16 謎の男登場
シヴァが乗る船の船首が、ガン! とマーリカとキラが乗る木舟にぶつかった。
シヴァの船は大して揺らがず、二人が乗る船が波を立てて大きく揺れる。
「きゃっ」
「お嬢、危ない!」
前のめりに倒れたマーリカを、キラが自分の胸に抱き寄せ支えた。
「だからお前! マーリカに触れるな!」
シヴァが顔を真っ赤にして怒鳴るが、キラは華麗に無視を決め込む。
「お嬢、大丈夫です?」
「あ、ありがと……」
マーリカが目元を赤らめながら礼を口にすると、シヴァはそれも気に食わなかったのか、口ひげを震わせて更に怒鳴り始めた。
「こらー! 僕を誰だと思ってる! うちは子爵なんだぞ! 男爵家よりも格上なんだぞ! 無視するな!」
船の揺れが収まるのを待って、キラは冷たい目でシヴァを振り返った。
「……ナイワール子爵シヴァ様。船首がぶつかっております。危険なのでお下がりいただけますか」
「この僕がわざわざ船を新調してやってきたのに、なんだその態度は!」
「……」
キラが苛立たしげな表情を浮かべる。無言でマーリカを支えているキラに向かって、シヴァは更にわめき続けた。怒りが頂点に達しているのか、こめかみに血管が浮き出てしまっている。
「お前……! たかが従者の癖に!」
するとその直後、シヴァの乗る船体が突然ぐわん、と前後に大きく揺れた。
「おわっ!?」
魚を模した船首像に、シヴァがへっぴり腰でしがみつく。どうやら、船を漕いでいる二人の漕ぎ手以外にも、奥にまだひとりいたらしい。船の床がギシギシと音を立てる度、船体の揺れが激しさを増す。
「お、お前な! ぬうぉあっ、ゆ、揺らすなー!」
「あーごめんごめん! 立ったら揺れちゃったね、あはは!」
明るい男性の声だった。
「お前、座れ! 今すぐ座れ!」
声の主に向かい、情けない姿でシヴァが噛み付く。だが、声の主が移動しているのか、船は更に揺れてシヴァの顔は恐怖に引きつっていた。魔魚が怖いという噂は本当らしい。
「ほら坊ちゃん、真ん中に来ないと船がひっくり返るかもよー」
「ひいいっ!」
あはは、と頭を掻きつつ船の縁から顔を覗かせたのは、少し癖のある黒髪の若い男だった。身体にはがっしりとした筋肉がついており、肌は褐色だ。少し垂れ目の、陽気な雰囲気を纏うなかなかの美丈夫である。
男はマーリカと目が合うと、珍しい紫色の瞳を細めてニカッと笑った。
「こんにちは、お嬢さん!」
「あ、はい! ごきげんよう!」
挨拶はきちんとするものと教えられているマーリカは、誰かな? と疑問に思いつつも素直に返事をする。
男が、未だへっぴり越しで船首像に抱き付いているシヴァを呆れ顔で見下ろした。
「俺はこのお坊ちゃんに臨時で雇われた護衛なんだが、もう何日も『船が出来上がるまで待て』と言われて、ちっとも金を寄越さないから困ってたんだ」
「まあ、それは困りますね」
けちなシヴァならよくある話なので、マーリカとキラは特に驚かない。
あまり役に立たなかったなどと理由を付け契約期間途中でクビにしたり、契約満期の支払い時には基本減額するらしい、とは伝え聞いていた。いずれにしろろくなものではない。
マーリカとキラの表情が殆ど変わらないのを見た男は、さてはと気付いたらしい。重ねて尋ねてきた。
「……半金もないのは、この国の常識なのか?」
「単発の仕事に対する報酬は、基本半金、終了後にもう半分だ。成果報酬が上乗せされることはあるが、基本減額はない」
と、これにはキラが答える。それを聞いた男が、更に呆れ顔に変わった後、冷めた目でシヴァを見下ろした。シヴァの頬が、ぴく、ぴく、と引きつる。
「どうもこの坊ちゃんはさ、魔魚が怖いらしくて」
やはりあの噂は本当だったらしい。マーリカとキラがシヴァを温度を感じさせない無の表情で見ると、シヴァは悔しそうに唇を噛み締めた。
「ムーンシュタイナー領で幻の魔魚料理が食えると聞いて、凄えなと思って観光がてら見に来たんだけど」
これまでにない料理の噂を聞きつけた男はどうしても食べたくなり、隣領のナイワール領で舟を借りる先を尋ね歩いていたらしい。
「そうしたらたまたま、護衛を引き受けるなら船はあると言われて、きちんと金額も決めた」
頑丈な船を新調しているから数日待てと言われ、渡りに船だと了承したのだそうだ。
だが、半金もないまま数日留め置きされ、宿代も自腹。いい加減にしろと乗り込んで行ったところ、ようやく船が完成した、と出発の運びとなったらしい。
手持ちが寂しくなっていた男は、船に乗る前に半金を要求した。するとシヴァは渋々といった体で渡したのだが、湖の上を滑り出して「まさかな」と思い尋ねたところ。
「俺はムーンシュタイナー領で降りる予定だって最初から言ってんのに、この坊ちゃんは残りの半金は往復の料金だとほざいてな」
「まあ……」
帰りの護衛を断るなら支払わない、と言い始めたのだと言う。恐れていた魔魚が特に襲ってこないと分かったからだろう、と男が吐き捨てる様に言った。
確かにここの魔魚は見た目こそ恐ろしげであるが、むやみやたらに人を襲ってはこない。魔魚の中でも比較的気性が穏やかな種類だと、これまでは川で漁をしていた領民が語っていた。なお、魔魚は基本的に魔泉の近くにしか生息しておらず、海では深海に近い場所にいることが多いそうだ。
浅瀬にいるのは大抵が深海では弱者となる弱い種類ばかりで、この魔魚はその中でも被食側なのだという。時折海から川に入り込み川魚を食い荒らす為見つけ次第駆除されている、いわば雑魚だ。
見た目が毒々しい為、これまで食べてみようと考える人間はいなかったらしい。そんな中、この男は風の噂で「ムーンシュタイナー領がまさかの魔魚料理を開発したらしい」と聞き、面白そうだと旅の最中に寄ることにした。
男が誤算だったのは、隣領であってもナイワール領の市場にはムーンシュタイナー領が出店していなかったことだろう。ナイワール領の場所代は他の領よりも割高な為、普段から出店していなかった。そもそも関わり合いになりたくないというのが、ムーンシュタイナー卿とキラの本音かもしれない。
「まあ、これがこの国の常識でないならよかったよ」
シヴァを見下ろして鼻で笑った男に、シヴァが顔を更に真っ赤にさせて怒鳴った。
「き、貴様っ! 子爵家の僕に向かって何という口の利き方だ!」
「貴族だかなんだか知らないが、契約を守らん奴とはこれ以上関わっても無駄だ」
「く……っ!」
男が、にやにやしながら船の縁に足を掛ける。
「俺はこの国の人間じゃないからな。他国の人間を騙したら、下手すりゃ国際問題だぞ。分かってんのか?」
男はキラとマーリカを見下ろすと、横に退けと手で合図した。
「お、おい……っ」
キラが止めようとしたが、男はそのまま跳躍し、木船に飛び乗ってしまう。
「うわあああっ!」
大きく揺れた船から、シヴァの悲鳴が聞こえた。腰を浮かしてマーリカを支えていたキラの背中を軽く押すと、自分は漕ぎ手の位置に座る。
男は櫂を手に握ると、歯を見せてニカッと笑った。
「悪いんだが、俺を乗せてってくれないか?」
「……」
キラが睨みつけるも、男は一向に悪びれず、シヴァの船を振り返ると声を張り上げる。
「ああ、その船だけどな! 費用をケチったのか知らないが、船底から水が入り込んできていたぞ!」
男の言葉に、漕ぎ手たちが船尾を確認し、「水だ! 水漏れしてる!」と騒ぎ始めた。
「え……っひ、ひいい!」
シヴァが泣きそうになりながら、「も、戻れ! 急いで戻るんだあ!」と指示を出す。
あははと笑っていた男に、キラが警戒を隠さないまま、言った。
「……とりあえず船を出せ。あれからさっさと離れたい」
「おう! 任せな!」
男は実に楽しそうに笑うと、太い腕で力強く櫂を漕ぎ始めたのだった。
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