031 盤上の支配者は誰?
メアリーはぐったりと床に横たわったまま、かすかに呼吸を繰り返す。
痛みは徐々にその体力を奪い、出血こそ止まったものの、まだ起き上がれるほど回復はしていなかった。
ベッドに寝かせたかったが、負傷が大きすぎるため、体を動かすのもはばかられた。
だからキューシーとアミも床に座り込み、彼女に寄り添い、その身を案じる。
「メアリー様、本当に大丈夫なのかな……」
アミは彼女のドレスの端をちょこんとつまむ。
「少しずつ足っぽいものができてるから、大丈夫なんでしょう」
冷静を装うキューシーだが、彼女も額に汗を浮かべていた。
彼女が見つめるメアリーの傷口は、まるで泡立つようにうごめいている。
「うん……こんな風に、ぼこぼこって生えてくるんだね。それに、切れた足はそのまま残ってる」
「見てて気分のいいものじゃないわ。けど、メアリーが一番気持ち悪いと思ってるんでしょうね」
「私はそうは思わないな。だってメアリー様だから。メアリー様の体だから、すごいとしか思わないよ!」
どこかうっとりとした表情で、再生する傷口をアミは見つめる。
「それはあんただけよ」
「そうかなぁ?」
キューシーはそんなアミの目つきに、若干の不安を抱く。
一方、ティニーは扉の近くに立ち、しきりに部屋の外を気にしている。
顔色は悪く、背中は冷や汗で濡れていた。
「ティニー、あなたが焦ったって何も解決しないわ。今はカラリアの結果を待ちましょう」
「わかってます、わかってるんです。でも、王女様のそんな姿を見てると、いてもたっても居られなくて!」
「だからって、行動を起こされちゃ困るのよ。座っておき――」
『あ、あ、あー。よし、設備は生きてるな』
キューシーの忠告を遮るように、頭上からカラリアの声がした。
音は天井のスピーカーから鳴っているようだ。
「モニタールームの放送設備を使ったのね」
『こちら、カラリアだ。何とか、インディは……殺した。やはり、あいつは……スパイだった。何年も前から、組織に潜入していたんだ』
「インディさん、そんな……」
ティニーがうつむき、唇を噛む。
生きている団員たちは、彼女以上に驚き、嘆いているに違いない。
『だが……はぁ、『
スピーカーの向こうから、何かが倒れる音がした。
アミは心配そうにキューシーを見つめる。
「カラリアさん、すっごく苦しそうだったよ?」
「負傷しているみたいですね」
「早く助けに行きたいところだけど――」
キューシーはデスクにあったペンを手に取ると、扉をわずかに開く。
見えた隙間の向こうには、床に散らばったガラス玉が見えた。
今は動きが止まっているため、能力は発動しないだろうが――少しでも触れるだけで、再度条件は満たされる。
彼女は手に持ったペンを投げ、ガラス玉に当てた。
球体は転がり、近くにあった別の玉に当たり――そして何も起きずに、そのまま止まる。
ティニーとアミは、キューシーの背後からその様子を覗き見ていた。
「何も起きないね」
「はあぁ……じゃあやっぱり、インディさんがアルカナ使いだったんですね」
「……そうね」
なおもキューシーの表情は険しい。
(彼、組織の古参よね。そんな段階から、ドゥーガンはスパイを潜り込ませてたっていうの? いや、それ自体は彼の先見の明ならあり得る。けど、わざわざ“アルカナ使い”をそんな何年も潜入させる?)
貴重な戦力であるアルカナ使いの利用法としては、あまりにもったいない。
確かにおかげで組織は壊滅状態ではあるが、そこまでのコストをかけるほど、リヴェルタ解放戦線に価値があるだろうか。
まさか、数年前の段階で、この場にメアリーがやって来ることを予見していたわけでもあるまいし。
「外の安全は確認できましたし、早く部屋から出ませんか?」
「そうだよキューシー、他の人が無事か確かめないと!」
急かす二人に、しかしキューシーは慎重な姿勢を崩さない。
本当に出てしまってもよいものか。
アルカナ使いの末路にしては、あっさりすぎないか。
そう考え込むキューシーの視界の端で、倒れ込むメアリーがこちらを見ている。
キューシーが視線を合わせると、彼女はゆっくりと、手招きするような仕草を見せた。
「二人とも待って、メアリーが何か言ってるみたいだから」
メアリーの口は動いているが、声が小さすぎて聞こえない。
キューシーが至近距離まで顔を近づけると、ようやくボソボソとした囁きが聞き取れた。
「キューシーさん、私、最初から……少し、おかしいな、と思ってて。でも、出会ったばかりだから、それが違和感なのかも、判断できなくて」
「何のこと?」
「
「……?」
首をかしげるキューシー。
しかしメアリーの必死な様子から、『これは重要な話だ』と確信し、耳を傾ける。
「思えば、どうして近くにいた彼女が、“私に見える”、“普通なら助からない場所”で怯えてたのか、とかも。ひょっとしたら、最初は“死んだこと”にするつもりで……身を隠すために、あの位置にいたのかな、って。ああ――だとすると、お姉様の声はそれを知って――いや、今は、違う。あと、通信端末も、そう。どうして彼女のときは何も起きなくて、私のときだけ、こんな風になったのか……おかしいな、と思って。もしかしたら、と思って。探してたんです。ここから、“死者の目”を張り巡らせて」
どうも彼女の中でも整理しきれていないらしく、的を射ない話し方をする。
なかなか二人の話が終わらないので、ティニーとアミは不思議そうにこちらを見ている。
それでも、キューシーにはメアリーが伝えたい“何か”の全貌が、すでに見えはじめていた。
生唾をごくりと飲み込むと、冷や汗が顎を伝って落ち、谷間に滑り込む。
「場所は、施設の隅にある、ゴミ捨て場。そこの、ゴミ箱の中に、ありました」
そしてメアリーは結論を――死者の目が見たものを、キューシーに伝えた。
「ティニーさんの死体が」
バラバラに刻まれた、見知った顔が、捨てられているその光景――もちろんメアリーも動揺した。
だが辻褄は合うのだ。
メアリーがティニーを助けに向かったとき、的確に攻撃できたことだってそうだ。
全ては、ティニーこそが――否、“ティニーの姿をした誰か”こそが『運命の輪』の使い手であることを示している。
「あの子が……?」
キューシーの心臓が痛いほどに高鳴る。
今まさに、背後に殺人鬼がいるのだ。
表情一つ変えず、演技をしながら、人を殺せるネジのハズレた人間が。
「私の回復まで、時間稼ぎはできますか?」
メアリーの言葉に、キューシーは首を振った。
「あいつは外に出たがってる。メアリーの言う通り、ティニーを助けたことは、敵にとってイレギュラーだったのかもしれないわ。だから、できるだけ早くここから逃げたいのよ」
「ですが、カラリアさんも怪我をしている以上、アルカナ使いと戦える人は――」
「わたくしがやるわ」
「キューシーさんが?」
冗談を言っている風でもない。
何らかの決意を胸に、キューシーは意志のこもった声でそう言った。
「護身術なら自信があると言ったでしょう?」
「無茶です」
袖をぎゅっと握るメアリーに、キューシーは自らの手を重ねた。
「一人でも立ち向かった女がいた」
彼女はカラリアの姿を思い浮かべ、
「死にかけても、手がかりを探し続けた子もいた」
そしてメアリーの姿を見て、優しく微笑む。
「なのにわたくしだけ傍観者だなんて、プライドが許しませんわ」
そう言って、メアリーの手をそっと振り払い、キューシーは立ち上がった。
素早くアミの腕を掴み、強引にティニーから引き剥がす。
アミはよろめき、「きゃっ!?」と転びそうになる。
するとキューシーは近くにあった椅子を彼女に向かって蹴り、ちょうどその上に座らせた。
その様子を見てティニーは、彼女らしくもなく――口元を歪めて笑う。
「キューシー様ぁ、どうしてそんなことするんですかぁ? 何かの冗談ですよねぇ」
キューシーの行動から
即座にごまかすことをやめるあたり、“綱渡り”という自覚もあったらしい。
「もう演技の必要もないってわけ」
「えー、演技なんてしてましたっけぇ、アタシ」
「茶番はやめましょう。とっくにメアリーが見つけてんのよ、
「……」
アミは、キューシーとティニーを交互に見ながら、困惑している。
するとティニーは、これまでの彼女とはまったく違う笑顔を見せた。
口元を歪めた、まるでマグラートを思わせるような、不快な笑みだ。
「すごいなあ、やっぱり。選ばれただけあって、王女様は出来が違うんだぁ」
「正体を見せなさい!」
キューシーは胸元から銃を取り出し構えた。
ティニー――否、彼女の姿をした何者かは、自らの顔の皮に指を引っ掛け、一気に剥がす。
その下から現れた、刺青とタトゥーだらけの顔を見たキューシーの第一印象は、
(……カラリアに似てる?)
だった。
似ている程度なので、気のせいと言われればそれまでだ。
だが、ユーリィの存在もある――何もかもが無関係で片付けるには、無視できない“繋がり”がある気がしていた。
しかし銃口は心臓に向けられたままぶれない。
青い髪をした女は、ティニーとはまったく異なる声で、へらへらと笑いながらキューシーを挑発する。
「んっふふふふ、どぉーもぉー、アタシぃ、ヘムロックっていいまーす。よろしくね、マジョラームのお嬢様」
「あんたが、『運命の輪』のアルカナ使い――」
「そぉそぉ、演技は意外と得意だったんだけどなァ。
「そうね、間抜けなミスのおかげで仕留められそうだわ」
「仕留める……ふーん、アタシを殺すってこと?」
「この距離で銃を向けられてんの、わかってる?」
「んふふふふっ、わかってるわかってる。だからだよ、だからぁ――アルカナ、舐めてるなァって思ったの」
ヘムロックは、笑いながらキレた。
その直後、彼女の姿はキューシーの目の前から消える。
立っていた場所は、まるで見えない力に削られたように、床が抉られていた。
そしてキューシーの背後に移動し、彼女は囁く。
「触れただけで死ぬ、シャボン玉みたいな命のくせに」
首筋に伸びる、指の気配――とっさに彼女は距離を取ったが、能力の発動からは逃げられない。
肩の骨が変形し、針となって内側から肉を刺し貫く。
(いったぁぁぁああっ! 触られてすらないのにッ!? 何が“回転”してたっていうのよl)
キューシーは痛みに顔を歪めながら、ヘムロックをにらみつける。
そして気づいた。
わずかに手足から聞こえる機械めいた音に。
「その手足――機械じかけの義手と義足ねッ!」
「そう! 素敵な素敵な歯車パワァァァァァァ! ギチギチ回ってェ、命ごと抉り取ってあげるぅッ!」
ヘムロックが浮かべるのは、勝利を確信するがゆえの、白い歯をむき出しにした、至悦の笑み。
だがキューシーは、敗者になったつもりはない。
「わたくしの命は高いの、あんたなんかに譲ってやんないわ!」
ヘムロックはなぜ己の正体を隠したのか。
それはアルカナ使いと知られたくなかったからだ。
では――キューシーはなぜ、妨害装置を使って己の魔術評価を隠したのか。
そこに、隠したいものがあったからだ。
「
部屋中の家具が姿を変える。
椅子が、ベッドが、カーテンが、そして壊れたプロペラが――それぞれ異なる動物の形となって、ヘムロックに襲いかかった。
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