051 殺意の情動は同時多発する

 



 突如として飛び出したメアリー。


 驚いたキューシーやカラリア、アミはとっさに足を止めた。


 たまたま通りがかった民衆は、恐怖に叫び声をあげながら二人から距離を取る。




「メアリー、あんた何をっ!?」


「鎌の刃が見えない何かと衝突している……」


「えっと、アナライズ……あのハデな人、魔術評価8000もあるよ! たぶんアルカナ使いだ!」




 再びメアリーの前に現れた、死んだはずのマグラート。


 しかし彼の体は無傷で、魔力もあの日と同じまま。


 つまり、真正面から打ち合ったところで、メアリーの鎌は止められない。




「今さら『隠者ハーミット』程度の力では!」


「……ですよねェ」




 透明の球体は切り裂かれ、マグラートに刃が襲いかかる。


 軽く後ろに飛んでそれを避けると、




「うまく釣られてくれたんだ。こっからは俺のペースで行くぜぇ?」




 己の体に透明の球体を貼り付け、姿を消した。


 光も音も気配も消える、完全なる隠蔽――また、あのときと違い、彼にフランシスの一部が付着していることもない。


 感覚による追尾は不可能である。




「逃しませんッ!」


「逃げねえよ、ここは俺の袋小路だ! ヒャハハァッ!」




 声だけが聞こえてくる。


 その音を頼りに斬りかかるメアリーだが、空振り――もうマグラートはそこにいない。


 メアリーは背中から腕を生やし、それを振り回して彼を探す。




「メアリー、そいつどうすんのよ!」


「放置するわけにはいきません。マグラートの相手は私がします、みなさんは進んでください!」




 メアリーはそう告げながら、咄嗟に体をひねって攻撃を回避した。


 見えないが、間違いなくそこにマグラートが放った球体は存在したのだ。


 彼は近くにいて、それを操っている。


 だがどう探しても姿は見えず、その手がかりすらない。




「ならわたくしたちも加勢を!」


「キューシー、待て」


「何よカラリア!」


「……血の匂い。向こうから流れて来ている」


「まだ何かが起きて――」




 キューシーがそこまで言いかけたところで、遠く離れた場所で爆炎があがった。


 少し遅れて、爆音が空気をビリビリと震わせる。


 アミは言った。




「この嫌ぁな感じ、天使と似てるね!」


「またあの化物が出てきたっていうの?」


「ドゥーガンに付き従う人間は残り二人、だったな」


「まさか――」




 人間を“天使”に変えるという、謎の血液――量産は難しいと言っていたが、二個ぐらいなら、十分にありえる数だ。


 それに化物が残ってしまえば、たとえドゥーガンを殺せても戦いは終わらない。


 加えて、スラヴァー領の維持のため、キューシーとしては被害は最小限に抑えたいわけで――どのみち、“倒す”以外の選択肢は無いのだ。




「あっちのほう、私が行ってくるね。今度は一人で倒してみせるからっ! リベンジだぁーっ!」




 返事も聞かずに、アミは足の裏から車輪を生やし、猛スピードで爆心地へ向かっていった。




「あっ!? アミ、ちょっとは考える時間を!」


「おいキューシー、こっちも来たぞ!」


「だあああっ! わかったわよ、わたくしたちがあいつらの相手をしたらいいのね!」




 逃げ惑う民衆を、銃を持った兵士たちが追い立てる。


 いつの間にか兵士は隊列を組んでおり、まるで民を押しつぶす壁のようにぞろぞろと――大隊クラスの人数が、死体を踏み歩く。




「って多いわね、どんだけ裏切ってんのよ!」


「操られている。別のアルカナ使いか、それとも」


「人は貴重な資源だけれど、放置したら余計に死者は増える。仕方ないわね――」




 キューシーは目を閉じると、息を吐き出した。


 兵士たちは一斉に足を止め、敵であるキューシーたちに銃を向ける。


 カラリアは背負っていたライフルを手に取ると、形状を変化、両腕に装着するガントレットへと変え、キューシーの前に立った。




「シールド展開ッ!」


支配者は生きた盾をご所望テイミング・ファミリア




 数十人の兵士が、ほぼ同時に引き金を引いた。


 放たれた弾丸は、しかしカラリアのシールドに弾かれ、二人を傷つけることはできない。


 一方、キューシーの魔力は、足裏を通して、地面へと伝わった。


 そこに転がっているのは、微細な――本当に小さな石ころや砂粒。


 その一つ一つに足が生え、生物のように動き出す。




「女帝が命ず。働き蟻さん、わたくしの敵を全て殺しなさい」




 地面が――まるで波打つように動いた。


 数千の蟻たちが、兵士へ向かって行進する。


 それは顎門アギトで肉を食いちぎり、体内に侵入、内臓を食い散らす、恐るべき小さな殺人鬼である。


 兵士たちは標的を蟻に変えるが、小さすぎて銃では排除しきれない。


 やがて足元にまで到達した虫たちは、軍服を突き破り、内側へと侵入した。


 兵士は服を上からかきむしり、もがき苦しむ。


 苦痛はまるで伝染するように、部隊を先頭から順番に冒していった。




「うぇ……」

 

 

 

 想像はしていたが、それ以上の惨状に、キューシーは思わずえづく。

 

 カラリアはそんな彼女をフォローするように褒め称えた。

 

 


「大したものだ、この人数は私では手こずっただろう」


「ありがと。どうもわたくし、多人数相手のほうが得意らしいですわ」


「無理はするなよ」


「誰に言ってるのかしら?」




 顔色が悪いキューシーは頬を引きつらせて無理に笑う。


 次々と倒れていく兵士たちは、もはや銃を撃つこともできない。


 カラリアはシールドを解除する。


 いつの間にか、メアリーの姿はなくなっていた。


 彼女とマグラートの戦いは場所を変えたようだ。




「前座、ね」




 キューシーがぼそりと呟いた。


 倒れていく兵士は、さしずめ舞台の幕といったところだろうか。


 全て開いたとき――そこに立っているのは、赤い人型の化物だった。


 身長はキューシーたちとさほど変わらない。


 その形状から女性と思われるが性別は不明。


 背中からは天使の翼に見えなくもない、赤い肉の管を束ねた器官が伸び、脈打つ。


 しかし、身にまとう服装で、キューシーはすぐにそれが誰なのか理解した。


 そして軽く唇を噛んで、小さく首を左右に振ってから、呼びかける。




「プラティ、少し見ないうちに垢抜けた・・・・わね」


「私は――キューシーがアルカナ使いになったと報告を受けたとき、心の底から嫉妬しました」




 天使となったプラティは、生前と変わらぬ声で返事をした。


 それに二人とも驚く。


 メアリーによれば、血を注がれた人間は、原形もなく人格も別物に変わっていた。


 しかし今回は違う。


 “血”を与えた者の裁量によるということなのか。


 少し間をおいて、キューシーはポーカーフェイスに、変わらぬトーンで会話を続ける。




「それ、今しないといけない話?」


「最後ですから。この肉体は長くは保ちません、せいぜい数日が限界です」


「そう……勝っても負けてもってわけ。でも、ドゥーガンおじさんに命を捧げられるなら本望って顔をしてるわ」


「せめてそれぐらい望んだっていいでしょう。力の無い私と、力を得たあなた。娘になれない私と、娘になれたあなた。届かぬ夢だと、諦めて来たんですから」




 対峙するキューシーと、“天使”となったプラティ。


 二人は人生において、そう深い接点があったわけではない。


 マジョラームの娘と、ドゥーガンの執事――近いようで遠い人生だった。


 だが同時に、彼女たちの人生は紙一重の違いでもある。




「公爵殿下は、どうあっても私を娘とは認めてくれませんした」


「ロミオがいたからでしょうね」


「死んでも同じです」


「タイミングが悪かったわ」


「望まずにはいられない。もしあの戦場で拾われたのが、あなたでなく私だったら――」


「女々しい妄想よ」


「ですが、どうしても考えてしまうんです」




 せっかくだから、最期ならば――と、本来は交わす必要ない本音を吐露しあう二人。


 一方でキューシーの隣に立つカラリアの視線は、そう遠くない位置にある屋敷、その屋根の上を睨みつけていた。


 何者かが立っている。


 風にローブをはためかせ、夕日の茜色で仮面を染めながら、小柄な誰かがカラリアをじっと見つめている。




(『魔術師マジシャン』……!)




 彼女は直感的にそう思った。


 しかしキューシーの目の前にいるのは天使。


 アナライズを使ってみれば、魔術評価は3万――ビルでメアリーが遭遇したあの化物よりはマシとはいえ、あまりにその差は大きい。




「カラリア」




 するとキューシーはカラリアに視線を向け、自信に満ちた笑みを浮かべた。




屋外なら・・・・時間稼ぎぐらいはできますわ。その表情、あなたも敵と因縁があるのでしょう?」


「いいのか?」


「ただし、倒すのは無理よ」




 キューシーは断言した。


 これだけの力の差を、不遜に笑えるほど無謀にはなれない。




「ま、そのうち誰かが合流してくれるでしょう。それまでは粘ってみせるわ」


「すまない。こちらも終わったら戻ってくる」


「期待せずに待ってるわ」




 カラリアは地面を蹴り、屋敷へ向かって走り出した。


 移動しながら、ガントレットを再びライフルへと変形――屋根の上に立つディジーに向ける。




「あははっ、来た来たぁ!」




 彼女は嬉しそうに笑うと、弾丸を避けて、カラリアをいざなうように屋敷の向こうへ消えた。


 離れていくカラリアを視界の端に収めながら、キューシーはプラティとの会話に戻る。




「待っててくれてありがと」


「不意打ちに意味のある戦いではありませんから。それで、どうだったんです、そちらの人生は」


「わたくしも似たようなものよ。いっそ娘じゃなかった方が楽だったのかもって、たまに思うの」


「そんなものですか」


「だって、プラティも幸せだったでしょう? 執事として、おじさんに仕えられて」


「はい、きっとキューシーと同じぐらい幸せでした」


「でも幸せだからこそ――」


「――苦悩してしまう」


「そういうこと」


「よかった、そこに優劣がないのなら――」




 プラティの両手から、プシュッと血が噴き出し、鋭い針のような赤い肉が生まれる。


 彼女はそれを指の間に挟んだ。


 いわゆる投げナイフ――執事はボディガードも兼ねている、プラティがそれなりの戦闘術を身に着けているのは当然であった。




「“殿下の道具”として、心置きなく戦えます!」




 もはやプラティに思い残すことなどない。


 運命の分岐の先にあるものが、幸福の優劣ではなく、ただの“形の違い”だというのなら――苦悩など無意味。


 ただ幸せな道具として、使い潰され終わることに幸福を覚え、赤き命の断片をキューシーに向かって投げ放った。



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