃざまあないよ。残された人間は例外なく心に傷を負って、一生苦しみ続けるってのにさあ!」
楽しそうに――虚しそうに。
ディジーはハイテンションに言葉の棘を吐き出す。
「残された人間は自暴自棄になる。極端な答えを出す。心当たりあるでしょお? 死んだ人間に魂を縛られて、自分の心を置き去りにして明後日の方向に走り出す。そういう人間を道化って呼ぶんだよ!」
まるでワンマンショーでも開いたように、表情豊かに、体の動きで感情を表現しながら語るディジー。
場を盛り上げる道化は――誰よりも、彼女なのかもしれない。
メアリーは負けじと食らいついた。
「置き去りにしてなんてないです、復讐を望んだのは私の心なんですから! いいえ、むしろこれを果たさなければ、私の心はいつまでもお姉様の死んだ瞬間に縛られたままです!」
「おめでたいなあ」
「何がッ!」
「そういう人間は、復讐を果たしても変わらないよ」
まるで答えを知っているかのように、ディジーは強気に断言する。
「考えてもみなよ。実の父を殺してもいいと思えるほど、メアリーは姉の死を嘆いてる。そこまで強くフランシスを愛するメアリーが、束縛から抜けられるはずがないじゃないか」
喪失の悲しみは、愛の深さに比例する。
メアリーが抱く感情は、普通の姉妹のそれを遥かに越えている。
憎しみも、怒りも、メアリーがそれだけフランシスを愛していた反動だ。
「永遠に逃げられない。自分を助けて死んだという
教科書に載せたいぐらいの、見事な嘲笑。
メアリーの怒りを煽れて、ディジーは実に楽しそうだ。
だからこそ――メアリーは自分の怒りが急激に冷めていくのを感じた。
あまりの露骨さに、乗るだけ無駄だ、と冷静さを失った頭でも理解できてしまったのである。
「……楽しそうで何よりです、先に行ってますね」
ディジーの横を通り過ぎ、扉をくぐるメアリー。
ディジーは自らの失態に気づく。
「あ、やりすぎちゃった? ごめんねえ。肉体に傷をつけられないから、心に傷をつけるしか方法が思いつかなくてさー」
追いかける彼女には、反省した様子などまったくなかった。
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