第18話 消えた壁と現れた匂い

目が覚めた俺は、目の前で起きた惨劇を思い出し、フレイに背中を摩って貰いながら、盛大にゲロを撒き散らした。元の世界なら、こんなに優しくしてくれる同級生なんて居なかっただろう。遠くから汚い者でも見るような目で見つめていたに違いない。


「大丈夫です!全部出しちゃえばスッキリしますから!」

「あ、ありがとぼろぉぉぉぉ」


 俺はフレイに感謝の言葉を述べながら、再び地面に嘔吐してしまう。その間他の三人はと言うと、先の戦いで討伐したゴブリンやボブゴブリンの頭部から耳を切り取っていた。


 作業が終わると、三人は魔物達の一部を詰め込んだ袋を手に持って、嬉しそうに笑みを浮かべながら俺達の元へ歩いてきた。


「いやー、一時はどうなるかと思ったけど、ナオキのお蔭で助かったな!」

「本当です!私が『プロテクト』かける必要無かったですね!!」


 そう言ってミリアさんとルーシーさんは笑いながら俺を褒めてくれた。


 なぜ俺がボブゴブリンに何発殴られても平気だったのか。その理由はハッキリと分かっていない。


ミリアさん曰く、彼女が俺にかけてくれた『プロテクト』という魔法は、自分の防御力を高めてくれはするものの、ボブゴブリンの攻撃を受けて平然としていられるほど、優れた効果を発揮してくれるわけではないそうだ。


「いやー、皆がゴブリンを倒してくれたお陰ですよ!俺なんて、ただボブゴブリンの攻撃を受けてただけですから!」


 照れ笑いを浮かべながらそう告げると、背中を摩ってくれていたフレイが思い切り俺の背中を平手で叩いた。バチーンと物凄い音が鳴り響き、俺の背中にはジンジンと鈍い痛みが押し寄せてくる。


「何言ってるんですか!ナオキが居なかったら、フレイはあのまま死んでましたからね!もっと自分に自信を持ってください!じゃないとフレイは怒りますよ!!」

「わ、分かったよ!」


 俺が渋々両署の返事をすると、フレイはフンと鼻を鳴らして再び背中を摩り始めた。


こうして、俺達は無事にボブゴブリンを退治することが出来たのだ。


 そしてその日の夜。ルノー村でゴブリン討伐の祝勝会が開催された。水源を取り戻せたことで歓喜の踊りを踊る村人達。ルーシーさんから戦いの詳細を聞いて、俺に向かって泣きながら拝み始めた時はかなり困った。


 いずれにしても、村人達の暮らしを確保できて本当に良かった。明日からまた土地神として頑張っていこう!


 とまぁこんな感じで終わってくれればよかったのだが、そうは問屋が卸さないのがこの世界である。


村人達が喜びの舞を踊っている最中、俺はエイリスさんと二人きりで席に座っていた。


 頬を紅くさせて、上目遣いで俺を見つめてくるエイリスさん。良い雰囲気?そんなこという奴はさっさとお家に帰んなさい。俺は今絶賛お子守りタイムなんだ。


「ヒック……ずるいれす!わたしはあんなの、みとめませんからねぇ~!?」

「うんうん。そうだね。俺もずるいと思うよ」


 右往左往するエイリスさんの目を見つめながら穏やかな声で俺は答える。


 この村には酒なんて無かったはずなのに、一体何処から持ってきたのか。エイリスさんは完全に酔っぱらっていた。まだ17歳の彼女が飲酒をしているというのに、『戦乙女』のメンバーも村人も誰一人として咎めようとしないところを見ると、この世界では未成年の飲酒は法律違反では無いらしい。


「たしかにすごかったですけど~……やっぱり、神様をじしょうするのは、よくないれす!はんせいしてくらさい!!」

「はいはい。反省しております」


 彼女にとって神様という存在がどれだけのものなのか計り知れないが、もう面倒だからエイリスさんの前で土地神を自称するのは止めにしようと思う。


 そんな感じで面倒くさそうに頷く俺をジッと見つめるエイリスさん。暫くそのまま俺の顔を見ていたかと思うと、怪訝な面持ちで首をかしげながら俺に問いかけてきた。


「きになったんれすけど。なんで貴方みたいな人が、こんな辺境の村にいるんれすか?その力があれば街に行っても、王都に行っても成功するはずれすよ?」


 彼女の質問に俺はどう答えるべきか一瞬迷ってしまう。言い方は良くないが、俺は好き好んでこの村に居続けているわけではない。勿論、村人達や畑に対して情が無いわけではない。ただ元の世界に帰るために、俺は一刻も早く街に行きたい。


 だがしかし、神様に対してただならぬ思いを秘めているエイリスさんだ。ここで神様を自称している俺が、村人を置いて街に行きたいという発言をしてみろ。それこそ彼女の機嫌を損ねること間違いなしだ。


「あーそれはですね。俺はこの辺りの土地から移動できないようになってるんです。だから街に行くことも出来ないんですよ」

「なんれすかそれ!もしかして、トルネアの領主に弱みでも握られているんれすか!?」


 俺の発言で変な勘違いをしたのか、エイリスさんは怒りを露にしてコップを机に叩きつけた。俺は慌てて本当の事を彼女に伝えてやる。


「違いますよ!俺が土地神だからだと思うんですが、自分の管理している土地から離れすぎることが出来ないんです。透明な壁みたいのがあって、その先に進めなくなってるんですよ」

「……」


 俺がそう告げると彼女は再び黙り込んでしまった。納得のいかないような表情を浮かべたかと思うと、今度は急に立ち上がり俺の手を掴んできた。


「ちょ、エ、エイリスさん?」


 突然の事に思わず立ち上がる。エイリスさんの手は凄く柔らかかった。剣を振っているからか、掌には少し豆のような固さもある。なんか、花の匂いまでしてきた気がする。


 ってそんな場合じゃない。


 俺は何とかじゃ念を振りはらい、エイリスさんの顔に目を向けた。彼女は俺と目が合った瞬間、力強く俺の手を引っ張り、そのまま村の出口に向かって歩き始める。そのまま着いていくとエイリスさんがたどたどしい言葉で話し始めた。


「納得できましぇん!いまからわらしとその壁まで一緒にいっれくらさい!!本当にそんな壁があるのかどうか、わらしが確かめてやります!!」

「えええ、今からですか??ちょ、ちょっと待っていてください、エイリスさん!!」


 俺の制止を聞かず、エイリスさんは歩く速度を速め村の出口に向かっていく。そして村の外に出た瞬間、バハマの街の方角に向かって勢いよく走り始めた。


 もはや彼女を止めることは出来ず、俺は彼女に引っ張られるがままに走り続けた。


 走り続けること1時間。村から10キロほど離れたところで俺はエイリスさんに向かって叫んだ。


「もうそろそろ壁に着きます!!だから走るの止めてくれませんか!!ぶつかったら多分滅茶苦茶いたいんでぇ!!」


 この速度で突っ込んだら、俺は間違いなく壁との衝突で鼻血を出す自信がある。だが俺の言葉も聞かず、エイリスさんはそのまま走り続けていく。


「どこれすか!!何処がその壁なんれすか!」

「だからもう少し先ですって!あと少しで壁ですから!お願いだからもうちょっと速度落としてください!!」

「なんでれすか!!このまま走れば、勢いで通れるかもしれませんよ!!」


 エイリスさんはそう言うと、なんともう1段階走る速度を上げてしまった。もう目と鼻の先には、村人に建てて貰った目印の看板が見えている。


 100m、80m、50m……


「そこです!!そこそこそこ!!お願いだから止まって!!うわぁぁあぁ──」


 最後の力を振り絞り、エイリスさんの右手を振りほどいたがもう遅い。俺の体は壁に目掛けて一直線に進んでいき、衝突する。


 筈だった。


 受け身を取ろうと突き出した両手が、壁のあった場所をすり抜けていく。そのまま俺は目のめりに倒れこみ、地面をコロコロ転がっていった。


「はれ?壁がない!!なんで!どういうことだ!!」


 予想外の出来事に面食らっている俺の元へ、走って戻ってくるエイリスさん。彼女は少し怒ったように頬を膨らませた。


「ほらやっぱり嘘じゃないれすか!壁なんて何処にも無いれすよ!!」

「いや、本当にここですって!目印に看板が立ってるじゃないですか!!」


 そう言って目印に建てていた看板を指さす。エイリスさんは看板の元へと歩いていき、書かれた字に目を向ける。読み終えたエイリスさんは、物凄く不満そうな顔をしていたが、俺の言っている事には納得してくれたようだった。


「ここに壁があったことは分かりました!!でもじゃあなんれ今無いんれすか!!説明してくらさい!!」

「俺だって分からないですよ!!確かに数カ月前まではここに壁があったんです!バハマの街に行くには、土地レベルを3に上げないといけないって言われて……」


 そこまで言って俺は気づいた。土地レベルが3になればバハマの街に行けるようになる。この文字を読んで俺は誤解していたのだ。移動可能範囲を広げるには、土地レベルを『3』まで上げないといけないと。


「そうか!!土地レベルが2に上がったから、移動可能な範囲が広がったんだ!!」


 隣に座ってゲロを吐きそうにしているエイリスさんを横目に、俺は喜びの声を上げた。明日からまた一段と忙しくなる。


 そよ風に乗って漂ってくる美女の異臭と共に、俺は明日に向けて決意を新たにしたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る