011 暗雲、立ち込めて
メアリーの手を引いて走る少女。
彼女は、小さな家に両親と三人で暮らしているらしい。
「ま、まずはお名前を聞かせてもらえませんか?」
「アミ・ヘディーラ! 十二歳だよっ」
おおよそ見た目通りの年齢だ――それだけに、頬の傷が痛々しい。
あいにく、死神のアルカナには他者の傷を治す力はないので、メアリーにできることはなかった。
それからほどなくして家に着くと、ちょうど居間にいた彼女の両親は、メアリーを見てそれはもう驚いた。
二人同時に椅子から滑り落ちるほどに。
「ア、ア、アミ、その人はっ!?」
「メアリー様だよ、そこで会ったの!」
「そ、そんなっ、本物の王女様が来るなんてっ! ま、まずは……」
「お茶だ!」
「そうね、お茶をお出ししなくちゃっ!」
「あまり気を遣わないでください、長居するつもりはありませんから」
「そうは言われても、王女様相手に、何も出さないわけには……ああ、出したところで大したものは無いのですが!」
「なるべくいいものを使うんだぞ!」
「わかってます!」
二人の慌てように、さすがに申し訳なくなるメアリー。
こんな風に、平民の家を訪れることなど初めてだ。
メアリーは興味深そうに内装を観察した。
「はい、メアリー様。座って!」
「ありがとうございます、アミちゃん」
「んへへ、メアリー様に名前呼んでもらっちゃった……」
顔を赤らめ、もじもじと恥じらうアミ。
その嬉しさをエネルギーに変えるように、彼女は軽やかに飛び跳ねながら、母を手伝うべくキッチンへと向かった。
「元気な子ですね」
「お褒めいただき光栄です。贅沢もさせてやれないのに、明るく育ってくれてありがたい限りです」
腰掛けたメアリーは、ふとテーブルの上に置かれた新聞に視線を落とす。
一面には、『鮮血王女、皆殺す』との見出しが印刷されていた。
「これは……今朝の新聞ですか。もうこんな騒ぎになっているんですね」
「そ、それは当然です! あのスラヴァー公爵の跡継ぎが死んだんですから。我々の村はもうお祭り騒ぎですよ!」
アミの父が、緊張した様子で肩をぎゅっとこわばらせながら言った。
メアリーは思わず苦笑いする。
「お祭り、ですか。ロミオ様が死んだことは、そんなに喜ばしいことだったのですか?」
「当然です! メアリー様もご覧になられたでしょう、この村の廃れ方を。スラヴァー領は、近々公国として独立すると噂されるほど力を高めてきました。その原動力は、ご存知の通り――」
「軍事力、ですね」
「その通りです。ドゥーガンは軍事ばかりに力を入れ、私たち農民をないがしろにしてきました。それに従うように、この村を治めるローガンスも私たちから搾取するばかり。平気で暴力だって振るうどうしようもない連中なんです! 逆らおうにも、魔導銃すら買えない我々には逆らいようがない!」
兵士たちは当たり前のように持っている魔導銃だが、一般人にとってはかなり高価なものだ。
最新式ともなれば、この家ぐらいは建つかもしれない。
「さらに私たちを見下すように、あんな大きな建物まで作って……」
なるほど――と、メアリーは納得する。
確かに無駄に大きな建物だとは思っていたが、ロミオが死んだあのタワーは、周囲に住む平民にはそういう風に映っていたらしい。
事実、権威を誇示するという意味合いもあったのだろうから、ドゥーガンの思惑通りかもしれないが。
「そこに現れたのが、貴女なんです、メアリー様」
「私はただ、復讐をしただけで――」
「だとしても!」
男の目は血走り、語気は強まる。
迫力のある声に、キッチンでお菓子の準備をしていた母と娘は驚いた様子でこちらを見た。
「ロミオの死の報せが、どれほど私たちに勇気を与えたか! どれほどの希望をもたらしたか! 嗚呼、メアリー様、ドゥーガンを殺した暁には、我らを導いてはいただけませんか! 貴女ならきっと私たちの痛みも理解してくれるはずです。どうか、どうかっ!」
「お父さん、メアリー様にそんなこと言ったら失礼だよっ!」
「アミ、けれど私たちには今しかないんだ! 今、こうしなければ……!」
瞳に涙まで浮かべながら、必死の形相でメアリーに懇願するアミの父。
(アミの話を聞いた時点で嫌な予感はしていましたが……)
この国の格差が広がっている話は知っている。
だが、メアリーにはメアリーの目的があるのだ。
情にほだされ、歩みを止めるつもりはない。
メアリーは淡々と、事実だけを告げる。
「あなたがたの気持ちはよくわかりました」
「メアリー様……!」
「ですが、私は英雄になどなりません」
「なぜですか!?」
「これは復讐だからです。私は姉を殺されました。だからロミオ様を殺しました。そして姉の殺害を命じたスラヴァー公爵も殺します。ですがそれだけです。統治者を失ったスラヴァー領がどうなるかなんて、知ったことではありません」
「そ、そんな、無責任な……」
「はい、無責任ですよ。人殺しなんてそんなものです」
突き放すような言い方になるが――変に英雄視されるよりはずっといい。
仮にそれが、復讐に利用できるような相手なら考える。
だが彼らは農民だ。
仮に英雄としてメアリーを崇拝したところで、玉砕するぐらいの使いみちしかない。
それなら、関わらないほうがいい。
「だから、期待なんてしないでください。スラヴァー殿下が死んだあと、どうするかはあなたがたの勝手ですが、私が関わることはないでしょう」
「そんなことを言っても……どうせ、別の貴族が同じことを繰り返すだけだ……」
「お父さん、王女様の前でそんな顔、失礼だよ」
「しかし……」
「私たちが勝手に期待しただけなのに、押し付けるのはよくないと思うなっ」
思った以上に物分りのいいアミに、メアリーは少し驚いた。
彼女はメアリーのほうを見ると、八重歯を見せて、
「お父さんがこんなでごめんなさい、にへへ」
と無邪気に笑った。
◇◇◇
その後、どうにか立ち直った父親は、メアリーに謝罪した。
アミの言う通り、初対面なのに先走りすぎた、と。
メアリーも別に怒るつもりはない、ここで諦めてくれる彼らは、間違いなくいい人なのだから。
そして言葉に甘えて、昼食をごちそうになる。
畑で取られた芋を使った、決して豪華ではないし、味も薄いが、量はたっぷりの煮込み料理。
メアリーはそれをぺろりと平らげ、アミたちを驚かせた。
その後、メアリーは、さすがに恩知らずとは思いながらも、できるだけ早くこの村を出るつもりだったのだが――アミたちはそうは考えていないようである。
「今晩、宴を開こうと思っていまして。ぜひ泊まっていってください!」
「メアリー様の顔をみたら、みんな喜ぶよ! ね、お母さんっ!」
「ええ、王女様の口に合うかはわかりませんが、できる限りの料理も用意しますので。どうかお願いいたします」
どうにもこの一家は呑気――いや、浮かれていると言うべきだろう。
今も家の外では、兵士たちがメアリーを探し回っているというのに。
「長居はできません。兵士たちに私の存在が気づかれてしまえば、あなたがたも巻き込まれるんですよ?」
メアリーはそう言って、アミの頬の青あざを見た。
彼女は笑っているが、まだズキズキと痛むはずだ。
「それでも、我々には必要なことなんです! ひと目姿を見せていただくだけでも構いません。どうか、どうか!」
「そんなに頼み込まれても……」
メアリーは苦悩した。
娘は涙目で彼女を見つめ、父はすがりつき、母は額を地面に付けるほど頭を下げる。
元々、メアリーは優しい性格をしている。
いくら復讐に燃えているとはいえ、そんな彼女が、食事を施してもらった相手の願いを切り捨てられるはずもなく――
「……宴には、参加できません」
「メアリー様……」
「ですが、姿を見せるだけでいいのなら、ここに連れてきてください。終わったら村を出ます。それが食事を頂いた恩返し……ということにはできませんか」
「おお……十分です、それだけでも! 待っていてください、今すぐ、私たちがみなを呼んできますから!」
「念のため確認ですが、私の居場所を領主に伝えたりする人はいませんよね?」
「いるはずがありません! みなローガンスには恨みを持っています。誰があんな男に媚を売るような真似をするでしょうか!」
「でしたら――できるだけ目立たないようにお願いします」
「もちろん、もちろんですともっ! アミ、お母さん、急いで声をかけにいくぞ!」
大急ぎで家を出る三人。
その後姿に不安を覚えつつ、メアリーはため息をついて、カーテンの隙間から見える外の風景を見つめた。
わずかではあるが、外の畑の様子が見える。
素人目ではあるが――肥えた大地だとは思えない。
「国家を運営するにあたって、食糧の確保は最重要課題です。なのにスラヴァー公爵もお父様も、農民をないがしろにしている……」
最近は大規模な不作に見舞われていないため、なんとか国は回っているが――そのときがやってきたら、どうするつもりなのか。
メアリーは、フランシスが話していたことをふと思い出す。
『そうだね、私も問題だとは思ってる。でも、あの人が何も考えていないはずはない。あまり認めたくはないけど、王様なだけあって狡猾な人だよ、お父様は』
自嘲っぽく、彼女はそう語っていた。
メアリーもそう思う。
「何も考えていないはずはない。代わりの手段にあてがあるのか、それとも――食糧問題を二の次にしてまで、軍事力を高めることに意味があるのでしょうか」
どちらにせよ、メアリーがやることは殺すことだけ。
しかし――日に日に高まる軍事力の存在は、彼女にとっての障壁になりうる。
その理由がわかるのなら、知っておいて損はなさそうだ。
そんな考え事をしているうちに、早々にアミが村民を連れて戻ってくる。
「ほら見て、本物のメアリー様だよっ!」
「お……おお、本当にメアリー様が……! ありがたや、ありがたやぁ……!」
まるで神のように拝まれ、困惑しながらも、メアリーは義理を果たすために彼らとの対話をはじめた。
◇◇◇
「ここだけの話だが――メアリー様が、うちに身を潜めてる」
「本当か!? ロミオを殺したあの王女様が?」
アミの父もまた、近所の友人にメアリーのことを伝えて回っていた。
事実を聞くと、誰もが目をまん丸くして驚く。
だがすぐに、みなの瞳はまるで子供のようにキラキラと輝いた。
メアリーの存在は、代わり映えしない、底辺を這いずるような日々を切り裂く、希望の光なのだ。
「ああ。お前も会いたいだろう?」
「もちろんだ。だけど今すぐは難しい、後でいいか?」
「メアリー様は早いうちに村を出たいらしい、できるだけ早くにな」
「わ、わかった」
アミの父から話を聞かされ、彼を見送った中年の男は――すぐに走りだした。
彼の瞳にもまた、光が宿っていた。
ただし、その輝きは暗く、淀んでいる。
やせ細った足を必死に動かし、息を切らし、ときにつんのめりながらも、ろくに整備されていない道を懸ける。
「……へへっ、そりゃあそうするだろ。早いもん勝ちなんだからよぉ」
そして彼は、ローガンスの屋敷の前までやってくる。
立ちはだかる、時代錯誤な全身鎧の門番が、彼に槍を向ける。
男は両手をあげて、敵意がないことを示すと、こう告げた。
「待ってください。あっしはローガンス様に、メアリーの居場所を伝えに来たんですよ!」
男の媚びた笑みを睨む門番だったが、ローガンスから許可が出たのか、『中に入れ』と顎で指示をだす。
別に兵士に連れられ、敷地内に足を踏み入れる男。
そのまま屋敷に入り、金装飾の扉をくぐって――ローガンスと対面した。
両手に指輪をじゃらじゃらとつけ、派手なスーツに身を包んだ、金髪の小太りな男性。
金装飾の多い内装といい、誰から見ても成金趣味なのは明らかだった。
足を組んで座る彼は、部屋に入ってきたみすぼらしい男をみるなり、「ふん」と鼻で笑った。
「奴の居場所を知っているそうだね」
「へ、へえ。ヘディーラってやつの家に潜んでるそうで」
「そうか……でもおかしな話だ。ロミオ様を殺したメアリーは、お前たちにとって救世主だよね?」
「そんなことはありませんよ! あっしらは、ローガンス様やドゥーガン様のおかげで生活できてるんですから。へへっ」
「でも、お前が僕にメアリーの情報を渡したのは、褒美を期待してのことだ。違うかい?」
「そ、それは……へへ、いただけるもんは、いただきたいですねぇ……」
「はははっ、正直なやつだ。プライドが無くて、実に惨めで、平民らしい。一周回って僕は好きだな、君みたいなゴミ」
「へ、へへっ、へへへへっ、あ、ありがとうございます」
見下されても、罵倒されても、男はひたすら媚びた。
彼とて、アミたち同様、ロミオやローガンスのことは嫌いだ。
だがヘディーラ家の人間ほど、メアリーの存在に救いは見いだせなかった。
それより、情報を売って自分が得したほうがいい――そう判断したのである。
無論、それを見抜かぬローガンスではない。
人としての尊厳すら捨てた畜生以下のゴミ、彼が男を見る目はそういう類のものである。
「ところで、君……アナライズぐらいは使えるよね?」
「ま、魔術ですか? ええ、それぐらいでしたら」
「使って、僕を見てよ。ほら、魔術評価はいくつって出てる?」
「……1574、と出てます。へ、へへ、すごいですね。さすがは貴族様だ。魔術師としても一流でいらっしゃる」
「そう、僕はそこらの雑兵と違って、高貴な血を引いているからね。魔導銃を使わずとも魔術だって使える。こんな風に――」
ローガンスは男に手のひらを向け、光弾を発射した。
それは彼の頬を掠め、背後の壁を焼く。
「っ……は、ひっ……へへ、ローガンス様は、冗談がお好きでいらっしゃるんですねぇ……」
「僕の放つ高貴な光は、金塊にも等しい価値を持つ」
「へ……え……?」
「君にはもったいないぐらいの褒美だと思わないか」
「そ、そんな、待って――」
二発目は――今度こそ、男の顔面に命中した。
ジュワッ、と一瞬にして皮は溶け、肉は爛れる。
首から上だけ骨をむき出しにした男は、断末魔もなく横に倒れ、息絶えた。
「おい、誰かこのゴミを片付けてくれ!」
ローガンスが指示を出すと、すぐさま兵が現れ死体を持ち出す。
さらに別の兵に、彼は命じた。
「ああ、それと例の兵器、用意しといてよ」
「かしこまりました。ですがあの兵器は――」
「使えば村人が全滅する、って?」
ニイィッ、と白い歯を見せて笑うローガンス。
「いいじゃない。メアリーが死ねばドゥーガン様は褒めてくださる。お釣りがくるぐらいの褒美だって貰える。それで僕も晴れて、こんなクソ田舎から解放されて、キャプティスに屋敷を構えられるってわけだ」
領都は目と鼻の先にあるのに、自分が統治するのはこんな寂れた農村――彼の胸中に渦巻く、そんなコンプレックス。
おそらく成金趣味の数々は、その発露なのだろう。
「そのためなら、何十人かの犠牲なんて安いもんだよ。彼らも僕の踏み台になれて、あの世で涙を流しながら喜んでくれるんじゃないかなあ。うひひひひっ」
ローガンスは口元を歪め、腹を震わせながら、引き笑いを響かせた。
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