第8話◇英雄と順応

 



 ゾンビになると、生前の感覚のままでは上手く身体を動かせなくなる。


 こう、脳から命令が行っているのではなく、魂で身体を操るという具合に、仕組みが変わっているようなのだ。


 故に、それに適応できないほぼ全てのゾンビは、緩慢な動きと「あーうー」しか喋れない口、という残念な感じになるのだろう。


 また、両手を前に掲げての歩行は、相手を抱きしめようとしてのもの。祝福を与えたいという気持ちの表れだ。


 老若男女入り混じったゾンビ集団は、俺に向かって進んでくる。


 俺には祝福が足りていない、と判断したのかもしれない。

 好都合だ。


 眼前に迫る一人の首を刎ね、勢いそのまま回転しながら姿勢を低くして一閃。三人分計六本の足を斬り飛ばす。


 前方集団の勢いが緩んでいる間に、左右への対応だ。


 向かって右のゾンビに突きを繰り出すと、そのまま目から後頭部を貫通しただけでなく後ろのもう一人の頭部も貫くことに成功。つまり二人分。


 一旦剣を手放して左方向から迫るゾンビの横っ腹に回し蹴りを決めると、そのまま吹き飛んで周囲のゾンビ数体と共に倒れた。


 俺は剣を握り直してゾンビの頭から引き抜き、勢いを取り戻しつつある正面敵に向かって刃を振るう。


 ゾンビ化は確かに、人に限定的な『不死』を与えてくれる。


 飲まず食わずで永遠を生きられるというのだから、不死に変わりはないだろう。


 だが頭部を胴体から切り離された個体は、気配が消えるのだ。

 他者を祝福しようとする温かい感情が消えるだけではなく、意識そのものが消失している。つまり、完全に死んだということ。


 肉が腐っても平気だというのに、首が飛ぶとダメだというのは、どういう理屈なのだろうか。

 魂が骨に宿っているようなもので、ある程度壊されると魂を留めておけなくなる?


 その割には、手足をぶった斬ったくらいでは死なない。身体を上下に分割すると少しの間は動くが、やがて死ぬ。左右に分割すると即死。


 とにかく、頭が急所なのは確かなようだ。

 それだけ分かれば充分。


 死体の山……より正確には死んだゾンビの山が築かれていき、やつらの足が更に鈍くなる。たおれた同胞で出来た道の上を歩いてこなければならないからだ。


 完全に死んだ個体に関しての情はないのか、躊躇う様子もなく踏みつけてやってくる。

 こちらから追わなくていいのは助かるが、これは一体いつ終わるのだろうか。


 街中まちじゅうの人間がゾンビに成り果てたとするのなら、俺は一人で都市を滅ぼすほどの殺戮を繰り広げねばならないのか。


「チッ」


 ゾンビ退治が百体を超えたあたりで、剣が半ばから折れた。


 まぁ、仕方がない。

 血と肉と脂で汚れ続ける刃で、人の骨を断ち続けるにも限度がある。


 俺は半分になってしまった剣で二体のゾンビの首を強引に斬り裂いたが、そこで新手の三体に組み付かれてしまう。


 不幸中の幸いというべきか、全員女性だった。

 まるでモテる男ではないか。


「生前にお相手願いたかったね」


 一人の口の中に折れた剣を突き込み、一人の首を両腕を使ってねじ切り、最後の一人は背負うようにして地面に投げつけてから頭部を踏み砕く。


 見れば、俺の腕や肩などに噛み跡が残っていた。


 そして、祝福が流れ込んでくる。


 ――俺は何故、こんな無意味なことをしているのだろうか。


 分かっている。分かっているとも。永遠の生を得たんだ俺達は。肉が腐り骨だけになろうと生き続けることが出来るんだ。誰かに殺されない限り、世界の終わりまで人生を謳歌できるようになったんだ。そんな呪詛しゅくふく、他のみんなにも分けてあげなければ。どうやったら分けてあげられる? 口づけだ。深ければ深いほどいい。強ければ強いほどいい。その方が、早く同じにしてあげられる。


 ――くそったれが。


 俺は自分の頭を自分で叩き、正気を取り戻す。


 油断すると、祝福に呑まれそうになる。頭の中が喜びと隣人愛で満たされて、周りを祝福してやりたくてたまらなくなる。


 やはり、これは単なる呪いではない。

 何者かが、ゾンビの呪いを解析し、改造し、散布した。


 俺が正気を取り戻せたのは、まだ呪いがどこか不完全だからなのか、それとも別の理由があるのか。

 試しに何度か他の個体の頭部に衝撃を与えてみたが、正気を取り戻す者はいなかった。


 自分が特別なんて驕るつもりはないが、頭への衝撃だけが理由ではなさそうだ。


 それからの三十体を殺すのには苦戦したが、ありがたいことに帯剣した衛兵のゾンビがやってきたので、そいつから剣を頂く。


 随分と祝福を注入され、体中の肉がごりごり減っていったが、支障はない。


 そこから更に剣が折れるまでにおよそ百体を解体し、その間にストックしておいた別のゾンビ達の剣を掴む。途中からは剣を二本使うことに。これで効率が二倍だ。


 慣れない二刀流は達人には通じないだろうが、まともな思考力を失ったゾンビ相手ならば充分。


 人間らしい嗅覚はとっくに失われたが、風が運ぶ匂いが血腥いものであることは疑いようもない。

 血風の発生源に築かれるは、一人の聖騎士がこさえた屍山血河。


 結果的にだが、疲れ知らずのこの肉体は大いに役立ってくれている。


 気づけば、それなりの時間が経っていたらしい。

 日が傾き、凄惨な光景を夕日が照らす。


 ロベールとミルナとビオラは、逃げ切れただろうか。

 彼らを追うのに適したこの門は俺が通行止めしているので、普通のゾンビ共が追いつけるとは思えない。


 だが、別の都市まで辿り着ければ安全というわけではないのだ。



「……ふむ、やはりお前だったか」



 声が、した。

 実に人間らしい言葉を使うゾンビが、現れる。


 俺を最初に噛んだ男。


 この街の英雄。


 俺の義父。


 ダンだった。


 彼は青白くなった顔で、それでも朗らかに笑う。


「お前を祝福できたことを嬉しく思う。加えて、転化間もないというのにその剣の冴え。早くも進化に適応するとは、さすがは我が息子と誇らしくさえあるよ」


 明らかに、ダンは普通のゾンビとは違う。


 進化に適応、といったか。

 俺のように身体を自在に操れるようになるには、習熟度というか、ある程度の慣れが必要なのだろう。適応できれば、以前のように動けるし喋れる。


 これは俺の仮説とも矛盾しない。


「一応訊くけどよ、あんた、正気に戻ってるわけじゃないよな」


「正気? 俺は至って正気だとも、アル。狂気に駆られているのはお前の方だ」


 ダンは剣を抜いている。

 帯剣していたゾンビ達は、生前のように剣を振るうことはなかった。


 進化に適応できていなかったから。

 ダンは、適応した側。


 その上で、他のゾンビ同様、温かい心で他者を噛む。


「あんたの頭の中に響いてる祝福の言葉はな、あんた自身のものじゃない。呪いを作った誰かが垂れ流してる妄言だ。目を覚ませよ、な?」


「はっはっは。こちらの台詞だ、バカ息子。守るべき民に手をかけるとは何事だ」


「更にこっちの台詞だ、クソオヤジ。おっさんも美女もガキも、見境なく動く死人に変えやがって。こっちが尻拭いに何人斬ったと思ってる」


「あぁ、アル。お前はおかしくなってしまったんだな。大丈夫だ。お前の罪は俺が共に償おう。お前を正常に戻し、これから世界中を祝福することで、それを贖罪としよう」


 こちらに憐れみの視線を向けるやつを見て、俺の中に絶望の感情が満ちていく。


「……もういい。あんたが俺の知ってるダンじゃないのは、もうわかった」


「祝福を受けただけだよ。お前も知っているだろうに、何故反抗するのだ」


 次の瞬間、ダンの剣が俺の右肩を切断する軌道で迫った。


「――――」


 切っ先を大地に向ける形で剣を斜めに構え、斬撃を受け流す。

 ほんの一瞬触れただけだというのに、左手に握る剣が砕け散った。


 地面に向かって逸れたダンの剣は、そのまま大地を叩き割る。

 石畳が捲れ上がり、幾つもの破片が小さな刃物となって周囲に振りまかれた。


 この速度、この威力。


 ――生前より……!


 俺は彼の剣の切っ先を踏みつけ、右手に握った剣の柄頭を敵の側頭部に叩き込む。


「……なんだ、アル。何故――手加減をしている?」


 我ながら愚かなことをした。


 彼ならばもしかして、俺のように正気に戻れるかもしれないと。

 頭部を砕くチャンスを無駄にして、頭に衝撃を与えるに留めてしまった。


 ――二度もくだらん感傷を!


 ダンの剣が持ち上がる気配を感じ、即座に後退。

 だがこのあたりは俺の作り上げた亡骸の山だ。まともな足場が残っていない。


「それとも、アル。お前はまだ、至れていないのか?」


 ダンの身体は、先の自身の一撃で既にボロボロになっていた。

 皮膚は裂け、筋肉は断裂し、血管は弾け、身体から血が滴っている。


「凡百の死人相手じゃあ、必要性を感じなくてな」


 生者である間は、己の肉体を守るべく抑えられていることが沢山ある。

 身体が壊れないようにと、頭が無意識に制御を掛けるのだ。


 その制御を外すことが出来たのなら、普通の主婦でも筋骨隆々な騎士を殴り殺せる。

 ただしそれと引き換えに、殴った腕は砕け、筋肉という筋肉が断裂することだろう。


 そんなことになっては明日からの生活もままならなくなるので、大抵の人間は自分の能力に見合った『ほどほどの力』しか出せず、その上限を『全力』と呼ぶ。


 しかし、ゾンビにそんなことを考える必要はない。

 肉の鎧がどれだけ損耗したところで、明日以降も問題なく生きていけるからだ。


 スケルトンとなった騎士が生前よりも強くなっていた……なんて話は珍しくないが、同じような理由だろう。

 とはいえ、実際そういった例を目の当たりにすると、やはり衝撃的だ。


 それに、どうにも不愉快である。


「そうか。お前ほどの強者ともなれば、頷ける話だな。よし! では俺が父親として、お前を更なる高みへと導こう! くだらん生身の制約など、忘れるのだ!」


「……テメェが父親ヅラするんじゃねぇよ」


 守るべき民を傷つけ、守るべき街を破壊し、守るべき平和を乱した。

 このゾンビの行動すべてが、ダンの人生への侮辱だ。


 そして、それを許してしまったのは、俺自身の失態。

 ここで終わらせてやらねば。


「この万年反抗期め」


「むかつく死人だな」


 だが、先程の件は一理ある。


 俺はもう、取り繕いようがないほどにゾンビなのだ。


 ならば、人であった頃の戦い方というものに拘るべきではない。


 死者は死者らしく。死者として、強くならなければ。

 考える。


「よし」


 そして、到達した。


「ん?」


掴んだ、、、



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