050 リ・バース
スラヴァー軍
及びドゥーガン・スラヴァーの執事プラティ・クランフルス。
二人は軍基地内、執務室にて兵士たちに襲撃を受けた。
だがデファーレはすでにクーデターの動きに気づいた上で、抵抗はしなかった。
兵士の大半がマジョラーム側に寝返ったことを把握していたからだ。
デファーレは、『何が政治は専門外だ、ノーテッドめ』と悪態こそついたものの、それを責めることもしなかった。
スラヴァー軍の持つ兵器はすべて、マジョラーム製のもの。
ノーテッドがその気になれば、機能不全にすることは容易い。
こういった事態を想定してか、一年ほど前からドゥーガンはピューパ製の武器も秘密裏に輸入していたが、それもごく一部。
相手が確保した物量に勝てるものではない。
そして何より――尊敬するスラヴァー公爵殿下の、突然の乱心。
独立という夢を捨て、民を殺してまでも、メアリー・プルシェリマを殺そうとするその異常性。
そこにはもはや、自らが仕えるべきドゥーガン・スラヴァーという男はいない――デファーレはそう判断したのである。
抵抗するプラティと共に、腕を縛られ執務室から連行されるデファーレ。
兵士にも、裏切ったとはいえ、将軍への敬意はある。
「大人しく牢に入るのなら危害は加えないし、戦いが終わったあとの地位も保証する」
――と、彼らはそう断言した。
ドゥーガン亡き後、デファーレは己の地位になど興味はなかったが、それでも二人分の命が助かるのなら、それが最善である。
このまま兵士に連れられ、事が終わるまで地下牢で時が過ぎるのを待つ。
(よもや“夢の終わり”が、こんな惨めなものになるとはなあ……)
そう嘆きながらも、廊下を進むデファーレ。
プラティはうつむいたまま、終始無言だった。
しかし――デファーレの目の前で、兵士たちは何者かに真っ二つに両断された。
降り立ったのは、ローブをまとい仮面をつけた、細身の少女ディジー。
手に握る銀色の剣は、あれだけ多くの命を奪っておいて、一滴たりとも血に汚れていない。
彼女は仮面を付けたまま笑った。
「迎えに来たよ。将軍様、執事ちゃん」
デファーレには、彼女の姿は地獄の案内人にしか見えなかった。
◇◇◇
それからディジーは、まるで手品のように防衛網を抜けていった。
すぐさま基地内のアラートが鳴り、隔壁が降りたが、その剣に断てぬものはなかったし、変装だってバレることはない。
世界一を自負する強固なセキュリティを軽く突破されると、三人は車に乗り込み、ドゥーガンのいる地下アジトに向かった。
「いい加減に答えろ、お前は誰だ?」
車内にて、デファーレの、幾度となく繰り返された問いかけが、さらに重ねられる。
一応はディジーのことを知っているプラティに事情は聞いていたが、『殿下の知り合い』といわれても納得できるはずがない。
だから本人にこうして聞いているのだが、
「ドゥーガンの忠臣だよ。誰よりも忠実に、彼のために働いてる」
そう言うばかりで、満足の行く答えは返ってこない。
無駄な問答はアジトに到着するまでも、そして到着してからも続き、そのたびにディジーはのらりくらりと、言葉をぼかした。
デファーレのフラストレーションは溜まっていく。
しかし、兵士を手にかけ、ここまで来てしまった以上――もはや、従う以外の選択の余地など残っていないのだ。
扉が開く。
案内された薄暗い部屋では、ドゥーガンがチェアに腰掛け、静かに本のページをめくっていた。
「殿下! これはどういうことだ、あんたは何を考えてるんだッ!」
「……」
「殿下ッ!」
デファーレが怒鳴りつけても、ドゥーガンは反応しない。
「いやあ、どうやら彼は読書に夢中みたいだね。そんなに面白い本なのかなあ。へえ、小説かぁ。『この美しい世界のために』だってさ。ベストセラーだって。知ってる?」
「知るか! ディジーとやら、お前たちは殿下に何をした? ヘンリー国王の手のものか!?」
「国王……国王ねぇ。まあ、そういうことにしとこっかな」
「ちゃんと答えろッ! プラティ、お前も黙ってないで何か言え、主があんなことになってるんだぞ!?」
「……私は、殿下が破滅するのなら、共にその道を往くだけです」
「プラティ!?」
「ははははははっ! わかる、わかるよその気持ち! 誰もが歯向かうだけの強さを持ってるわけじゃない。そのまま流されるのも、また一つの選択だよ」
「知ったふうな口をぉッ!」
ついにデファーレはこらえきれず、ドゥーガンの椅子によりかかるディジーに殴りかかった。
彼女は軽く後ろに宙返りをしてそれを避ける。
「ふっふふ、でも将軍さん、あんたも気づいてるんじゃないの? ここに来た時点で、もう後戻りできないって」
「く……」
ディジーはローブの内側から、赤い液体が満たされた注射器を二本取り出し、二人に見せつける。
「じきにメアリーたちとの最後の戦いが始まる。二人とも
そして注射器は宙を舞い、それぞれデファーレとプラティの手元に収まった。
困惑する二人。
一方で、まったく反応を見せないドゥーガンの首筋には、注射痕らしき赤い傷が残されていた。
◇◇◇
それから、ディジーはデファーレとプラティを残して部屋を出た。
正直、あの二人がどうなろうとディジーには関係ないし、興味もない。
彼女は通信端末を耳に当てると、壁にもたれ、誰かとの通話を始めた。
「もしもーし。あたし、ディジーだよ。例のアンプル、早速使わせてもらったよ。ありがとね」
『錠剤の分もあったから、おかげで貧血だよ。肉をたくさん食べないと』
「ごめんごめん、思ってた以上に向こうの戦力が充実しちゃったからさ」
『冗談だよ。あれはストックしておいた分だから、気にせず使っていい。品質は安定してると思うよ』
「そりゃよかった。ところで――」
『アオイとカリンガのこと?』
「いや、そっちは納得してるから。ある種の自殺みたいなもんだし。ところで“天使”の方。あれ前は“フェーズワン”って呼んでたよね。いつ改名したの?」
『その場でつけた』
「あっはははっ、かっこつけすぎだって。天使……天使かぁ……ぶふっ、いや無理だわ、おもしろすぎる」
『そこまで言うほど?』
「ああいうネーミングが好きなのは知ってるけどさあ。もっとあったんじゃない?」
『たとえば?』
「肉筋人間とか、ミートマンとか」
『……まさかここまでひどいとは思わなかった』
「そーかなぁ、愛嬌あっていいと思うけど」
本人は至って真面目に言ったつもりらしい。
ひとしきり笑ったあと、通話相手は話題を変えた。
『そんなことより、彼の体調はどう? 順調?』
「ドゥーガンなら――」
『そっちではなく』
「ああ、あいつならショックは受けてたよ。体というより、メンタルの問題だねえ」
『出られそう?』
「メアリーの名前を出したらすっ飛んでいくんじゃない。そして帰ってくるか死んでる頃には、あんたに感謝してる」
『ディジーがそうまで言うなら安心かな。で、ドゥーガンの方はどう?』
「結局そっちも聞くんだ。状態は安定してる。このまま行けるんじゃないかな」
『それは何より。これで十六年前の悲願が叶うんだ、彼も本望だろうね』
「ほんっと馬鹿な男だよねぇ。あいつがワールド・デストラクションに手出ししなければ、十六年前にメアリーは無事に消滅して、何も起きなかったってのに」
『メアリーの生存が、全ての災厄の始まりだった。あのまがい物がいるから――』
「……実際に会っても、やっぱり別物だった?」
『当たり前だよ。名残はあっても、代わりになんてならない』
「それはよかった。うっかり殺したら怒られるんじゃないかって不安だったから」
『安心していい。殺しても喜ぶし、生き残っても、『チャンスが巡ってきた』と他のホムンクルスたちが喜ぶだけだから』
「じゃあ、気兼ねなく全力で行かせてもらうよ。彼と一緒にね」
『頑張ってね、遠くから勝利を願ってる』
「どうも」
決戦前とは思えないほど、軽い雰囲気で通話は終わる。
ここで死ぬかもしれないのに。
もう二度と、話せないかもしれないのに。
「地獄から必死に救い出しておいて、見送るときは冷たいだなんて、無責任だよねぇ」
そこにドライであるのは、ベータタイプであるディジーだけで十分なはずだ。
「……頑張れ、か。世界は滅ぼしたいけどさあ――本当に思ってんのかな、あの人は」
少し寂しげに彼女はつぶやく。
そして早足で部屋から出ると、同じ地下アジト内にある、別の部屋の前で足を止めた。
ノックをして――反応が無いことを確かめ、呼びかける。
「もしもーし。ショックなのはわかるけどさ、そろそろ準備しないと間に合わないよ。メアリーとの、リベンジマッチ」
暗い室内でベッドに横たわり、天井を見上げる男は、名前を呼ばれぴくりと反応した。
◇◇◇
その日、キャプティス全体に避難命令がくだされた。
街の郊外は、自家用車を運転する貴族たちで渋滞し、足を持たない平民たちは、軍が開設した避難所へと向かう。
解放戦線の団員たちは、軍と一緒に避難誘導に参加していた。
その目的は、人手が必要だから――という理由のみならず、軍とテロリストが協力している、というシチュエーションを見せつけることで、これが非常事態であると周知する意味合いもあった。
ドゥーガンとマジョラームが敵対するという異常事態に、混乱する者はあまりに多い。
だが彼らに説明している暇はなく、とにかく『大変なことが起きるので逃げろ』とアピールして、民を動かすしかなかったのだ。
そんな中、メアリーたちは、ビルの上層階から街の様子を見下ろしていた。
「すごい人の数ー! 蟻さんみたい!」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、はしゃぐアミ。
彼女はキューシーのお下がりのドレスを身にまとい、お人形さんのような姿である。
髪も整えられ、田舎っぽさはいくらか抜けたが、戦場に向かう姿としては向かない。
無論、服を与えたキューシーも動きやすい格好を勧めたが、『少しでもお姉ちゃんに近づきたいの!』とアミはドレスを選んだ。
「貴族が多い街と聞いていましたが、思っていたより平民も多いのですね」
「屋敷を構えられるのが一部ってだけよ」
「連中の贅沢な暮らしを支えるには、それだけ下で働く人間が必要だからな」
「でもこんな逃げてたら、ドゥーガンに気づかれそうだね」
「隠れ家が千人以上の兵士が包囲済み。逃げ道はありませんわ」
「そこからアルカナ使いが出てきたら、私たちの出番というわけか……『
鋭い目つきで、人混みをにらみつけるカラリア。
するとキューシーがメアリーに向けて言った。
「でも意外だったわ、メアリーがこの作戦を受け入れてくれたの」
「ひとまずドゥーガンを生け捕りにして、そのあと私が殺していいと聞いていますが」
「もしマジョラームが生かすことを選んだとしたら?」
「強引にでも殺しにいきます」
「うちのセキュリティを抜けられるかしら。次は『
「安心しろキューシー、私もメアリーに協力する」
「私も私もー!」
「……三人がかりは無理かもしれないわ」
「お前もメアリーに付くだろう?」
「まあ……お父様に抗議ぐらいはするでしょうね」
「ふふ、ありがとうございます」
「仮定の話に礼なんて必要ないわっ」
「それにキューシーさん、すべてが予定通りに進むとも限りませんから」
「不吉なこと言うわねぇ」
そう言うキューシーも、作戦がそのまますべてうまくいくと思っているわけではない。
メアリーは胸に手を当て、渦巻く不安と向き合う。
(ここにあるのは、『
もし出てくるとしたら、おそらくはこの戦いに。
だが――どういった形で直面することになるのか、メアリーは嫌な予感がしていた。
「ねえキューシー」
「様を付けなさい」
「アイアム王族」
「小娘ぇ……」
ピキピキとこめかみに血管を浮かばせるキューシー。
アミも彼女をからかうために言っているだけで、本気で自分が王族だと思っているわけではないようだが……元気になった途端、なかなかのやんちゃっぷりを発揮している。
「キューシー。平民の人たちは、避難所に逃げてるんだよね?」
「ったく……ええそうよ、お父様が指示を出したわ」
「ノーテッドさんも、そこまで大きな規模の戦いを想定しているんですね」
「軍はマジョラームが掌握したわ。大量破壊兵器の類もうちで制御可能だから、万が一にも使われないでしょうけど――それこそアルカナ使い次第って感じよね」
「ホムンクルスたちは、ここでの決着を諦めて、ドゥーガンを見捨てる……というシナリオもありえますが」
「メアリーをどうしてもここで潰したい思惑がない限りは、無理をする必要もないからな」
「その時は、何も起きなくてよかったわね、でハッピーエンドよ。でも、まあ――」
避難誘導する兵士の一部が、妙な動きを見せる。
彼はなぜか銃を手に持ち、銃口を民に向け――引き金を引いた。
狙いすましたヘッドショット。
血しぶきが舞い、人が倒れる。
近くにいた女性が叫び、混乱は一気に広まっていった。
そのどさくさに紛れて、他の兵士までも発砲を始める。
「これだけのビッグイベント、何も起きないわけないわよねー」
「性懲りもなく一般人を巻き込んで――節操がないな」
カラリアはライフルを取り出し、その銃口を遠く離れた兵士に向ける。
照準を合わせ、目を細め――発砲。
放たれた弾丸は見事に兵士の頭部に命中、粉々に砕く。
彼女はそれが“当たり前”であるかのように、着弾を待たずに、他の兵士たちを次々と射殺していく。
しかし、民衆に銃を向ける兵士は増えるばかり。
「チッ、結構な数がいるようだな」
「直接とっちめてやらないと!」
「行きましょうっ!」
ビルの窓は、戦いの影響でまだいくつか割れたままだ。
四人はそこから飛び降りる。
唯一、生身で飛び降りると怪我をしそうなキューシーは、胸ポケットからペンを取り出そうとしたところで――隣にいたカラリアに抱えられた。
怪我のこともあるので、心配されたのかもしれない。
『バカ! いきなり何やってんのよ!』
と口パクで抗議するが伝わらず。
四人は正面入口前に着地し、流れるようにキューシーは降ろされる。
不満をここでぶちまけることもできたが、事は一刻を争う――
(わたくしは我慢しますわ。だって、大人ですもの!)
そう言い聞かせて、混乱の中心へ向かって駆け出した。
銃声から逃げる人々の流れに逆らって、四人は走る。
その途中――メアリーは、人混みの中に立つ、男の姿を見た。
「お姉ちゃん?」
アミも一緒に立ち止まるが、声をかけてもメアリーにはもう届いていない。
ピンクの髪。
顔にはタトゥーと無数のピアス。
そして何より――忘れることのない、
「……どうして」
可能性の一つとして頭の片隅には置いていた。
だがわかっていても――瞬間、噴火するようにあの日の記憶と感情が蘇る。
愛する姉の死。
おもちゃのように扱われる姉の死体。
崖に突き落とされ、死にかけた痛み、苦しみ。
メアリーの人生をまるっきり反転させた、ターニングポイント――
「マグラートォォォオオオッ!」
彼女は反射的に、腕より引き抜いた鎌を両手に握って男に飛びかかる。
無表情だった彼は、こちらに憎悪を向けるメアリーの姿を見て、
まるで、人形に命が吹き込まれるように。
「は……せっかくだし楽しむか。第二幕をなあぁッ!」
彼が手をかざせば、見えない球体が刃とぶつかり合う。
それは紛れもなくアルカナ――『
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