017 思い出話に花咲かせ
数年前、キューシーは何度か王都にあるプルシェリマ家の屋敷を訪れたことがあった。
というのも、彼女はフランシスと同じ学園に通い、勝手にフランシスをライバル視していたのである。
もっとも、フランシスのほうが二つ年上だし、キューシーも成績は優秀だが、天才と呼ばれたフランシスと比べると、さすがに相手が悪い。
なにせ、“その頭脳は未来すら見通す”と呼ばれたほどだ。
彼女さえいれば、オルヴィス王国の未来は安泰――誰もがそう、口を揃えていた。
きっとキューシーは、そんな周囲からの評価を受け、賞賛されながらも、自慢すらしないフランシスが気に食わなかったのだろう。
『二年前の成績を見ましたが、この科目――わたくしのほうが上よね』
『まあ、二年前の話だからね。はいお茶』
『ぐびぐび……ぷはぁっ! まるで今ならもっといい点数が取れるとでも言いたげね』
『取れるんじゃないかな。はいお菓子』
『はむ……もごっ』
『はい、お茶のおかわり』
『んぐっ……んぐっ……ふぅ。と、とにかく、今回はわたくしの勝ちですわ!』
『おめでとう、キューシー』
『ありが……ってどうしてフランシスは悔しがらないのよー!』
『仲のいい後輩が頑張ってるのに、悔しがる必要がある?』
『またそうやって先輩面をして――ええい、次こそは必ず打ち負かしてみせるんだから!』
――とまあ、こんな具合である。
フランシスはキューシーを友人と思っていたようだし、キューシーも何だかんだ言って懐いていたように――少なくともメアリーにはそう見えていた。
そのつながりで、メアリーとキューシーも面識があったのだ。
『確認しておきたいのだけれど』
モニター越しにキューシーは問う。
「どうぞ、キューシーさん」
『どの時点でミスターQがわたくしだと気づいたの?』
モニターの向こうの彼女は、頬杖を付きながら不満げだ。
「最初から候補にはあがってました。こんな施設、もし作れるならマジョラーム・テクノロジーぐらいだろう、と」
『まあ……それもそうよね』
「あとは彼らが使っている装備です。最新鋭のもので、しかもマジョラーム社製の意匠が見え隠れしていましたから。大方、テロリストにあれを使わせて実戦のデータでも取っていたんでしょう?」
『正解。最近は国境付近での戦いも落ち着いてるし、王国軍とはにらみ合いばっかり。ただ軍に渡すだけじゃデータが取れないから、彼らみたいな存在が必要なのよ』
「さらに、ミスターQというわかりやすい名前です。ボイスチェンジャーを含めて、露骨に性別を隠そうとしていますし、男性口調も慣れていませんし、間違いなくあなただろう、と。というか、キューシーさんもあまり隠すつもりありませんよね」
『どーせ団長のジェイサムは気づいてるんだもの』
「気づいた上で、従ってるんですか?」
『金がなければ活動はできないってわかってるのよ。利用されていることをわかった上で、あちらもまた、わたくしたちを利用する気概みたいね』
キューシーの言葉を聞いて、メアリーは表情を曇らせる。
気持ちでどうにかなるのなら、とっくに貴族と平民の格差は無くなっている。
どうあがいても、抗えないからこそ、この組織が生まれたはずなのに――
(キューシーさんは、彼らがマジョラームの駒以上の存在には絶対になれないことを理解している。いえ、ジェイサムさんもあるいは、わかっているのかもしれません)
それでも希望を繋ぐため、『気持ちさえあれば逃れられる』と思い込もうとしているのだろう。
はたまた、団員たちの“帰る場所”を維持するために、あえて従っているのか。
『わたくしのこと、軽蔑する?』
「はい、心から」
『うわー、割とショックー。でも仕方ないわ、わたくしが止めたところで、誰も幸せにはならないのだから』
マジョラームの影響下から逃れる、それは同時にリヴェルタ解放戦線の崩壊を意味する。
団員たちは路頭に迷い、ただただ帰る場所を失うだけだ。
「それ、確かに正論風に聞こえますけど――」
『都合のいい詭弁よね。でも議論の先に待ってるのは押し問答よ』
「わかりました、今はやめておきましょう」
『うんうん、それが懸命だわ。ねえそれより、あなたに聞きたいことがあるのよ』
「お姉様のことですか」
その返事のトーンの暗さで、キューシーは大体想像できたはずだ。
だがはっきりとした言葉で聞きたくて、まっすぐに問いかける。
『フランシスが死んだのは事実なの?』
「はい……私を牢屋から助けたあと、アルカナ使いに、殺されて」
メアリーは噛みしめるようにそう答えた。
キューシーは歯を食いしばり、こみ上げる感情を堪らえようとしたが――結局は耐えきれず、うつむいて顔を左右に振った。
『……ずるいわ、勝ち逃げなんて』
涙こそこぼれなかったが、それは彼女が我慢したから。
メアリーも悲しげに、目を細め、嘆くキューシーを見つめた。
『殺したのは、アルカナ使いって言ったわね』
「『隠者』のアルカナ使いです。名前はマグラート。大柄ですが細めの男で、顔はタトゥーやピアスだらけでした。ドゥーガンに雇われた殺し屋のようですが――」
『そう……それで、そいつは今どこに?』
「殺して、食べました」
『食べ――そっか、『死神』だったわね、メアリーは。じゃあ……フランシスも?』
「はい、お姉様は私の中にいます」
メアリーは胸に手を当て、ドレスを握りしめながら言った。
「二人で一緒に、ドゥーガンを殺すんです。許しません、絶対に。絶対に。何があっても……限界まで生きたまま苦しめて、原型を留めないぐちゃぐちゃにして、めちゃくちゃにしてやるんですッ!」
そして、狂気の宿った瞳でそうまくしたてる。
一方でキューシーは少し落ち着いたのか、一呼吸挟んで、抑揚の少ない声で言った。
『怖い顔。変わったわね、あなた。アルカナの影響もあるのかしら?』
「望んだわけではありませんが、復讐には都合のいい変化だと思っています」
『そっか……それでフランシスの面影が出てきたりもするんだから、血筋って面白いわよね』
「ところで、キューシーさんが知っていること、こちらも聞かせてくれませんか」
『ギブアンドテイクね。掴んでる情報は、話せる範囲で全部話すわ』
「それ、全部って言いませんよね」
『まあまあ、細かいことは気にせずに』
キューシーは、ロミオ死亡前の出来事から語りだした。
『二日前。軍にも我が社にも伝えずに、国王夫妻、そしてエドワード王子がスラヴァー領を訪れたわ』
「軍ですら知らなかったんですか?」
『困ったことにね』
「つまり、ドゥーガン自身も望んでそれを受け入れた」
『そこで両者は何らかの密約を結んだ。あなたを殺すことも、そこで決まったのよ』
「罪のでっちあげも雑ですからね。入念に準備したものとは思えません」
『アルカナ使いを融通したのも、おそらくはヘンリー国王でしょう』
「お父様が? ですがロミオ様はドゥーガンだと――」
『ふふ、ロミオは様付けなのね。育ちの良さがにじみ出てるわ』
「あ……ごめんなさい、癖で」
ドゥーガンよりもロミオのほうが呼び慣れていたからなのだろう。
それに彼はもう死んでいる、あえて言い直す必要も感じなかったのかもしれない。
だが指摘されると恥ずかしくなったので、メアリーは改めて言い直した。
「ロミオはドゥーガンが殺し屋を呼んだと言っていましたが」
『んふふっ、しかも言い直すんだ』
「笑わないでください!」
『ごめんごめん。そうね、おそらくおじさんが呼んだのは事実よ。でも、呼んでアルカナ使いが来てくれるんなら、世界中の偉い人が血眼になって探したりはしないわ。“呼んで来てくれる”状態にしたのは、国王でしょう。まあ、その国王も、どうやら胡散臭い連中と手を組んでそう雰囲気があるのよねぇ……』
アルカナ使いは、世界に二十人存在する。
そのうち、オルヴィス王国軍に所属しているのが二人。
スラヴァー軍にはゼロ人である。
キューシーの言う通り、もし簡単に呼べるアルカナ使いがいるのなら、とうに軍に所属しているはずだ。
だが一方で、国王軍にとってもアルカナ使いは喉から手が出るほどほしい存在。
一体、“貸し出せる”ほどの人数を、どこから呼んできたというのか。
『ともかく、マジョラーム社とスラヴァー公爵は一蓮托生。なのにわたくしたちに知らせず、国王と密約を結んだ上に、どこからかアルカナ使いまで連れてきた。挙句の果てには、うちじゃ作ってない毒ガスまで出てくる始末』
「毒ガスって、今日使われたあの?」
『ええ、ローガンスにはパワードスーツは売ったけど、毒ガスはマジョラーム製じゃないわ。おそらくは王都近くにあるピューパ・インダストリー製ね。王国軍御用達の、うちより
苛立たしげに話すキューシー。
だが彼女がそうなるのも仕方のないことだ。
全てはマジョラーム家の知らないところで行われてきた。
スラヴァー公爵の影響力の大きさは、マジョラーム・テクノロジーありきのものだというのに。
『これって……ドゥーガンおじさんの、わたくしたちに対する裏切りよね』
キューシーは温度のない――どこまでも冷たい声で言い放つ。
メアリーは、スピーカー越しに聞きながら、背筋に寒いものを感じた。
だが同時に、頼もしくも感じる。
「ドゥーガンを潰したいという目的は同じ。でしたら、私とキューシーさんは仲間になれると思います」
『んー……困ったことに、まだそこまで思い切ったことはできないのよね。協力はできるけど』
「なぜですかっ!」
思わず声を荒らげるメアリーに、しかしキューシーは涼しい顔で答える。
『さすがに公爵が死んだら、影響が大きすぎるもの。軍や貴族に根回しが必要なの』
「それさえ終われば、いつ殺してもいいと?」
『ええ、あと数日待ってもらえればすぐにでも』
「まるで、いつでも殺せると言わんばかりですね。キューシーさん、ドゥーガンの居場所を知ってるんじゃないですか?」
『知ってるって言ったら?』
「教えて下さい。今すぐ殺しにいきます」
想像通りの言葉が、ドスの利いた声で返ってきて、キューシーは思わず口元に笑みを浮かべた。
『そうなるわよね』
「当たり前です!」
『だからまだ教えられないの。第一、あの隠れ家に、わたくしたちが知らない逃げ道がないとも限らないもの。施設内に極端に護衛が少なかったのも怪しかったわね』
「だったらなおさらのこと!」
『どうどう、落ち着きなさい。だからその前に、“逃げ場所”となる拠点を潰しておきましょう。いくら道があっても、向かう先がなければ身動きは取れないわ』
「殺せる可能性があるのに、回り道をするのは……歯がゆいです」
『相手にどれだけアルカナ使いがいるかもわからないのよ? メアリー殺害のプロセスもそうだけど、『隠者』の使い方も雑すぎる。複数人いることを想定すべきだわ』
「たとえアルカナ使いがまた出てきたとしても、全員殺して、食いちぎってやります!」
『いくらあなたでも、複数のアルカナ使いを同時に相手するのは無理よ。こちらの戦力的に、メアリーが死んだらそれでおしまいなんだから。一人ずつ、確実に潰しましょう』
「その“逃げ場所潰し”なら、アルカナ使いを一人ずつ相手できると?」
『いくら複数人いても、さすがに二桁はありえない。しかもすでに『隠者』を失ってる。慎重な運用をしてくるのは間違いないわ』
「そこで私が戦っている間に、キューシーさんたちは、ドゥーガンが死んだ後の調整を進める、と――そういうことですか」
『正解よ。フランシスほどじゃないけど賢いわねえ、メアリーも』
「当然です、お姉様には誰も追いつけませんから」
『ふふっ、ほんとシスコンね』
ズレた自慢をするメアリーに、思わず噴き出すキューシー。
だが同時に、その当事者がすでにこの世を去っていることに寂しさを覚える。
『ドゥーガンが逃げ場所にしそうな施設のデータは、こっちから送るわ』
「傍受の可能性はありませんか?」
『うちとその施設は直通回線で繋がってるから、その心配はないわ。仮に漏れてたとしたら、中にスパイが居る証拠ね。気づいたら、殺して食べちゃっていいわよ』
「ドゥーガンの手駒なら迷わずそうします」
その後、通話を終え、メアリーは部屋を出た。
少し離れたベンチに腰掛けていたジェイサムに、次の作戦の話をすると、団員たちが集められ会議が開かれた。
襲撃先は二箇所。
ドゥーガンの別荘と、彼と繋がりの深いフィデリス侯爵の屋敷だ。
団員は王女との共闘を望んでいたが、戦力差を考え、メアリーは単独でフィデリスの屋敷へ突入することとなった。
落ち込む団員たち。
だが立ち直る暇もなく、作戦はすぐに開始される。
出発前、アミの様子を見て、その頭を撫でるメアリー。
するとアミは薄っすらと目を開け、弱々しい声で言った。
「メアリー……さま。外、いくの?」
「大丈夫、すぐに戻ってきます」
「がんば、って」
「ありがとうございます、アミちゃん」
その言葉に力をもらい、メアリーは外に繰り出す。
助走をつけて高く跳躍――さらに手首からフック状の骨を射出。
壁に引っ掛け、夜の街を疾駆した。
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