032 悲しくなんてないよ

 



 キューシーの呼び声に反応して、“獣”へと姿を変える家具たち。


 椅子は木製の犬となり、ヘムロックに食らいつく。




「きゃは☆ まさかの『女帝エンプレス』ッ! でもそんな子供だましでさあぁぁぁッ!」




 彼女は義手で犬を殴りつけた。


 そこに『運命の輪ホイールオブフォーチュン』の力が宿るなら、一撃で潰せるはずなのだ。


 だが、それは異なる二つのアルカナ同士の衝突――通常とは異なる現象が生じる。


 バチッと弾け、スパークし、競り合う。


 力比べ――結果を決めるのは込められた魔力の高さ。


 一つの攻撃あたりの魔力は、どうやら運命の輪が女帝を上回っているらしい。


 だから押してはいるのだが――本来なら、運命の輪の能力で、あっさりと、刃が絹を裂くように簡単に終わっているはずだった。


 予定は崩れ、予想外に時間を喰われる。




「こいつ、存外に生意気ィッ!」


「アルカナ舐めんなよって話ですわ!」




 キューシーはヘムロックへ銃撃。


 ヘムロックは後退、だがそこに頭上よりプロペラが変形した“鳥”が迫る。


 ついばむ嘴を、右手で弾く。


 彼女の体勢が崩れたところに、鳥はその羽で斬りつける。




(狭いし数が多い、くそったれェッ! 魔術評価はアタシより下のくせに!)




 互いにアナライズは使用済み――ヘムロックは変装を解き、キューシーはアルカナを行使したためジャマーも消えている。


 ヘムロックの魔術評価は12582、対するキューシーは11894。


 数字はヘムロックのほうが上だ。


 しかし10000を超えた者同士の戦い――1000程度の差なら、どうとでも覆せてしまう。


 悪態をつきながら、ヘムロックは運命の輪の能力を使い、地面を隆起させる。


 浮き上がる体、その真下をプロペラ鳥の翼がかすめる。




「きゃあぁぁあああっ!」




 下手にアミの叫び声が響いた。


 ベッドが動く――巨大なワニとなって。


 大きく開かれた口が、宙を舞うヘムロックに向けられる。


 明らかに、他よりも多量の魔力が使われた下僕・・


 彼女は右手を前に突き出し、運命の輪でその牙を止める。


 さらにその頭上より、空飛ぶ“エイ”が迫った。カーテンが変化したものだ。


 向けられた尾びれの毒針を、ヘムロックはさらに左手で受け止める。


 女帝と運命の輪の魔力が互いに反発しあい、激しい閃光を放つ。


 なおも、“犬”と“鳥”は次なる攻撃を繰り出そうとしており、圧倒的な手数の差にヘムロックは思わず叫ぶ。




「動物園かっての、ここはさぁあッ!」


「そうよ、あんたみたいな下衆にはふさわしい檻でしょう?」


「だったらアタシは、飼育環境の改善を要求しまぁーすッ!」




 するとぐにゃりと壁が歪む。


 義手も義足も自由に動かせない現状、部屋の中には回転する物体もほぼ残っていないはずなのに、ぽっかりと、人が通れるほどの穴が壁にあく。




「やっぱ事前の準備って大事だよね!」


「まさか、廊下の時計ッ!?」


「今さらわかったところでさぁ!」




 ヘムロックが室外へ脱出する。


 そこは、床一面にガラス玉が転がる、まさに運命の輪のためにあるような環境。


 さらに言えば、ヘムロックにはまだ、使っていない“罠”が残っていた。


 それを利用してもいいし、逃げて姿を隠して、身動きが取れないキューシーたちをなぶり殺しにしてもいい。




(とにかく、外に出た時点でアタシの勝ちィ☆)




 床に降り立つヘムロック。


 すかさずキューシーは獣たちをその穴に差し向けるが、すぐさま閉じる。




「ふぅ……危機一髪。最初にあの王女がアタシのこと助けたときはびっくりしたなァ。でももう大丈夫! こっからは予定どーり!」




 いくら変装しているとはいえ、敵と密室の中で一緒に過ごす時間は、生きた心地がしなかった。


 無論、今だってキューシーが扉を開いて外に出てくれば、戦闘を続行することが可能だ。


 しかし、室内のようにはいかない。




「マジョラームのご令嬢、聞こえてんでしょ? いいよォ、出てきなよ。今度はここで相手してあげるからさア!」




 呼び替えても、返事はなかった。


 だが聞こえてはいるだろう。




「えー、もしかしてビビっちゃってますぅ? だよねェ、そうだよねェ! 見たところ、女帝の力で動物に変えられるのは、自分の手で触れた物質だけ。近づいたらアウトな“回転物”には使えないみたいだしィ? 外にはその部屋みたいに“あらかじめ触れたもの”を用意できてないから、そりゃあ怖いよねぇ!」




 キューシーの性格上、煽れば出てくるのではないかと、そう期待しての挑発だった。


 まあ、返事がないのなら、それはそれでいい。


 きっと彼女は今頃、ほぞを噛み、敗北に打ちひしがれているところだろうから。




「そう、触れなきゃ使えない。あらかじめ、触れて、おかないと――」




 そのとき、ヘムロックはふと思い出した。


 キューシーが触れた物体、かつ部屋の外にあるもの――それを、少し前に見たばかりではないか。




「……あ、ペンだ」




 その事実に気づいた直後、彼女は自分の背後で、羽虫が飛ぶ音を聞いた。


 振り返る。


 何かが、その胸部に突き刺さる。


 ヘムロックは両手で、迫るその“何か”を受け止めた。




「はっ――あは、あははははっ! トンボ!? 虫にもできちゃうわけだ、器用だねえお嬢さん!」




 間一髪、心臓を刺し貫こうとしたそれを食い止めながら、彼女は思わず笑う。


 そのとき、キューシーは自ら扉を蹴飛ばして部屋の外に出た。


 ヘムロックはさらに口を歪める。




「そして出てくる! でもドアが動けば――!」




 部屋の前の廊下に転がっていたガラス玉たちが動き出す。


 なおもキューシーの目の前には、静止した無数のガラス玉が立ちはだかる。


 空を飛べるわけでもない彼女には、ここからヘムロックの元に近づく手段さえないのだ。




「部屋から出るなんて自殺願望かよォ、キューシーちゃんさあぁぁぁぁッ!」




 ペンを握りつぶし、へし折った彼女は、懐から銃を取り出すと、それをキューシーに向けた。


 インディが使っていたものと同じ、“回転する弾丸”を放つことができる実弾銃だ。


 引き金が引かれる前に、キューシーは動く。




「だからわたくしを殺すなら、国家予算でも足りないのよッ!」




 そしてあろうことか、足元にあったガラス玉を、自ら蹴飛ばす。


 もちろんガラス玉は動き、回転する。


 回転すればそれは運命の輪の影響下。




(トチ狂ったの、このお嬢様は!)




 理解できない行動に、ヘムロックは素直に喜べない。


 だが殺せるのならば――と、回転するガラス玉の周囲に力場を発生させる。


 しかし――




「何も、起きない?」




 回るガラス玉は、しかし運命の輪の言うことを聞いてくれない。


 嫌な予感がしたヘムロックは、すぐさまトリガーを引き、キューシーに発砲した。


 すると彼女の周辺にあるガラス玉から羽が生え、浮き上がる。


 そのうちの一つが、放たれた銃弾を弾いて砕けた。




「これは、女帝の能力――」


「そうよ。わたくしが触れた時点で、それは下僕ファミリアとなる。そのあとで回ったところで下僕は下僕。あんたはどうやら、ここに転がったガラス玉を使って、わたくしを殺そうとしたようだけれど――」




 キューシーが蹴飛ばした、数十個のガラス玉――その全てが小鳥となって、彼女の周囲にふわりと飛ぶ。




「女帝には抗えない。出ようが出まいが、わたくしの勝ちは揺るぎませんわ!」




 それらは殺意をむき出しにして、ヘムロックに飛びかかった。


 彼女は両手を前にかざし、回転の周辺に力場を展開、防壁として利用することでそれを受け止める。




「ぐ、おぉぉおお……ッ!」




 ガラス玉のサイズは小さいがゆえに、そこに込められる女帝の魔力は少量。


 先ほどのワニや犬に比べれば個々の威力は弱い。


 だが、数の多さは、それを補うどころか、それ以上の驚異をもたらしている。




「この数――防ぎ……切れない! チィッ、アタシの運命の輪が、押される……っ!」


「チェックメイトよ!」


「まだだ、まだアタシにだって――お前を殺す方法はあるッ!」




 キューシーの頭上で爆発音が鳴る。


 配管内部に仕込んであった、小さなプロペラ――それは中で空気がわずかに動くだけで回転する代物だった。


 瓦礫が彼女に降り注ぐ。


 しかし、直前まで扉だったものがキューシーを守った。




「ドアが、デカいコウモリに……!」


「触れた物質は全てがわたくしの下僕。わたくし、あなたを倒すのにまだ余裕がありましてよ?」




 そう言うと、部屋の中から、前に動物にしていた家具たちが出てきて、キューシーを囲む。


 女帝にひれ伏す下僕たちは、いつでも襲いかかれるぞ、と威嚇するようにヘムロックを見つめた。




「ちくしょう。無理、だっていうの……! ああ、アタシは、負けちゃうのかよぉおおッ!」




 心が折れる。


 その瞬間、一羽の小鳥が力場を貫いて、ヘムロックの首元に突き刺さった。


 それを皮切りに、何羽もの鳥たちが彼女に殺到する。




「あ、あがっ、う、ああぁぁあああっ! やめろ、やめろおぉおっ!」




 もはや力場の維持すらできなくなり、ヘムロックは少しずつ、その肉を小鳥についばまれていく。




「離れろぉっ! 近寄るなあぁっ! 小鳥風情がアタシを喰おうだなんてッ! あ、ぐっ、があぁぁぁああっ!」




 彼女の全身が血まみれになる様を見ながら、キューシーは苦悩した。




(……このまま殺さなければ)




 彼女は、人を殺したことがない。


 そもそも、こうしてアルカナの能力を実戦で使用したのだって、今回が初めてだ。


 もちろん、放っておけばヘムロックは死ぬ。


 だがそれではあまりに時間がかかりすぎる。




(何を怖気づいてますの、キューシー。人ぐらい殺せる。それぐらいの覚悟がなければ、わたくしはマジョラームの娘ではいられない!)




 そう、簡単なことだ。


 最も火力の高いワニを差し向けて、首を食いちぎってやれば、それで――




「あああぁぁっ! ああっ……ああ……ああ。やだなあ。痛い、痛い、痛い。けど、この痛みが、アタシを奮い立たせる!」




 肉を食いちぎられながら、ヘムロックは言った。




「定義が、曖昧であるほど……効率は悪くなる。それに、自分自身を使うのなら、代償だってある」




 ぶつぶつと、キューシーに向けてでなく、自分に言い聞かせるように。




「でも……負けたくない。だったら、できちゃうんだよねェ……きゃは☆」




 ゴオォッ! と風が吹きすさぶ。


 ヘムロックの体にまとわりつく小鳥たちは、吹き飛ばされ、砕けた。




「づぅっ! そんな、まだ動くのッ!?」




 両手で顔を庇いながら、キューシーは驚愕する。


 ヘムロックは立ち上がったのだ。


 そして手をこちらに伸ばして、告げる。




「血は、体内を廻る・・。運命の輪よ、アタシの体を使い尽くせえぇぇぇぇぇえッ!」




 回れば何でもいいと言うのなら。


 同じ場所を一周しただけのカラリアでさえ、その対象になるというのなら――人の肉体を使えぬ道理は無い。




「アタシは、負けたくない。アタシの命を使い潰してでも、お前をッ、お前たちみたいな“完成品”をぶち殺おぉぉぉぉおすッ!!」


「まずい――下僕たち、わたくしを守って!」




 待機していた動物たちが、ヘムロックに襲いかかる。




「しゃらくさいんだよぉぉッ!」




 しかし彼女が手を振りかざすだけで、女帝の魔力は吹き飛ばされ、動物はただの残骸へと変えられる。


 多めに魔力を込めたベッドのワニや、カーテンのエイでさえ、もって一秒――そんな有様だった。




「さっきまでと全然違う……この出力、止められない、わたくしには!」


「こっちは命を賭けてんだ! ぬるま湯に浸かってきたお嬢様なんかにさあぁぁぁああッ!」




 ヘムロックは、全身から血を噴き出し、目や口からも赤い体液を流し、キューシーに迫った。


 それは傷を付けられたからじゃない。


 自分自身の肉体を使うという無茶な魔術行使により、肉体が崩壊をはじめているのだ。


 文字通り、命がけの特攻――ほぼ同等の魔術評価を持つキューシーがそれを止められないのは当然のことだ。


 その迫力に気圧されるキューシー。


 下手に動けば、転がるガラス玉の範囲内に引っかかる。


 かといって、部屋の中に戻るわけにもいかず――ついに手を伸ばせば届く距離まで、ヘムロックは迫った。


 その瞬間、室内より人影が飛び出す。


 床を蹴って飛び上がった彼女は、今度は天井を蹴って、ヘムロックに襲いかかる。




死者千人分サウザンドコープス――」




 その手には、死者千人を凝縮した死神の鎌をもって。




埋葬鎌ベリアルサイズッ!」




 強大な魔力がこもったその刃で、敵に斬りかかった。


 ヘムロックは両手でそれを受け止める。


 女帝と運命の輪がぶつかったときと同様に――否、それ以上の激しさで、二人の魔力が弾けて爆ぜた。




「チいィッ、邪魔をすんなよ死神ぃッ!」


「だから邪魔するんですよ、運命の輪ホイールオブフォーチュン!」




 メアリーの肉体再生は、なおも完全ではない。


 足は半分ほどしか生えていないが、それでも、廊下から発せられる異様な殺気を感じた以上、動かずにはいられなかったのだ。


 二人の魔力はほぼ互角。


 ヘムロックの両腕から放たれる力と、メアリーの鎌が纏う魔力が、虚空にて鍔迫合う。




「はぁぁぁぁああああああッ!」


「おぉぉぉおぉぉおおおおおッ!」




 しかしほぼ互角ならば――それはつまり、ヘムロックの圧倒的な不利といえる。


 この戦いは、一対一ではないのだから。




「メアリー、わたくしも援護するわ!」




 一旦部屋に戻ったキューシーは、大量のペンを握り、ヘムロックに向かって投げた。


 それらは全て異なる昆虫となり、彼女の全身を包む力場を削り取る。




「く、クソ……結局、押されて……何でよォ……理不尽じゃないかぁ……ッ! 命使っても、届かないなんて! こんなに憎いのに、一人たりとも殺せないなんて!」




 二人がかりでは、いくら限界を超越したヘムロックでも止められない。


 最期・・の攻防は、確実に終わりに向かっていた。


 彼女自身もそれを感じているからこそ、吼える。




「どうして、恵まれたお前らのが強くて、失敗作として生まれたアタシらが負けなくちゃならないんだああぁぁぁぁああッ!」


「マグラートと似たようなことを!」


「あいつはアタシの弟だ! おんなじ憎しみ抱いて生きてきたッ!」




 どうりで似ているわけだ――とメアリーは納得する。


 だがそれ以上の感情はなかった。


 フランシスを殺した人間の身内だというのなら、容赦なく斬り潰す――考えることは、ただそれだけだ。




「お前が! お前らみたいな存在がいたから、アタシたちは! お前さえ生まれてこなければあああァッ!」


「私からお姉様を奪っておいて、被害者面をするなあぁぁぁぁぁあああッ!」




 怒号とともに、バチィッ! と運命の輪の力が爆ぜて消える。


 鎌の刃は縦一文字にヘムロックを切り裂いた。




「あ――」




 彼女の体の中心に、赤い線が浮かび上がる。




「まあ、いいや。どうせ、かわらない」




 彼女はまるで呪いでも残すように、薄ら笑いを浮かべて言った。




「運命からは、誰も、逃げられない――きゃは☆」




 そして体は真っ二つに別れ、べちゃりと倒れる。


 しかし、二人には最後の言葉の意味なんて考えている余裕はなかった。


 ヘムロックの死により、張り詰めていた空気が一気に緩む。




「はぁ……はぁ……はぁ……」


「ふぅ……助けてくれてありがと、メアリー」


「いえ……お互い様です……」


『はあぁ~……』




 メアリーとキューシーは、ほぼ同時に大きく息を吐いて、肩を寄せ合い床にへたりこんだ。


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