第9話◇英雄殺しと三百年




 身体に力を入れるのではない。己がどう動くかだけを決定し、その通りに動く。


 生身の制約を全て取り払い、その上で人体を支える骨の構造は頭に入れておく。

 さすがに骨が砕けては、その部位が動かせなくなってしまうだろうから。


 あとは簡単。


 死体の山などものともしない――踏み込み。

 腕の可動域など無視した――構えと振り。

 先程の攻防で目にしたやつの動きをもとにした――読み。


 それだけで。


 彼我の距離は失われ。


「――――」


 聖騎士の身体を操るゾンビ野郎の身体は、斜めに斬り裂かれ、ズレ落ちる。


 やったことは単純だ。

 強烈な踏み込みで距離を縮め、圧倒的な斬撃で防御ごと叩き切っただけ。


 よっぽど実力が拮抗していない限り、一対一の真剣勝負というのは一瞬で決着するもの。

 ゾンビ同士となっても、それは変わらない。


「なんと……」


 ダンの上半身が仰向けに落下し、少し遅れて下半身が倒れる。上下両方から、臓物がこぼれ落ち、血が流れ出る。


「なんだよ、もっと戦えると思ったか?」


 俺は生身の時点で、生前のダンよりも強くなっていたのだ。

 ゾンビとしての適応力が同等になれば、実力差は生前と同じになる。


「いや……負けることは、分かっていた」


 地面に転がるダンの上半身が、乾いた笑みを浮かべる。


「――あんた」


 俺はそこで、ようやく気づく。


 ダンからは確かに、他のゾンビのように温かい心を感じた。

 だがそれは、彼が祝福に呑まれていたから、ではなかったのだ。


 単にダンという男が、アルという義理の息子に対し抱いている、親としての――。


「こうでもしないと、殺してはくれないだろう……?」


 俺は彼の近くに膝をつく。


「……わけわかんねぇ。正気に戻ってたんなら、俺と一緒にゾンビ共をなんとかするのが、あんたのやるべきことだろうが」


 ダンならば、聖騎士の鑑のような男ならば、そうする筈。

 だからこそ、演技をしているなんて可能性を、俺は微塵も考慮しなかった。


「いいや、俺はお前のようにはいかん。適応にも、程度があるのだろう。お前が百点満点だとすれば、俺は精々三十から五十だ。正気と狂気を、行き来している」


 ふとした瞬間に生前のダンの精神を取り戻すが、すぐにまたゾンビになってしまう。


 そしてまたある時、ダンに戻る。また祝福に呑まれるまでの、ごく短い時間だけ。


 それでは拷問だ。

 不定期に正気を取り戻しては、自分がどれだけ他人をゾンビにしたかを思い出し苦しむことになるのだから。


「お前は考えもしなかっただろうが、ふふ、この身体になるとな、自殺ができんのだ」


 ダンが自嘲するように笑う。


 それはつまり、誰かに殺してもらわなければ、終われないということ。

 そして、ダンがこれ以上罪を重ねる前に殺すことが出来る者など、この街には俺しかいない。


「……おいおい、義理の息子に父親殺しをさせるとは、ひでぇやつだな」


「違うぞ、アル。これはゾンビの討伐。聖騎士の、仕事だ」


 ダンの言っていることが正しい。

 最初に俺が果たすべきだった、仕事だ。


「……このまま俺がイカれたらどうするんだよ。誰が俺を殺すんだ?」


「お前なら、大丈夫だ」


「適当なことを抜かすな」


「そうでは、ない。……おそらくだが、元々の人格と、この呪いが押し付ける幸福のズレが大きいほど、まともでいられるのだ」


「…………」


 確かに最初こそ祝福に呑まれた俺だが、ビオラの一撃で正気を取り戻した時に感じたのは、怒りだった。


 しかし普通の人間は、愛する友人、恋人、家族を失う恐怖が消え。

 自分が死ぬという恐怖が消え。

 愛する者と永遠に過ごせるという幸福を、喜んでしまうのではないか。


 ゾンビへの抵抗感を奪われ、ただ不死を得たのだという感覚のみで魂が満たされた時、抗える者がどれだけいるだろう。


 ほとんどいないから、今の状況になっているのだ。


 死を実感できない小さな子供にしても、父母とずっと一緒にいられて、友達とずっと遊べるのだと思えば、抗おうなどとは思えまい。


 ダンの場合は、どこがズレていたのだろう。


「お前は、まだ自分なりの幸せを見つけていない。他人の言う幸せに納得できていない。ならばもう、呪いが囁く幸福に負けはしないだろう」


「勝手なことを言いやがって」


 俺は、何者にも奪われないために強さがほしい。

 そして、沢山の美女と親しくなりたい。


 それだけなのだ。


 なのに、人としての生も、大恩ある義父も、くだらぬ呪いに奪われてしまった。


「つぅか、この腐った身体じゃ、女を口説けないだろ。いや、いけるか?」


 口説けたとしても、その後が問題だな……。肉体が腐っているので、かなり臭いだろうし。臭いやつは嫌われるのだ。


 いつか骨だけになればどうだ? 匂いの問題は解決するが、骸骨でどう親しくするというのだろう。


「ふふっ……お前というやつは」


「わかったろ? 俺は聖騎士失格のダメ人間なんだ。だから……」


 死を受け入れたような安らかな顔で、こちらを見るのはやめろ。


「いいや、お前は立派な聖騎士だ。口は悪いが、お前が助ける相手を男女で区別したことがないのは、みんな分かっている。俺やミルナへの恩返しを第一に考えていたことも、ロベールを大事に思っていたことも、全部分かっている」


「恥ずかしい勘違いをしないでくれないか?」


「俺が、街の人々にしてしまったこと。なによりも、お前にしてしまったことが、申し訳なくてならないが……。お前が終わらせてくれて、よかった」


 普通の人間ならとっくに死んでいる筈なのに、まだ喋れているのはゾンビ化の影響か。


 それでも確実に、ダンの命は本当の死へと向かっている。

 それを押し止める術は、俺にはない。


「それはあんたの落ち度じゃねぇよ。最初にぶっ殺してやれなかった、俺の責任だ」


「……すまなかった、アル。俺がお前を、息子を、死者へ変えてしまった」


 ダンの顔が、罪の意識に歪む。


「あんたに殺された分、あんたを殺したわけだから、これでチャラな。それ以上泣き言吐いたら更に刻むぞ」


 俺がおどけて言うと、ダンはやや無理をした様子ではあったが、笑った。

 これは、ゾンビジョークの初ウケなのではないだろうか。


「アル」


「あぁ、分かっている」


 街中のゾンビが、こちらに向かってきている。

 俺を祝福し、その後で街の外へと向かうつもりだろう。


 もう既に、ここ以外の門から外へ出てしまった個体もいるかもしれない。

 だとしても、やることは変わらない。


「あ、一応言っとくとな、ロベールとミルナサンは無事逃したぜ」


「知っているとも」


「あ?」


「お前の戦っている場所を見て、察しがついた」


「……まぁそりゃそうか」


 ゾンビを外に出さないってだけなら、門を一つ守ったところで意味はない。

 誰かを追わせない為に戦っていたのだと、見た瞬間にバレていたらしい。


「ありがとう、アル。お前は、俺の愛する者を守ってくれた。そして、お前も分かっているだろうが、お前自身が愛する者を守ったのだ」


 ゾンビ達の足音が迫ってくる。


「喋りすぎじゃねぇか? 死なないなら起き上がってゾンビ退治を手伝ってくれよ」


「誰がなんと言おうと、お前は立派な聖騎士だ」


 大通りからも小道からも、ぞろぞろとゾンビが集まってきて、まるで祭の日みたいだ。


「……そうかよ」


「そして、俺の、自慢の……」


 それっきり、ダンが口を利くことはなかった。

 完全に死んだのだ。


「おい、せめて言い切ってから死ねよ」


 俺の言葉にも、当然、返事はない。


「はぁ……」


 迫るゾンビを一人二人と切り捨て、再び死体の山を築いていく。


「……決めたぜ」


 これまで、人生の目標なんてものは立てたことがなかった。


 聖騎士という職は、自分の強さを活かせる上、ダンへの恩返しにもなると選んだだけ。


 女性との関係だって、真剣でこそあったが、では一人ひとりと将来を考えたかのかと問われれば違う。


 つまり俺は、目の前のことしか考えていなかったのだ。

 だが今、初めて、この魂の使いみちとでも言うべきものを見つけた。


「どこの誰だか知らねぇが、絶対に見つけ出してやる」


 この呪いの元凶を、必ず突き止める。


 一度祝福を注入されたことで、ある程度、作り手の目的は読めていた。

 おそらく、そいつは完全な永遠が欲しいのだ。


 その為の実験として、ゾンビ化が使えないか試している、といったところではないか。


「俺から奪った分、お前の望みを奪ってやる」


 この先、そいつが完全な永遠の獲得に成功したとしても、構わない。

 むしろ、そうなってほしいくらいだ。


 それをこの手で終わらせないことには、気が済まないだろうから。


 その為ならば、醜く現世にしがみついてやろうじゃないか。


 幸い、忍耐は得意だ。


 何十年だろうが何百年だろうが何千年だろうが。

 この死した身体で、生き残ってやる。


 ◇


 それから、どれだけの時が経っただろうか。

 気づけば街は目に見えぬ壁によって封鎖され、俺も出られなくなってしまった。


 俺の黒髪黒目はもちろんのこと、皮膚も内臓も、既に全て腐り落ちてなくなってしまった。

 今は全裸ならぬ、全骨だ。


 スケルトン聖騎士、ということになる。


 こうなってしまってからは、ゾンビジョークではなく、スケルトンジョークの考案も始めた。


 街のゾンビについては、とっくに全員討伐済み。もう危険はない。

 野ざらしでは哀れなので、長い時を掛けて全員分の墓も用意した。

 それだってもうとっくに終わっており、今の俺は剣の鍛錬以外にやることはない。


 そろそろ外に出て、元凶捜しをしたいものだ。

 というわけで俺は今日も今日とて、不可視の壁から抜け出す方法を探す。


「――貴方が、『骨骸こつがいの剣聖』ですか」


 その少女は、不可視の壁の向こうからやってきた。

 俺には不可視の壁だが、彼女にとっては違うらしく、当たり前のように通り抜けてくる。


 生きている人間だ。

 白銀の髪に青い目をした、十代半ばほどの小娘。


 いや、俺の国では十五で成人で、早ければ結婚していてもおかしくない。

 小娘扱いは失礼なのだろうが、『少し前までガキだった』相手をある年齢を境に急にレディ扱いするのも、微妙な居心地の悪さを感じるのだ。


 なので、俺は年下の女を口説こうとしたことがない。


 ――いや待てよ?


 今の俺って、何百歳だ?


 年下は口説かないとか言い出したら、一生相手に巡り逢えないのでは?


 改めて少女を見る。

 幼さの残る顔や、繊細で頼りなげな細い身体に比して、胸だけは尋常ではない迫力を放っている。

 胸部だけ見れば、間違いなく大人のレディだ。


 うぅむ……。


「……スケルトンに眼球はないとは言っても、頭部の向きで視線は読めるのですよ」


 少女が責めるような目つきで俺を見ている。


「これは失礼した。大層立派なものをお持ちだと思ってな」


「……人間性が残っているものと考え、不問とします」


 つまり、俺がイカれたスケルトンではなく、人間らしさを残しているかどうかは、彼女にとって重要事項なのだろう。


 それが確認できたのだから、少々の無礼には目を瞑るということらしい。


「悪いな、生身の女を見るのは久しぶりでね。だが今後は控えるよ。やっぱり、小娘相手に発情するのは変態っぽいしな」


 よく見たことで、やはり俺にとっては小娘は対象外、ということがわかった。


 とはいえ、童女だろうが小娘だろうが老婆だろうが、女は女。

 男よりは丁寧に接するべきだ。


「こ、小娘……っ。わたしは、もう十四です!」


 あ、成人すらしていなかった。

 しかしこの年頃は、子供扱いを嫌う。


「わかったよ、十四歳ちゃん。俺はアル。あ、そうだ、いくつに見える?」


「……スケルトンにしか見えません」


「あはは」


 嘘がつけないというか融通が利かないというか、素直な子のようだ。

 この子が何者かは分からないが、悪意は感じない。


 実は不可視の壁が出現してから、来訪者は何人かいたのだ。


 だが彼ら彼女らは全員敵対心剥き出しで襲いかかってきた為、仕方なく撃退した。

 殺さず壁の向こうに追い返しただけだが。


 今回の用向きは、どうやら違う様子。

 俺のことを、なんとかの剣聖とも言っていたが、どういう意味だろうか。


「……貴方は、自分が特別な形骸種キュリオン……失礼、特別な死者であるとお気づきですか?」


 なにやら聞き慣れない単語が出てきたが、壁の外で生まれた言葉だろうか。


「まぁ、他のゾンビたちとは違うな」


「頭の中に、祝福は響いていないのですか?」


「いや、たまに聞こえるぜ。ただ、隣の家の夫婦喧嘩みたいなもんさ。『あーまたやってる』くらいの感じだ」


 俺のたとえは、彼女にはピンとこなかったようだ。

 育ちの良さそうなお嬢さんなので、もしかすると豪邸に住んでいるのかもしれない。

 それだと庶民のたとえは通じないだろう。


「……祝福は聞こえるものの、己の意志で無視ができる、と」


「まぁな。つーか、祝福の件とか、外の世界では掴めてるんだな」


 あとから考えたのだが、もう少し時間に余裕があればロベールに伝えておくべきだったかもしれない、とも思ったのだ。

 そうすれば死者攻略の役に立てたかもしれない、と。


 まぁ、あの状況で悠長に俺の状態を話している暇なんてなかったのだが。


「貴方の街が滅びてから、三百二十四年が経過していますから」


「へぇ。じゃあ俺は……三百四十二歳かぁ。頼むから、おじいちゃん扱いはしないでくれな。傷つくから」


 過ごしてきた時間を数えるのはとっくに諦めていたので、ここで知れたのは少しよかった。


 彼女は俺の冗談には応じず、真剣な表情で、こう言った。


「『骨骸の剣聖』よ。――どうか、わたしの聖騎士になっていただけないでしょうか?」



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