第20話

 翌日ダブケリスが屋敷を出ると使用人たち全員を休暇とし、残ったのはルイスだけとなった。また少年が侵入してくるかもしれないので、常に槍を持って警戒していたが、その気配すらなかった。

 さらに翌日、ダブケリスが帰ってきたのはもう夕刻になってからだった。彼は静まり返った屋敷に首を巡らす。

「帰った。ふむ。人気のない屋敷というのは、なかなかに不気味なものだな」

「ダブケリス様。今日、来ると思いますか」

「わからん。まあ気長にな」

 簡単な夕食を終えると、ダブケリスは自室で過ごす。ルイレは槍を手に、屋敷の外の見張りをする。深夜になるとダブケリスはベッドに入ったが、ルイレは不寝番を続けた。

「……」

 ダブケリスの目が開かれた。

 カーテンの隙間から月の光が射し込んでいる。ベッドから出ると靴ではなく、ブーツに足を入れて入念に紐を締める。ブーツを履いているにも関わらず足音を鳴らさず壁まで歩く。そこには槍が置かれている。

「ふむ……」

 槍の柄を、老いた、しかし長年の鍛練で硬くなったままでいささかも衰えていない指が握る。

「ダブケリス様?」

「来たようだ」

 それだけを言って歩き出す後をルイレは慌てて追いかける。

 初夏の夜はまだ肌寒かった。二人は言葉なく歩く。満月が白く照らす、いつもルイレが稽古している場所に、すでに麦色の髪の少年は立っていた。

「私と手合わせしたいというのは君かな」

「はい」

 少年の影がダブケリスのほうへのびている。髪の毛が月光で銀に輝き、表情は影になっていて見えない。

 ダブケリスが動く前にルイレが前に出た。

「まずは私が相手だ!」

 少年はすらりと剣を抜いた。正面に両手で構え、両足を前後に背筋を真っ直ぐ立てる。ダブケリスもわずかに声が出るほどの、見事な基本の見本そのものだった。

「名前を教えてもらえるかな」

「ゼッジ」

 それが合図だった。ルイレが踏み込み、ゼッジが受ける。

(なんとまあ)

 ルイレは基本に忠実な槍使いといえるが、その動きに工夫はあり、フェイントを混ぜた槍の動きは変幻自在である。それを基本に忠実でしかないゼッジが、全て防いでみせるというのが異様であった。

(たしかに動きの起こりを見せないのは上手い。が、それだけだ。剣の基本の型を完璧に身につけているが、それだけでルイレが遅れをとるのはあり得ない)

 ルイレの槍先がピクリと動き、停止し、左右に幻惑する。しかしゼッジの剣はそのフェイントに全く反応しない。的確に虚実の実だけを対処する。

(少年の剣に虚が存在していない。何だこの歪さは)

 武の頂点を極めたダブケリスだからこそ理解する歪み。基本というのはそこに足すものであり、それだけで完成するはずがないのだ。

 寒さではないものが、猛将の背中の産毛を撫で上げる。

 勝者はゼッジだった。

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