2 領地経営方針決定

 幸いなことに、領の中心である領主城は高台にあった。その為、家が水没してしまった領民たちは、領主城に避難した。


 領地が水没して暫くの間は、即席で作られた木船を漕いでは、自宅から荷物を運ぶ領民の姿が見られたという。キラキラ日光を反射する湖の上を船が滑っていく光景はのどかだったが、本人たちはとてもじゃないがそんな気分ではなかっただろう。


 ムーンシュタイナー領主城は、無駄に広い。使用人を沢山雇う潤沢な資金もなく、掃除するにも人手がいる。自領が貧乏であるという自覚があった領主のムーンシュタイナー卿は、自分たちが日頃生活する一部の部屋を除き、掃除もせず封鎖していた。


 これが今回、非常に役に立った。


「ははは、非常時の為に空けておいて大正解だったよ!」


 なんせ比較的そこそこ貧乏な領地の為、領民だけならず領主も質素な生活を余儀なくされている。その為、他領の領主はふっくらとした体型が多い中、ムーンシュタイナー卿はとてもほっそりとした体型をしていた。


 少し赤味がかった金髪は散髪代節約の為に伸ばされ、背中でゆったりとひと括りにされている。ちなみに、普通の領主だったら短髪が多く、前髪をぴっちりと後ろに撫で付けるのが最近の主流だが、ムーンシュタイナー卿からは髪の毛を整えるという気概を全く感じなかった。


 領主としての威厳もへったくれもない、町をぷらぷらと歩いていそうな青年風の彼がおっとりして見える顔で笑うと、領民は「絶対嘘だろう」と思いながらも「さすが領主様、ご立派です」と生暖かい目で見てしまうのだった。

 

 領民の数は、元々少ない。領主や従者を全員数えても、四百に満たない。ムーンシュタイナー卿の父の時代にはこの三倍はいたそうだ。だが、なんせ職がない為、若者は王都や栄えた町に出稼ぎに行き、そのまま帰ってこないことが多かった。


 この領民の少なさも、今回は不幸中の幸いとなった。少なかったから、とりあえずはなんとか全員領主城に収まったのだ。一応、穀物の備蓄倉庫はある。食い扶持は多くないから当面の生活は何とかなりそうだと、一同は胸を撫で下ろした。


 そこで、彼らの話題は次の問題に移る。


 魔魚が大量発生する湖と化してしまったムーンシュタイナー領だったが、マーリカお嬢様のへっぽこ魔法で発生させた湖なら、その内枯れるのでは。


 発生当初は、領主も領民も領地を水浸しにしてしまった張本人も、そう思っていた。


 だが、一週間経っても二週間経っても、湖の水は一向に減らない。


 それまでの期間で、魔魚が案外美味いということを領民たちは発見していた。農地を失ってしまった領民は取り立ててすることがないので、木船に乗って釣りをしつつ、領地を見回る様になっていた。


 そこで彼らが目にしたのは、黒竜が沈んでいった辺りから水が湧き出している光景だった。


 しかも、なんとそこからどんどん魔魚が泳いでくる。新しい種類の魚を発見した彼らはそれらを持ち帰り美味しくいただいたが、これは噂に聞く魔泉というものではないか、と領主に伝えた。


 魔泉とはその名の通り、何かのきっかけで魔物の故郷であると言われる魔界とこの世界に出来てしまった通路のことを指す。魔界に行きたい者など普通はいないので、向こう側から一方的に魔物がやってくるというものだった。


 ムーンシュタイナー卿や執事、マーリカや従者や多少学のある者たちは、額を突き合わせて考えた。そして至った結論は、黒竜の魔力によって魔泉が出来たのでは、ということだった。


 魔泉を塞ぐには、べらぼうな報酬を求めてくる賢者や魔術師を招き、封印を施してもらうしかない。だけど、ムーンシュタイナー領の場合、入り口が水没している。しかも金がない。


 全員が、頭を抱えた。


 そこで最初に立ち直ったのは、今回の件で責任を感じているらしいマーリカだった。


「相手が水なら、火の魔法を使えば蒸発するのではないかしら?」


 父親と同じ赤味かかった金髪でおっとりとした顔の持ち主であるマーリカが提案した途端、領主領民が一丸となってマーリカの説得に乗り出した。


「マーリカ様! 今度こそ領地が滅びます!」


 と、これは執事の言葉だ。この地に仕えて早三十年のベテラン老執事だが、マーリカを溺愛しており、普段は逆らう様なことは言わない。その彼の言葉は、重かった。


「そうだよマーリカ。これ以上領地が荒れるのは、お父さんも困るなあ」


 と、これはムーンシュタイナー卿の言葉だ。マーリカが幼い頃に妻を亡くし、後妻は迎えず現在に至る彼だが、執事同様マーリカを溺愛している。マーリカがすぐに明後日の方向に舵を切ろうとするのはこの父親の所為だろう、というのが領民の間での共通認識だった。


 すると、それまでずっと黙っていた冷たい印象を与える銀髪の青年が、淡々と言い放つ。


「というか、魔泉から水が湧き出している以上、蒸発させたところで無駄でしょうね」

「なるほど! さすがキラ、冴えた意見ね!」


 マーリカが褒めても、キラと呼ばれた青年はにこりともしなかった。代わりに重そうな溜息を吐きつつ、提言する。


「とにかく、今は備蓄で賄っている食糧も、いずれ底をつきます。元々大した産業もなかったところに今無収入になってるんですから、そろそろどうやって金儲けをするか考えた方がいいんじゃないですかね」

「うっ」


 キラの正直過ぎる指摘に心臓の上を押さえたムーンシュタイナー卿の背中を、執事が「お労しや」と擦る。


 だが、マーリカは違った。お嬢様らしからぬ腕組みをして、何やら考え込んでいる。これだけ見たら儚げなほっそりとしたご令嬢が憂いている様に見えるが、勿論中身はそんな繊細にはできていない。


「そうね、お金儲け……資源……タダ……」


 タダで入手出来る何かを使って金儲けを考えているのは一目瞭然だったが、一同はそれをそっと見守ることにした。


 マーリカが、パン! と手を叩くと、一部では癒やしと名高い可憐な笑みを満面にたたえながら、言った。


「魔魚を売りましょう!」

「――はあ?」


 マーリカ以外のその場にいた全員が、素っ頓狂な声を上げた。

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