012 命は常に不平等
それから一時間ほどして、メアリーは「ここまでです」と区切った。
すでにほとんどの村民との話は終えている、十分に義理は果たしたと言えるだろう。
しかしアミの父は、困った様子でメアリーに懇願する。
「待ってくださいメアリー様、実はまだ友人が一人……」
「ごめんなさい、これ以上はあなたがたにも危険が生まれます。もう限界です」
「……そう、ですか。いえ、そうですね、仕方ありません」
存外にあっさり引くアミの父。
しかし今度は、アミが寂しそうにメアリーのドレスを掴んだ。
「もう行っちゃうの……?」
メアリーはアミに微笑みかけると、その頭を撫でた。
「アミちゃんの元気さがあれば、この村の未来は明るいです。頑張ってくださいね」
「……うんっ! 私、がんばる!」
アミの手足の細さや、痩せた体には不安があるが――血色はいい、きっと無事に生き残って、すくすく成長してくれるはずだ。
戦いが終わったあと、生きていたらまた会いに来よう。
そんなことを考えながら、メアリーは家を出た。
三人は最後まで名残惜しんでくれていた。
「大変でしたが、ただ話すだけで、彼らが生きていく希望になれたのなら……」
ロミオ殺害が周囲にどう思われているのか、その実態を知ることも出来た。
早すぎる寄り道ではあったが、得るものはあった――そう思える。
メアリーは兵士に見つからないように身を隠しながら、獣のように素早く、村から離れていった。
◇◇◇
メアリーが村を出て数十分後。
彼女がキャプティスへの再侵入ルートを探す中、身を隠す樹木の前で、車が止まった。
乗用車ではなく、軍用車――しかも趣味の悪い金装飾が施されている。
息を潜めるメアリー。
乗っていた兵士二人は、彼女がすぐそばにいることにも気づかずに降車すると、後部座席から麻袋を引っ張り出した。
そして、それを無造作に草むらの上に捨てる。
(袋に血が付着してる……それに中から漂うこの匂いは、死体……?)
眉をひそめるメアリー。
すると兵士たちは、一息ついて無警戒に雑談をはじめる。
「ローガンス様の悪趣味にも困ったものだ」
「こうやって雑に農民を減らすから、キャプティスに呼ばれないってのにな」
「代々あんな感じらしいな。子供の頃からそう育てられてきたんだ、今さらどうにもならん」
「しかし例の毒ガス、本気で使うつもりなのかねえ。別に俺は農民がどうなろうと興味はないが」
「本気も本気だろう。すでに兵士たちが持ち出したと聞いたぞ。農民は全滅……俺たちも巻き込まれる前に逃げないとな」
「これでメアリー・プルシェリマを仕留められなかったら、今度こそおしまいだな。俺らも次の働き先を探さないと」
「今なら人手をほしがってる軍に入れるんじゃないか」
「ははは、そりゃあいい。最新型の魔導兵器を使って小娘を殺せば、一発で貴族の仲間入りだ!」
「そんなことをしなくても――」
メアリーは木の陰から飛び出し、兵士の首に、背後から骨刃を突きつけた。
「死ねばロミオ様の仲間入りできますよ?」
「……っ、お、お前……っ!?」
「兵士なんて諦めて、さっきの話を私に教えてくれたら、命までは取りません」
「さ、さっきの、ってなんだよ……」
「毒ガスの話です。教えてくださいますね?」
兵士二人は可愛そうなほど震えている。
これ以上は脅す必要などなさそうだ。
「そのまんまの意味だって!」
「お前、話すのか!?」
「じゃなきゃここで死ぬだけだろうが! ローガンス様は、村に毒ガスを使おうとしてる。あんたを殺すためだ!」
「村人ごと、ということですか」
「あ、ああ、そうだ。村のど真ん中で使えば、間違いなく全員死ぬ――待て、刃を押し付けるな! 俺らがやるわけじゃない!」
「ごめんなさい、少し苛立ってしまいまして」
メアリーは刃を納め、二人から距離を取る。
「どうぞ、逃げていいですよ。私は追いません」
兵士たちは青ざめた様子でメアリーを見つめ、じりじりと後ずさる。
そしてある程度のところまで離れると、「うわぁぁぁあああっ!」と叫びながら車を置いて走っていった。
彼らの背中を見送ったメアリーは、しゃがむと、死体の入った袋に手をのばす。
「頭蓋骨が焼け焦げて……魔術でやったとしか思えません」
魔術が使える人間といえば、真っ先に浮かぶのが貴族だ。
そして死体が纏う、アミたちのような安っぽい布の服――これが村人なのだとしたら。
「だから言ったんです、私は――」
自分の甘さに辟易し、血がにじむほど強く拳を握るメアリー。
彼女はこみ上げる自責の念をバネに駆け出し、村に戻っていった。
◇◇◇
村人たちは、家の中からその様子を伺い、にわかにざわつく。
全身を、灰色の重厚なプレートで覆われた
もちろん誰にも、それが何なのかなどわからない。
しかし漠然と嫌な予感はしていた。
アミは、窓の外を見つめる父の上着を、きゅっと握りしめた。
「お父さん……もしかして、メアリー様のことが……」
「そんなはずないだろう! 誰が話すっていうんだ」
「でもおじさん、来なかったんだよね……」
「あいつは私の昔からの友達なんだ、そんなことするはずがない。それに――メアリー様はもういないんだぞ?」
「そっか……メアリー様がいないのに、そんなことしたって仕方ないもんね……」
それでも不安は消えない。
アミの母も一緒になって、三人で固まって、その様子を見つめる。
周囲には、装置を設置する者たち以外の姿はない。
あれだけ歩き回っていた兵士たちも、どこにもいなかった。
そして設置が完了すると、機械鎧の兵士すらも離れていく。
近くにいた村人は、それに近づき、不思議そうに観察した。
すると装置はひとりでに変形を始め、塞がれていた“排出口”が開く。
プシュウウゥゥ――と、紫がかった煙が、一帯に放たれる。
「何か……出てきたぞ……?」
「怖い……」
「大丈夫よアミ、私たちがついてるからね」
身を寄せ合う家族の視線の先――装置の近くにいた村人は、直にガスを浴びていた。
最初こそ平然としていたものの、彼は怪訝な表情をしながら、体を掻きむしり始める。
はじめのうちは、ただ痒いだけだった。
だが繰り返すうちに、爪の間に皮膚が挟まるようになった。
血がにじむ。痒みを通り越してひりひりした痛みが生じる。
さらに続けていると、肉ごと削げた。
「あ……あ……うわぁぁぁああああっ! げほっ、げほっ!」
自らの腕の肉が、自らの手で抉られるその光景に叫ぶ男。
その拍子に、大量のガスを吸い込む。
咳き込むと、口から血を吐き出した。
何もしなくても、体の外側と内側が痛い。
かきむしっていないほうの腕を見る。
皮がなくなって、肉がむき出しになって、それすら溶けようとしていた。
指先に至っては骨がむき出しになり、ぽとりと爪が地面に落ちた。
「あ……ああぁああああああっ! たふけてっ、たひゅへてぇぇぇぇええええっ! げほっ、げぼぉおっ!」
髪が抜ける、歯が落ちる、声がかすれ、滝のように口から血があふれる。
「いや……いやあぁぁああっ……!」
アミは父の背中に顔をうめて、その光景を見ないようにした。
「あのガスに触れると、溶けるのか……?」
もはや毒というよりは、酸といったほうがふさわしい代物。
人体だけを分解する殺人兵器。
それこそが、ローガンスが用意させたものだった。
「アミ、お母さん、逃げるぞっ!」
「は、はいっ!」
父はアミを抱きかかえ、妻と共に家を出ようとした。
だが玄関を出ると、すでに紫色のガスは地面を覆い尽くしている。
中に入ってきそうになったので、父は慌ててドアを閉じた。
「逃げられないの? どうするのよ、お父さんっ!」
「わ、わからないよ私にも! だが……だが、アミだけは……この子だけは、なんとしても――!」
閉じきったドアの隙間からも、ガスは入り込んでくる。
すでに家の周囲は紫のもやに包まれ、逃げ場などはなかった。
◇◇◇
村の近くまで戻ってきたメアリーは、兵士の姿を見つけた。
おそらくは、村を巡回していた連中だろう。
「おい、二人来てないようだが連絡は?」
「取れません。もうガスは放たれてるし、手遅れですよ隊長」
「そうか、運のない奴らだったな……」
「案外、メアリー・プルシェリマにやられたのかもしれませんね」
「だからといって、ガスで村ごと潰すのはイカれてる。ローガンスには関わりたくない」
「同感です」
「俺たちはこのまま撤退するぞ。あとはローガンスの私兵に任せればいい」
「了解」
彼らが移動を始めるタイミングで、メアリーは身を隠していた茂みから飛び出した。
背後の音に気づき、兵士たちが振り返る。
「メ、メアリーだとっ!?」
とっさに銃を向けた兵士が三名。
メアリーはその兵士から先に始末する。
一人目――手のひらから骨針を射出、喉に命中。貫通。
二人目――かかとから骨を突き出し、地面を叩いてからの高速移動。手の甲から伸びるブレードで心臓を突き刺す。
三人目――背中から生やした腕で頭部を鷲掴みに、そのままひねって首をちぎる。
この間、一秒にも満たず。
次に銃を向ける兵士が出る前に、一瞬で三人が始末された。
その様を見た彼らは、怒るより先に恐怖する。
「嘘だろ……」
「む、無理だ……!」
「逃げろおぉぉおおおおおっ!」
戦意喪失――追ってもいいが、今はそのときではない。
メアリーは一瞥もせずに、倒れた死体の体を掴むと、ずるずると引きずって走り出した。
そして村の手前までやってきて、目の前に広がるガスに向かって死体を投げ入れる。
時間経過とともに、じわじわと死体の皮膚が溶け、肉がむき出しになっていく。
「こんなもの……!」
怒りに唇を噛むメアリー。
すでにガスは村を包みきっている。
中にいる、魔術師ですらない一般人は、おそらくもう――
「まだ……誰か、生き残ってるかもしれませんっ!」
メアリーは自ら、毒霧の中に足を踏み入れる。
紫のもやの中をいくら走っても、彼女の体が溶けることはなかった。
その毒が肉体を溶かすものだというのなら――メアリーの再生能力と打ち消し合うことで、彼女ならば問題なく行動が可能なのだ。
そして、村でメアリーは、地獄を見た。
「う……うぅ……あぁ、めありー……さ、ま……」
「痛いよぉ……いたいよぉ……たすけてぇ……」
毒は体を溶かすが、直接的に命を奪うものではない。
手足の先端部から順番に筋肉を溶かしていき、身動きできなくなった上で、じわじわと命を奪っていく。
その効果が内臓に至るのは、おそらく最後の最後だ。
「痛い……苦しい……お願いです、メアリー様……」
だから村人たちは、メアリーを見た途端に、すがるようにこう懇願した。
「殺してください」
メアリーは目を見開き、這いずる村人を見下ろす。
歯を食いしばり、口の端から血を流し――苦悩の末に、刃を突き立てた。
「ありがとう……ござい、ます……」
その言葉が唯一の救いだ。
そしてメアリーは胸部から“口”を引きずり出すと、死体を食わせる。
一度やってしまえば、あとはそれを繰り返すだけ。
それが可能なだけの覚悟は決まった。
だから――アミの家に向かう。
扉を開く。
食事をごちそうになったリビングに、二人はいた。
父が、かばうように母を抱きしめている。
しかし互いにもうドロドロで、血肉が混ざり合っている始末だ。
二人はぎょろりとむき出しになった眼球をメアリーに向け、口元に、笑顔のようなものを浮かべた。
『ああ、メアリー様』
声はもう出ない、だから唇の動きだけで読み取るしかない。
『来てくださったのですね、ありがとうございます』
『私たちにはもう何もできませんが』
『どうかアミを』
『あの子を、助けてくださいませんか』
父の視線が、メアリーの背後に向けられる。
そこには物置に続く扉があった。
急いで開くと、天井が開き、屋根裏に続いている。
登ってみれば、まだそこまではガスは至っておらず。
片隅で、少女が自らの体を抱いてガタガタと震えていた。
「アミちゃん?」
「メアリー……様……? あ、ああ、メアリー様あぁぁっ!」
ぼろぼろと涙を流しながら、四つん這いでメアリーに近づいてくるアミ。
メアリーはその小さな体をぎゅっと抱きしめ、頭を撫でた。
「無事で何よりです。すぐに逃げましょう」
「お父さんとお母さんはっ!?」
メアリーは無言で首を振った。
少女の顔が、絶望に染まる。
「やだ……やだよぉ……お父さぁん……おかあさあぁぁあんっ!」
「二人から、あなたのことを頼まれました。絶対に、生きて連れ出します!」
「う……ううぅ……うわぁぁぁあああんっ!」
メアリーは背中から生やした腕で、天井を破壊する。
そしてガスに長時間触れないよう、アミの体を抱いたまま、屋根を蹴って、高く飛んだ。
次も屋根の上に着地。すぐさま跳躍。
それを繰り返し、あっという間に村から脱出する。
ひとまずガスの広まっていない森に身を寄せると、胸に顔を埋めるアミからそっと体を離した。
「メアリーさま……? どこに、行くの……?」
「村人たちは、死にたくても死ねずに苦しんでいます」
「あ……お父さんやお母さんも?」
メアリーが頷くと、アミはうつむいて、唇を噛んだ。
だがすぐに顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃの顔で言った。
「彼らを楽にしてあげなければなりません」
「……そっか。そう、だね。そのほうが、いいよね」
自分に言い聞かせるよう、そう繰り返すアミ。
「わかった。お願い、メアリー様……痛いの、なくしてあげて。お父さんとお母さんを、救ってあげて!」
「ええ。すぐに戻ってきます、ここで待っていてください」
高く飛び上がるメアリー。
アミは彼女の背中を、泣きはらした瞳でじっと見つめていた。
◇◇◇
そうして、メアリーはまた地獄に戻ってきた。
周囲の民家から、いくつもの悲痛な声が聞こえてくる。
彼女は彼らを片っ端から殺して回った。
文字通り、死神になりきって。
苦痛に喘ぐ、血に塗れる、地を這い苦悶の声を漏らす、死を懇願する――罪なき村人たちを、皆殺しにした。
メアリー自身も涙を流しながら。
もちろん、その死体はすべて喰らい、糧とする。
「一緒にローガンスを殺しに行きましょう。それが――私にできる唯一の弔いです」
無人になった村で、メアリーはつぶやく。
彼女の体の一部となった屍肉たちが、湧き上がり、狂喜したような気がした。
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