010 死体を喰っても腹は減る
スラヴァー邸襲撃後、メアリーは一旦、領都キャプティスを離れた。
あまりに多くの兵士が集結しすぎたせいだ。
「派手に暴れすぎましたね、次からはもっと静かにやらないと」
結局、本邸にスラヴァー公爵はいなかった。
メアリーも期待していたわけではないが、肩透かし感は否めない。
それに、
スラヴァー公爵の首を取れないのはもどかしいが、所在がわからない以上、まず必要なのは情報。
ひとまず、キャプティスに近い農村へやってきたメアリー。
ロミオを殺害した、あの高層建築物が見える程度の距離だ。
安い木材を使った小さな家が点在する町並みを眺める。
およそ同じ領内にある村とは思えないほどのギャップだ。
しかし、そんな田舎村にも、スラヴァー軍の兵士はすでに配備されている。
「一日足らずで、ここまで沢山の兵士を展開するなんて。さすがスラヴァー公爵ご自慢の軍隊さんです」
この家の影に身を潜めてから五分ほど、すでに何人もの兵士が前を通っていくのを見かけた。
兵士たちは誰もが、最新型の魔導銃を手にしている。
「マジョラーム・テクノロジー社製のお膝元だけあって、装備も充実しています。あの程度の銃なら気にする必要もありませんが、おそらく大型兵器も出てくるはず――」
スラヴァー領の経済を支えているのは、領内にある鉱山と、マジョラーム・テクノロジーである。
第二王女であるメアリーも、何度かその幹部と会ったことがある。
今後、ロミオの妻となるのなら、その関係もさらに深まったのだろうが。
「ですが逃げるわけにはいきません。お姉様を殺した奴をこの世から消し去るまで、退くことは許されないのですから……」
身を隠すメアリーの前を通り過ぎていく兵士たちは、いわばスラヴァー公爵の手足。
見れば見るほどに、憎悪がこみ上げてくる。
メアリーはガリガリと親指の先をかじる。
肉を潰し、骨を削り、口元を血で汚しながら。
だが噛みちぎられた傷口は、アルカナの力によりすぐに再生した。
それだけかじっていれば、腹も溜まりそうなものだが――彼女の腹がぐぅ、と鳴る。
あいにく、そう都合のいい体にはなっていないらしい。
メアリーは悲しげにお腹をさすった。
「……お腹がすきました。こんなときだというのに……死体を食べてもお腹はふくれませんし」
彼女はロミオを殺害してから、一度も食事を摂っていない。
加えて、アルカナ使いとして覚醒してから、どうにも体のエネルギー消費が激しいように感じる。
以前は少食で、多少の食事を抜いたところで、ここまで強い空腹感に襲われることはなかったのだが、先ほどの屋敷の襲撃だけでも、かなりの熱量を消耗した実感があった。
メアリーがこの場所にやってきたのは、どこかで食料を調達できないかと期待してのことでもあった。
「こうも兵士が多くては、食べ物を探すこともできません。いっそ減らしてもいいですが――」
殺意を向けてこない相手を殺すつもりはない。
だが一方で、別に命を大切にしたいとか、そんな下らない倫理を語るつもりはなかった。
できるだけ殺したくないとは思っているが、それは、そのほうがスラヴァー公爵を殺すのに効率がいいと判断したまでのこと。
「どうせ殺すのなら、誰にも気づかれずに。うまくできるでしょうか」
緩んだ殺気が、再び強まる。
捕食者の瞳が、離れた場所にいる兵士の姿を捉えた。
人数は二人。
歩くだけで威圧感のある、大柄の男性だ。
彼らは手にした銃をぶらぶらさせながら、気だるそうに駄弁っていた。
「大体よぉ、こんな田舎に潜んでるわけねーだろっつの。屋敷が襲撃されたのもついさっきなんだろ?」
「いいだろ別に、手当は出るんだ」
「俺としては、一回ぐらい顔を拝んでおきたいのよ。アルカナ使いなんだ、ご利益とかありそうじゃん」
「あるかよ。死んで終わりだ」
「いくら死神つっても、遠巻きに見るぐらいじゃ死なねえって――ん?」
「あうっ!」
男の体に、前方から走ってきた少女がぶつかる。
茶色いぼさぼさの髪をした、十二、三歳ほどの彼女は、尻もちをついた。
「あいたたた……ごめんなさい兵士さんっ、私、急いでてっ!」
「そうかい。ほら立ちな、お嬢ちゃん」
兵士は手を差し伸べる。
少女がそれを握ると、彼は彼女を引き上げ――その勢いを利用して、自らの膝を顔面に叩き込んだ。
「あぐぅっ!?」
「いぇーい、クリーンヒットォ!」
吹き飛ばされ、倒れ込む少女。
「――!」
その様子を見ていたメアリーは目を見開いた。
「おい、お前何やってんだよ」
「ストレス解消だ。ここにいるの全員平民だろ? 俺ら兵士なら一人か二人うっかり殺したって怒られねえよ」
「それはさすがに……いや、メアリー・プルシェリマと間違えましたって言えば行けるか。同じ女の子だもんな」
二人は、戯れに、何の罪もない少女を殺そうとしている。
「あ……あぁ……ぁ……」
少女は頬を抑えながら後ずさる。
兵士たちは彼女に近づくと、銃口を顔に向けた。
「つうわけで、ちょっとお兄さんたちと遊ばない?」
「安心してくれ、しばらくは殺さないでやる」
「最後は殺すけどなァ!」
「い……いや……いやぁぁぁああああっ!」
少女は立ち上がり、前のめりに走り出す。
兵士は笑い、銃の狙いを脚部に定め、引き金を退いた。
「バァンッ!」
放たれた魔力の弾丸は、少女の足に迫り――立ちはだかったメアリーのドレスに弾かれた。
「……何? 誰だ、お前!」
「待て、あの顔――まさかメアリー」
メアリーは両方の手の甲から、皮膚を突き破り、骨の針を生やす。
地面を蹴り、即座に二人に接近。
「痕跡を残さずに殺すには」
針を彼らの胸部に突き刺し、
「は、はや――」
「おごぉっ!?」
射出。
骨針は体の中に埋まり、心臓付近にとどまる。
「できるだけ血を流さずに殺し」
そして肉体の中で
「あ……お、ご……ぷっ……」
瞳から光が失われ、口から泡混じりの血が吐き出される。
「倒れる前に、綺麗に食べてしまえばいい」
メアリーは両手を、骨で作った巨大な“口”に変化させ――丸呑みにするように、頭部から二人の体を飲み込んだ。
口内に全身を、血をこぼさぬよう、初めてそこで
ごりゅっ、ぶちゅっ、ぐちゅっ――グロテスクな音を響かせながら死体を食らうメアリーを前に、足を止めた少女の顔は青ざめた。
食べながら、メアリーは振り返り、少女に微笑みかける。
「災難でしたね。兵士がいる間は、あまり出歩かないほうがいいと思いますよ」
「あ……あなた、は……」
そう問われ、スカートの端をつまんで挨拶しようとするメアリー。
しかし手がこの有様では難しい。
彼女は噛み砕いた死体をごくんと飲み込み、体内に完全に取り込むと、骨を消す。
そして完全に破壊された腕を再生させ、改めてスカートの端をつまんだ。
「メアリー・プルシェリマと申します。ひょっとすると、言わずともご存知かもしれませんが」
「う、うん、存じ上げてるよっ!」
急にかしこまる少女に、思わず笑うメアリー。
すると少女の緊張もほどけ、逆に笑顔を見せてくれた。
「出会って早々にあのような姿を見せてしまいましたが、怖くはないのですか?」
「怖い、けど……それ以上に、嬉しくって。だってメアリー様は、私たちにとってのヒーローだから!」
「ヒーロー?」
「うん! スラヴァー公爵から私たちを救い出してくれるヒーローなのっ!」
想定外の話の展開に、眉をひそめるメアリー。
しかし少女はそんなことお構いなしに、彼女の手を握る。
「またあの兵士たちが来るかもしれないし、よかったら私の家に来てよ!」
「いえ、さすがにそれは――」
「もうじきお昼だし、一緒にご飯食べよ? みんな、メアリー様が来たと知ったら大喜びするよっ」
ちょうど腹も減っていた。
なのでありがたい申し出なのだが――困惑しつつも、メアリーは少女に手を引っ張られて、彼女の家へと向かった。
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