14 商魂が逞しい

 現在マーリカは、キラが漕ぐ木船の上で涼やかな初夏の風を全面に受けていた。木船は乗れてせいぜい三人までの小さいものだが、キラが風魔法を掛けている為、進みは早い。


「お嬢、帽子を被らないと日焼けしますよ。照り返しが強いですから」


 膝の上につば広の帽子を乗せて目を閉じ風を感じていたマーリカに、キラが淡々とした口調で言った。


「気持ちいいからいいじゃない」


 魔魚が泳ぐ黒竜の湖だからといって、特別生臭くも禍々しくもない。水自体も鳥が飲みにくるくらいだから、飲料水として全く問題なかった。一度熱してはいるが、領民も普通に飲んでいる。


 そんな水面上に吹く澄んだ空気は、単純に気持ちよかった。


 だが、キラはまだ気になるらしい。


「俺、治癒魔法は得意じゃないですよ。お嬢は肌がすぐに赤くなるでしょ」

「別に構わないわよ」

「……俺が構うんですけどね……」


 キラはその後もブツブツ呟いていたが、マーリカは気にしないことにした。皆が日光を浴びながら懸命に働いているというのに、自分ひとり日陰に隠れるのはなんだか違う気がしていたのだ。


 マーリカだってムーンシュタイナー領の人員のひとりだから、皆と肩を並べて仕事がしたい。


 それにしても本当に気持ちいい、とマーリカは眩しさに目を細めた。


 ムーンシュタイナー領が水没しておおよそひと月が経ったが、マーリカが城を取り囲む湖の外に出るはこれが初めてだ。


 領民の避難に伴い急遽始まった共同生活に全員が慣れるまで、大小様々な問題が発生した。基本ムーンシュタイナー領の領民は慎ましい生活に慣れている上逞しいので、多少不便だからといって不平不満を言う者は少ない。その為、混乱はキラたちが危惧していたほど起こらず、次の問題、金策へとすぐに着手することが出来た。


 それでも、緊急事態がやがていつもの日常に変わるまでひと月かかった。今日は記念すべき名産【マグナム】のお披露目の日である。マーリカがしみじみと「ここまで本当に長かったわ……」と感慨深く思っても、仕方のないことだろう。何度も爆発して髪の毛がチリチリになったことすらも、今日この日の為だったと思えば誇らしく思えた。


 朝日を受けてキラキラと輝く水面を、時折七色の鱗をした魔魚が跳ねてその姿を現す。


 領地は全てが水没している訳ではなく、左右に楕円状に伸びた領地の中央部が全体的に窪んでおり、その部分が湖になっている。領の西側にある高台には、領主城が建っていた。目玉焼きの目玉が左に偏っているみたいだな、と常々マーリカは思っていたが、水浸しになったら本当にその通りだったので、不謹慎ながらちょっと笑ってしまった。


 幸い、窪地になっている部分は中央ばかりで、領境まで水は届いていない。本来、黒竜が落ちてきたのはムーンシュタイナー領の所為でもなければ、黒竜だってムーンシュタイナー領の持ち物ではないのだが、水が他領に侵入していたら賠償金を請求されるんじゃ、と心配していたムーンシュタイナー卿はほっと胸を撫で下ろしていた。


 黒竜が沈んで出来た魔泉からは新たな水が湧き出し続けているが、うまい具合に氾濫はせず近隣の河川に流れ込んでいるらしい。「魔魚が流れ込んでくるので迷惑だ」という苦情が何件か入ってきていたところだったので、これには領民の大工連中がここのところ連日処置に当たっていた。領境にある川に杭と網を張り、他領への流入を防ぐ処置だ。


『魔魚のホクホク目玉揚げ』の売れ行きが好調だと判明した時点で、他領が真似て価格崩壊を恐れたムーンシュタイナー卿が即座に対応した結果、ほぼ全ての河川は対策済みとなっていた。金に関することは、ムーンシュタイナー卿は即決出来る領主なのである。


 マーリカを不機嫌な顔で見ていたキラが、わざとらしく呟いた。


「……医療魔法は基本手で触れて治すんですよね」


 マーリカは、目の前で簡単そうに櫂を漕ぐキラを振り向く。


 キラはマーリカの視線を受けながら、しれっと続けた。


「案外首や肩、胸元も日焼けしますからね。ま、何があろうと俺は絶対治すんで、お嬢がそれでいいならいいんですけど」

「――っ!」


 キラの言葉の意味を瞬時に理解したマーリカが、大慌てで帽子を被ると。それを見たキラは、口の端を小さく歪ませながら、マーリカに日除けの肩掛けを手渡したのだった。



 基本、貴族は庶民とそこまで関わらない。貴族は庶民にとって雲の上の存在であり、中には慈善事業などに精を出す貴族もいることはいたが、そこには明確な身分差と生活圏の違いがあった。


 だが、それはムーンシュタイナー領の様な弱小領には当てはまらない。


 他領の民は、今日それをまざまざと見せつけられていた。


 パンパン! と手を叩く甲高い音が市場に鳴り響く。


 木箱の上に乗った、赤味を帯びたサラサラの金髪を風になびかせた令嬢が、令嬢にはありえない大声を出していた。


「よってらっしゃい見てらっしゃい! こちらは本日初お披露目のムーンシュタイナー領特産、魔魚の核から作り出した火の魔具【マグナム】です!」


 貴族令嬢と庶民とでは、着用する服にも違いがある。威勢のいい口上を述べているマーリカが着ているのは、胸の下できゅっと窪み、そこから足首まで布が贅沢に使われた普段遣いのドレスだった。


 大分赤い色がくたびれてきてはいるが、庶民は貴族が着る様な派手な色味の服はあまり着ないことから、マーリカがどこぞの令嬢であることはひと目で分かる。


 それが、新緑色の目を滅茶苦茶輝かせながら自領の特産品を宣伝しているのだ。目立たない訳がなかった。


 魔具の素晴らしさを一所懸命説明するマーリカの周りには、人だかりが出来ている。キラを筆頭に、見た目が怖いが心は優しいアイクたち領民が、野次馬をマーリカに近付けまいと必死に押し返していた。


 だが、野次馬の熱狂は止まない。ぎゅうぎゅうに集まった男たちは、マーリカに必死で手を伸ばしている。


「ムーンシュタイナー男爵令嬢! 使い方を教えて下さい! 買います!」

「ムーンシュタイナー男爵令嬢! お値段はいくらですか! 倍の値段で買いますから!」

「ムーンシュタイナー男爵令嬢! 可愛い! 結婚して下さい!」


 最後の発言をした奴は、キラが「行け」と無言で顎をしゃくり、アイクが耳を引っ張ってどこぞへ連れて行った。暫くして手をパンパンと叩いてひとり戻ってきたので、まあ何かしらやったのだろう。


 マーリカはあまりの反響のよさに、更に調子に乗る。「ひと粒千バールよ! お買い得でしょ!」と天高く魔具を掲げた。キラが「王都だったら一万バールはするでしょうね」と言っていたことを思い出し、ならば十個は売らないと、と張り切っていた。


 ちなみに千バールは庶民用のワインなら十本分、安い宿屋なら二日から三日分の金額となる。それなりにいいお値段だが、火起こし程度に使うのであれば数ヶ月は保つらしい。初めに千バールで提示し、反応が悪ければ徐々に価格を落としていこう。そうキラと語っていたのだが。


「はい! 俺、二千バールで買います!」

「何をー!? ならうちは三千バールだ!」

「まあ嬉しい! キラ、お金と商品を交換して!」

「……はい」


 何故か最高に不機嫌な顔をしたキラが、木箱をマーリカから受け取る。値引き交渉ではなく競売状態になってしまったが、金はあればあるほどいい。キラは野次馬を見渡すと、朗々とした声で言った。


「購入希望者は一列に並ぶ! 列からはみ出た者は本日の購入権利を失うからな!」


 押し合いへし合い何とか一列に並んだ購入希望者が、キラに代金を渡し商品を受け取る。その度にマーリカが「買ってくれてありがとうございます! 名前は【マグナム】! これからもご贔屓に!」と笑顔を惜しまず手を振った。一瞬で魔具が売り切れとなると、マーリカは今度はキラを木箱の上に乗せる。


「ちょ、お、お嬢!?」

「『魔魚のホクホク目玉揚げ』はこのキラが考案しました! 女性の皆さんも是非買っていって下さいね!」


 見目麗しい青年が、遠巻きに騒動を眺めていた女性陣の注目を瞬時に集めた。キラが引きつり笑いをしながらも、マーリカに「ほら! 手を振って!」と言われてぎこちなく手を振ると、女性陣から「きゃー!」という黄色い声が上がった。


「ふふ、これで目玉も完売するかしらね!」


 達成感を滲ませたマーリカの笑顔に、さすがのキラも何も返せず。


 商魂が逞しいのは領民だけではない、と他領に知らしめた一件であった。

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