030 選択者はもういない
「ひ、い、あ……いやぁぁぁぁああああっ!」
アミの絶叫が響く――
ティニーは顔を真っ青にしてガタガタと震え、キューシーは慌ててメアリーの上半身を抱え上げた。
「メアリー、大丈夫? メアリーっ!」
『キューシー、メアリーがどうしたんだっ!』
「端末のバイブレーションよっ! あれはモーターの回転を利用してるの! あんたも命が惜しかったら手放しなさいッ! ああメアリー、メアリーっ!」
キューシーの腕の中で、うっすらとメアリーは目を開ける。
そしてぼんやりとした口調で、口元に笑みを浮かべた。
「う……あ……あ、あは……きゅーしー、さん……意外と、やさし……う、ぐ、ぶっ……」
吐き出された血が顔を汚す。
キューシーは自らの袖でそれを拭い、涙目で彼女に語りかけた。
「馬鹿、そんなこと言ってる場合じゃないわ! どうすんのよこの傷っ、血が、血が止まらないのよっ!」
「メアリー様ぁっ! やだぁ、死んじゃやだぁっ!」
『おいキューシー、メアリーに息はあるのか?』
「あるけど体が真っ二つになっちゃってんのっ!」
『それなら
「こんな傷、治るわけがッ!」
『説明しただろう。全身焼け焦げても生還したんだぞ?』
確かに、カラリアはそんな話をしていた。
だが――目の前でこの姿を見て、はいそうですかと納得できるものでもない。
モツをぶら下げて苦しげに喘ぐ様は、もはや死の間際にしか見えないのだから。
「はい……たぶん、平気、です。が、ぐううぅ……っ、あつ、くて。痛み、とかも、通り越してっ……あ、はっ、はあぁっ……る、みたい、なので……っ」
「それで死なないのなら、王女様、どうやったら死ぬんですか……?」
「知らないわよわたくしも! メアリー……ああもうっ、わかった、わかったわ。そういうものとして理解するわよ。それでいいのね?」
「……はい。それで……あ、はあぁっ! お……お願い、します」
「お願いって、何? わかんないよぉ、メアリー様、このままじゃ死んじゃうよおっ!」
「本人がそう言ってるんだから納得しなさいよ! わたくしだって強引に納得してるんだから!」
大人げないと思いながらも、アミを怒鳴るキューシー。
彼女は胸に手を当て、何度か深呼吸を重ねると、カラリアに呼びかける。
「メアリーはしばらく動けないわ。インディの始末はあんたに任せるしかない」
『了解した。必ずやり遂げる』
「報酬は期待してくれていいわよ」
『やる気の出る言葉だな』
プツリ、と通信はそこで切れた。
そしてキューシーは、目の前のある端末を全力で踏み潰し、破壊した。
「ああ……八つ当たりなんてみっともない」
そして自分の情けなさを嘆くように、片手で顔を覆った。
沈黙が流れる室内には、メアリーの傷が再生するぐじゅぐじゅという音だけが響いていた。
◇◇◇
カラリアは、女団員を部屋に残して廊下に出た。
時計の並びは整然としていて、間隔も均等だ。
こうして見ると、できるだけ隙間ができないよう配置してある。
団員を殺すためだけに置かれた時計――その結界を作り出した本人は、果たしてどんな気分だったのか。
先ほど、助けた女団員に、インディとはどういう男だったのか聞いた。
彼女が言うには、彼は最古参の団員で、ジェイサムや他の団員からの信頼も厚く、次期団長ではないかとも噂されていたほどだという。
「大したプロだな」
カラリアは、抱いた感想をそのまま口に出した。
まともじゃない、だからこそ玄人だと感じる。
「武器が無いのは心もとないが、やるだけやってみるか」
与えられた部屋まで行けばガトリングガンはある。
しかし、この狭い地下空間では取り回しが悪い上に、移動のリスクが生じる。
武器庫には大量の銃があるそうだが、カラリアが使用する場合、普通の人間が使えないほどの出力が無ければ、使うだけ無駄。
結局は素手をメインウェポンにするのが最も望ましいという結論になってしまうのだ。
例えば、今だって――
「すうぅ……ふッ!」
足裏で地面を叩けば、カラリアは弾丸のように加速することが可能なのだから。
もちろん、時計の範囲内に入ったことにより『運命の輪』の能力が発動するが、彼女の速度では攻撃機会はせいぜい一秒にも満たない。
カラリアの屈強な肉体を破壊するには、時間が足りないのだ。
しかも、仮に現在のように“剥がれた壁による斬撃”が襲ってきた場合は、避ける必要すらない。
鋭い先端で切りつけられても、カラリアの体は傷つかないからである。
常軌を逸した身体能力と、頑丈さ――それはアルカナ使いにも匹敵する戦闘能力を生み出し、時計が生み出す地雷原を強引に突破する。
やがて近づくモニタールーム。
部屋の扉が視界に入ると、そこからインディが現れる。
(あいつか――!)
表情はさらに険しくなり、スピードも上がる。
だが、インディもやはり素人ではないらしい。
部屋から出た途端にカラリアの姿を見ると、素早い身のこなしで、角を曲がって逃走を図る。
もっとも、プロと言っても、それは“常識の範疇”に収まっている。
カラリアのような常識外が相手では、またたく間に距離は縮まり、追いつかれてしまうのだ。
あと数秒もしないうちに、その手はインディの背中に届く。
すると彼は後ろを振り返り、懐より取り出したハンドガンを構え、足元に発砲した。
だが弾丸はカラリアより遅い。
見て、避けて、追跡を再開――しようとしたところで、急に脚がもつれバランスを崩した。
続けざまに走る激痛。
「ぐッ、指が……ッ!?」
パンプスの内側でへし折れる足の指。
少なくとも現在、足元は“時計”の範囲外だったはず。
(さっきの銃――あれは魔導銃じゃない、実弾だった。そうか、弾丸の回転で力を発動させたか!)
指が折れたことにより機動性は下がり、より“回避への専念”が要求される中、インディの背中が少し遠のく。
性懲りもなく角を曲がり距離を取ろうとする彼への苛立ちは募る。
「逃がすかぁッ!」
「あなたは認識を間違っている。逃げられないのは、そちらのほうです」
ふいに立ち止まったインディはポケットに手を突っ込むと、無数のガラス玉を握った。
そしてカラリアに向かって放り投げる。
球体は放物線を描く。
正攻法は、後退。
だがカラリアは、自らの背後から近づく“音”に気づいていた。
(この音、おもちゃの車か――前方のガラス玉と挟み撃ちだな)
車は、四つの車輪を使ってゆっくりと前進する。
内部にはおそらくガラス玉がたくさん詰まっている。
仮にカラリアがそれを破壊せずとも、能力を使えば“自壊”は可能、つまり退いた時点で逃げ場は消える。
床が足の形に凹み、砕ける。
そしてカラリアは、ツバメのごとく、床すれすれを――投げられたガラス玉の下を通ってインディに接近した。
彼のポーカーフェイスが驚愕に歪む。
馬鹿な、間に合うのか――そう言わんばかりに見開かれた目を見て、
(残念だな。間に合うんだよ、私なら!)
白い歯を見せながら、腹部に掌底を叩き込む。
だがインディの体が吹き飛ぶことはない、せいぜいよろめき後ずさる程度。
それは威力が低いわけではなく、衝撃が全て、“体の内側”に留まっているということ。
彼が感じたのは、内臓がことごとく握りつぶされるような痛みだった。
「ぐ、ぶっ……!?」
泡立った大量の血が、インディの口から溢れ出す。
明らかな致命傷。
人の生命を維持するために重要ないくつかの機能を失い、速やかに治療を受けなければ、数分としないうちに命を失うだろう。
だがなおも、彼は逃げた。
カラリアに背中を向けて、よろよろとした足取りで。
「確かに“逃げられ”はしなかったな。さて、まだ鬼ごっこを続けるのか?」
目的地があるのかと思えば、インディが辿ったルートは、“最初の場所に戻った”だけ。
「う、ぐ……っ、あと……少しなんだ……」
「そうか、あと少しならなおさら――生かすわけにはいかないなッ!」
彼女は再び、インディの懐まで飛び込む。
「あと少しで――」
彼は虚ろな瞳でつぶやいた。
「一周、
「――なッ!?」
そう、最初の位置に戻った時点で――一周、“回転”が成立する。
インディに向かって伸ばしたカラリアの腕が軋み、歪んでいく。
「お、おおぉぉおおッ!? 私の、体が……ッ!」
「はぁ……はぁ……勝負、ありましたねぇ……はは、まあ、私も死にかけなので、引き分けですが」
「ぐあぁぁぁあああッ!」
「逃げられませんよ。いくら頑丈だろうと、あなたが“対象そのもの”になった以上は!」
全身が握りつぶされるような痛みに、カラリアは苦しむ。
体はガタガタと震え、大量の汗が浮かび、歯を食いしばる口からは血が流れる。
ミシミシと、肉体の内側から嫌な音がする。
細い骨はすでに折れ、血管を傷つけたのか、肌の表面に内出血が広がる。
何箇所も骨は折れ、立つのもやっとの状態だ。
だが――彼女は、倒れない。
本来なら、普通の人間など簡単にくしゃりと潰れてしまうはず。
それをすでに、数秒も耐えている。
「なぜ、死なないんです。この女……生身で、魔術の耐性を……得ているとでも?」
「らしい、な。私の体は、どういうわけか――魔術を
カラリアは吼え、『運命の輪』の呪縛を解き放った。
そして肩を上下させながら、インディに歩み寄る。
「化物ですね」
「人間だ、お前たちよりはな」
彼はもはや抵抗しなかった。
意味のわからない独り言を言いながら、自嘲ぎみに笑う。
あの攻撃で死なない以上、自分にはもう絶対に敵わないと、負けを認めたのだ。
だがその行動は同時に、カラリアに一つの疑念を抱かせた。
「潔いな。お前はアルカナ使いか?」
「どうでしょうね」
しらばっくれるインディ。
彼の表情から、真偽の判別はできない。
その様子からして、拷問しても吐かせることはできないだろう。
「なあ……どんな気分なんだ?」
そこから先は、カラリアの興味だ。
すでに彼女の右手は、インディの頭を鷲掴みにしている。
絶対に逃げることはできない――それが決定しているからこその、問いかけだった。
「何の話ですか」
「何年も一緒に過ごしてきた仲間を殺した気分だよ。私には理解できない嗜好でな」
「趣味でも嗜好でもありません。求められたから、そうしたまでです」
「そうか、その答え――どうやら途中で
「だとしたら何だと言うのです」
「……虚しくはないのか」
「虚しさとは何ですか?」
煽るわけでもなく、心の底からそう思っているからこそ、出てきた言葉。
その答えに、これ以上の問答に得るものはないと気づいたカラリアは、右手に力を込めた。
頭部が握りつぶされ、上半分が破裂する。
インディの体が倒れていく。
すると、“皮”のようなものが、カラリアの指に引っかかって残った。
それが剥がれたインディの顔は、唇も鼻も削られた、無惨なものだった。
「戦争の道具として生み出され、利用された男……」
もやもやとした感情を胸に抱き、死体に背を向けるカラリア。
だが――
「私たちは似た者同士だよ。本来は同じ道を辿っていたはずの」
彼は喋る。
脳を破壊され、残ったのは口元だけだというのに。
だが振り向いたカラリアが見る限りでは、口は動いていない。
――喉だ。
喉がまるで口のように開き、そこから言葉を発しているのだ。
「『正義』を騙る偽善者、ユーリィ・テュルクワーズさえいなければ」
カラリアは動揺しながらも、急いで残った頭部を踏み潰した。
今度こそ、インディは沈黙する。
「何だ、今のは。なぜ、こいつがユーリィを知っている!」
やはりユーリィの死と、彼女の“過去”は繋がっているのか。
だったらなぜ、そんな大事なことを黙ったまま逝ってしまったのか。
心を重くする“靄”はさらに密度を増して、体を重くする。
「クソッ、すっきりしないな……!」
カラリアは自らの体を引きずるようにして歩き、扉をわずかに開くと、倒れ込むようにモニタールームに戻った。
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