15 マグナム完売
夕焼けの赤に染まった湖の上を、キラが漕ぐ木船が進んでいく。少し顔を火照らせたマーリカが、気持ちよさそうに目を閉じた。
「うーん、いい汗掻いたわ!」
今朝搬出した商品は、ほぼ完売となった。領民の帰りの船は軽い。【マグナム】に至っては即完売となってしまったので、明日からまた暫くはせっせと魔具作りに励むことになっていた。
だが。
キラと二人の作業は全くもって嫌ではないが、マーリカには困ってしまうことがひとつあった。
魔具制作中はずっとキラに抱きついてないといけない為、かなり疲れる作業なのだ。心臓が延々と爆速で鳴り続けているので、マーリカの魔力が空に近くなる頃にはぐったりしてしまう。
キラは「お嬢、どうしたんです?」とあっけらかんとして尋ねてくるので、マーリカがくっついていようが何も感じていないらしい、というのがマーリカの認識だった。
あまり意識されるともっと照れてしまうが、全く相手にされていないと分かると、それはそれで悲しい。
そんなマーリカの思いを知ってか知らずか、キラが苦い顔をして小言を始めてしまった。
「お嬢。普通の令嬢は、市場で木箱の上に乗って口上を述べたりなんかしないの分かってます?」
キラの制止を聞かなかったことを、まだ根に持っているらしい。だが、マーリカにはマーリカの言い分があった。
「普通にやっていたんじゃ売れないかもしれないでしょう。他がやっていないことをやっていかないと、一歩先には進めないわよ」
マーリカが珍しく真っ当な意見を述べたので、キラは不機嫌な表情は変えないまま口を閉じる。
するとマーリカは、急にクスクスと鈴の音を転がす様な笑い声を上げ始めた。訝しげな目でキラが見ても、マーリカは片手で口を押さえながらまだ笑い続ける。
「お嬢? 変な物でも拾って食べました?」
「ちょっと失礼ね! さすがの私も拾い食いはしないわよ!」
「どうだか」
全く信用していなそうな目で見られたマーリカは、それでも可笑しそうに頬を緩ませたままだ。
「……本当、どうしたんです?」
キラが心配そうな顔に変わってしまったので、マーリカはようやく笑いを収めると、ポツリ、ポツリと説明を始めた。
「そうじゃないの。私ね、領地を水浸しにしてから、ずっと何とかしなきゃ、何とかしなきゃって思っていたから」
マーリカの言葉を聞いて、キラがハッとする。
「お嬢……」
「だけど、こうして何とか魔具という糸口を見つけられたでしょう。気になっていた売れ行きも好調だったから、ほっとしちゃったの」
ムーンシュタイナー卿も領民も、領地を湖に変えたことは「仕方がない、燃えるよりはよかった」と言ってくれた。だが、領民は家も家財も何もかも失い、思いもよらぬ共同生活を余儀なくされている。
手に職を持っていた者たちも、本来の仕事に復帰出来る目処は立っていない。一体いつまでこの生活は続くのかと全く思っていないとは、マーリカには思えなかった。
もう少しうまく立ち回れなかったのか、他の方法は本当になかったのか。これまで幾度もマーリカは考えたが、やはり思いつかなかった。だからあれは間違っていなかったと思いたかったが、それでも時折誰かがぽろりと現状に不満を漏らすと、やるせない気持ちにならざるを得なかったのだ。
「年内一杯踏ん張れば、納税も出来て、もしかしたら黒竜が作った魔泉にも封印を施す費用も手に入るかもしれないでしょう? そこからはまたいちから立て直しになるとは思うけど、でももしこのまま同じ様に売れたら、もしかして元通りに戻せるんじゃないかって思えたの」
すると、キラが突然櫂を漕ぐ手を止める。
「お嬢ってば、全く……」
キラはそのまま、向かいに座るマーリカに手を伸ばした。船が揺れてマーリカが思わず身を屈めると、マーリカの頭にポンとキラの手が乗る。
キラの固い手が、ヨシヨシと暫く撫でた。そのままするりと手前に移動すると、マーリカの髪を掴む。膝の上にあったマーリカの手の上に髪を掴んだままの手を置くと、キラは相変わらずツンとした顔をしてマーリカを正面から覗き込んだ。
「責任感じるなって言ったでしょうが」
キラの言葉に、マーリカは弾けた様に顔を上げる。進むのを止めた木船が、左右にギ、と揺れた。
「でも、私が」
「お嬢がいなかったら、領地は燃えてなくなってましたよ。間違いなくね」
キラの手が髪の毛を離すと、ぐっと握り締められたマーリカの拳を上から包む。
「お嬢はムーンシュタイナー領の命を救ったんです。お嬢が守ってくれた命をどう延命させて生き永らえさせるかは、お嬢だけが考えることじゃないです。領の全員が一丸になってやるべきことなんですから」
「キラ……」
マーリカの緑色の瞳が潤むと、キラは眩しそうに目を細めた。
「ムーンシュタイナー卿も俺も、それに勿論領民も皆、お嬢には感謝してるんです」
マーリカの頬を伝う涙を、キラの節くれだった指がそっと掬う。
「それに俺はあの時、お嬢にもしものことがあったらと考えて、でも俺の魔力じゃ歯が立たなかったんです。その時に嵐みたいにやってきた水魔法が目の前の炎をどんどん消していってくれて、俺がどれだけ神に感謝したか」
キラがクス、と小さく笑いかけた。
「急いで城に戻ってお嬢の元気な姿を見たら、ホッとして腰が抜けてしまいました。しかも、まさかあれがお嬢の唱えた水魔法だったなんて。俺がどれだけ驚いたと思います?」
「え? あ、あれってそういうことだったの?」
マーリカは、ずっとあれは「何をしてくれたんだ」という意味に捉えていた。でもこの感じではどうやら全然違ったらしい、とマーリカは安堵から更に涙を流す。
「やっぱり勘違いしてましたね? だからお嬢の所為じゃないって何度も言ったのに、ちっとも信じてくれないんだから」
「だ、だって……」
マーリカが水浸しにしてしまったのは事実だから、皆領主の娘だからそう言っているのかと思っていたのだ。
「……お嬢、無事でいてくれてありがとう」
キラの青い瞳が、マーリカの目を捉えた。その瞳に反射する夕日が眩しくて、マーリカは何も言えなくなってしまい、こくんと頷くことしか出来ない。
するとキラは、マーリカを真っ直ぐに見つめたまま、何故か言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「……お嬢。必ず、必ず俺が何とかしてみせますから。だからその、うまくいったその時は――」
「その時は……?」
キラが珍しく緊張を顔に浮かべ、唾を呑み込んだ。なんだろう、とマーリカがキラの言葉を待っていると。
「だから、その時は……っ」
「こら――っ! クソ生意気従者! お前なにマーリカの手を握ってるんだああっ!」
「……ちっ」
後ろから聞こえてきた怒鳴り声に、キラは思い切り舌打ちをする。実に嫌そうな顔をして、マーリカの背後を睨みつけた。
ギッコギッコと櫂の音を立てながらこちらに向かってきていたのは、マーリカたちが乗っているものよりひと回り大きな船だ。
「なんでアイツ今頃来てるんですかね」
「さあ?」
マーリカとキラの目は死んでいる。
「マーリカ! この僕が来てやったんだぞ! 喜べ!」
「……」
安定のよさそうな船の船首に片足を乗せ格好つけているのは、隣領のシヴァ・ナイワールだった。
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