3 マーリカとキラの出会い

 魔魚は、見た目が全く可愛くない。


「どうしたらもう少し可愛くなるかしら? リボンでも付けようかしら」

「魚に無駄な可愛さを求めなくていいんじゃないですかね?」


 癖のない背中までの銀髪を青いリボンで簡単に束ねたキラが、調理台の上に横たえられている魔魚を真剣な眼差しで凝視している自分の主人、マーリカに向かってさらりと意見を述べた。キラは基本無表情なので、主人に対してであろうが笑顔はない。


「そうかしら? ある程度可愛らしさがあるといいかと思ったのに」


 マーリカは、うーんと首を傾げる。できるだけ手間暇かけないで売れる方が、人件費がかからずに済む。その為、内臓だけ取り除いた新鮮な魚を市場に売りつけようかと考えたのだが、即座にキラに却下されてしまったのだ。ならば可愛さを足せばとマーリカは考えたが、違ったらしい。


「そもそも、このまま売ったら市場は阿鼻叫喚の嵐になると思うんですけど」

「そう? 私は平気だけど」


 確かに魔魚というだけあって、見た目は普通の魚とは一線を画している。虹色に輝く鱗はうっとりするほど綺麗だが、発達した顎から飛び出している鋭い牙は触ると危険だし、目は死んだ後も黄色く爛々と輝いたままだ。


 頭頂からは先端に目玉が付いている角が生えていて死んだ後も暫くはこちらを睨みつけてくるし、ヒレからはどぎついピンク色の無数のイソギンチャクの様な触角が伸び、死ぬ直前まで敵にしがみつく。よく見ると、小さな吸盤が付いているのだ。


 ちなみにこの触角を使って地上を走って逃げることも可能なのは、先日領民のひとりが確認したばかりだった。


「まあお嬢はね……」

「画期的な案だと思ったのに」

「多分思ってるのはお嬢だけです」


 遠い目をして明後日の方向を向いたマーリカの専属従者のキラは、三年前に領内の職業斡旋所からやってきた青年だ。苗字がないので、平民出らしい。現在、マーリカは十六歳。十三歳の時からの付き合いとなる。


 キラがマーリカの従者になったのは、キラが十六歳の時だ。わずか三歳しか年齢が離れていない男をマーリカの傍に侍らせるなんて、と父であるムーンシュタイナー卿と執事のゴーランは大騒ぎで反対した。だが、キラは平民ではあるものの文字の読み書きが出来、家事全般の実技試験も合格している。ひと通りの礼儀も身に付いており、剣の嗜みもあった。


 こんな優良物件、そう簡単に落ちていない。しかもムーンシュタイナー領は、可もなく不可もない平凡で過疎化が始まって久しい弱小領だ。当然、大した給金は出せない。なのに、ダメ元の低賃金で従者の募集を出したら応募してきてくれた。これは天恵に違いない。


 マーリカは、彼以上にいい人材は今後現れない可能性が高い、とムーンシュタイナーと執事を必死で説得した。優良物件で且つお値段がとても優しいのが表向きの理由だったが、マーリカにはもうひとつ口には出せない明確な理由があった。


 顔がいい……! という理由だ。


 切れ長の青い目は少しつり上がっており、薄い唇も銀髪も、全体的に色味が薄いからか冷たい印象を与える。だけど、マーリカは見てしまったのだ。マーリカが必死でムーンシュタイナーとゴーランを説得している間、暇そうに突っ立っていたキラが、ちょこんと置かれていた焼き菓子をひょいと口に入れ、嬉しそうに微笑んだところを。


 うっはあ……、天使の微笑み! と思ってしまったマーリカは、「この者でなければ今後従者はいりません!」と宣言した。そこでムーンシュタイナーは、渋々キラを雇うことを了承した、のだが。


 採用から数日後には、ムーンシュタイナーは「キラ、これってどうかなあ?」とか「キラ、ちょっとこれ手伝って!」などと少し甘えた声を出しながら、キラを使いまくり始めたのだ。「キラって本当器用だよねえ。ねえ、これは出来る?」と話しかけるさまは、出来る息子を可愛がる父親にしか見えない。


 家政を執り仕切る筈の妻はとうに亡く、ただひとりの娘はまだ幼い。執事のゴーランも努力はしていたが、いかんせん老眼だけはどうにもならない。困ったなあ、やりたくないなあとムーンシュタイナー卿が嫌がっていたところ、キラが数字も得意だということが判明した。その時のムーンシュタイナー卿の喜び方は、並大抵のものではなかった。


 滅茶苦茶頼りになる青年の出現に、ムーンシュタイナー卿は安堵した。これで少しは楽が出来るぞと。それと同時に、キラを絶対逃してはならないと悟った。ムーンシュタイナー卿が、愛娘の安全より自身の安楽さを選択した瞬間だった。


 この後の二年間、週の半分はマーリカを王都の郊外にある寄宿学校に通わせることが決まっていた。だがよく考えたら、週末は帰ってくるのに、そこそこ距離がある場所まで送り迎えをしてくれる人がいない。専属馬車なんてお金がかかるから契約出来ない。でも、領地には荷馬車や農具を引く逞しい馬がいた。そして、ここでも何故かキラは馬に乗れた。


 頑丈そうな馬の背に毎週マーリカを乗せて走る銀髪の美丈夫な青年の噂は、寄宿学校内で瞬く間に広がった。何故かキラは寄宿学校に到着する直前になると右目に片眼鏡をかけ、結んでいた髪を解いて左側の顔半分を隠すものだから、余計謎めいた雰囲気が増していた。


 それまでは馬車が主流だった送迎だが、毎週門の前が渋滞していたこともあり、同じ様に家臣の騎士、それも出来る限り見目麗しい青年に送り迎えしてもらいたい令嬢が跡を絶たなくなった。うちの自慢の騎士を見て! という所謂品評会に学園上層部は渋い顔をしたが、渋滞の所為で馬糞が溜まり掃除が大変だった近隣住人からの苦情が減ったという意外な効果があり、黙認された。


 無事に卒業し、十六歳になりなけなしのお金を使ってあつらえたドレスを着て社交界デビューを果たした時も、キラにエスコートしてもらった。目元を覆う仮面を付けるのが、キラに提示された条件だった。仮面程度で溢れ出るキラの魅力は減らない。マーリカは、それでいいからお願いしますと即答した。


 キラにエスコートを頼んだそもそもの理由は、マーリカにそんな相手がいなかったのがその最大の理由だ。そこに付け入ろうとしたのが、隣領の領主の息子シヴァだ。ならば自分がその大任をやってやってもいいぞと口ひげを指で撫で付けながら言ってきたが、マーリカは誘いを断る為、「この者とエスコートの約束をしているのです!」とキラの腕を掴み宣言してしまった経緯があった。


 キラの素性は周りには話していない。平民だと言わなければバレないんじゃないかというマーリカのザルな作戦は、キラの立ち振舞いが洗練されたものだったのと、ムーンシュタイナー卿がさりげなく「キラはさるお方の落し胤らしいが不遇な事情があるらしい」という根も葉もない噂をこっそりばらまいていたお陰でうまくいった。案外皆信じやすいのね、というのがマーリカの感想である。


 ちなみに、シヴァの手前外行き用の薄い笑みを浮かべていたキラが、その後「ああもう、なんで俺がそんな面倒臭いところまで付き合わないといけないんですか!?」と主人二人を説教したのは、言うまでもない。


 そんな滅茶苦茶頼りになる口の悪い美形の従者は、眉間に皺を寄せて唸っていた。


「……解体するなら、日持ちする様な料理がいいんじゃないですかね」


 マーリカが真剣な表情で頷く。


「酢漬けなんかもいいかしらね。ああ、そういえば目玉も案外イケるってスティーブのところのハンナが言っていたわ」

「あいつら何でも食うな」


 ムーンシュタイナー領の領民は皆逞しい。


 マーリカが、さも素晴らしい案を思いついたとでも言わんばかりに手を叩いた。


「目玉は目玉で瓶漬けとか! 輝いているし人気が出るかもしれないわよ!」

「気持ち悪いことを提案しないで下さい」


 ハアー、とキラが溜息を吐いたあと、袖まくりをする。


「とにかく一回全部解体して部位を確認しますかね」

「私もやるわよ!」


 マーリカも袖まくりをすると、キラが冷たく言い放った。


「お嬢は待機。触らない」

「……はい」


 唇を尖らせたマーリカだった。

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