第6話◇祝福と呪い



 八年ほど前のことだ。

 俺は牢屋にぶち込まれていた。


 世話になったジイさんを殺した連中を、やつらの理屈でボコボコにしたはいいが、思いのほか騒ぎが大きくなって衛兵に捕まってしまったのだ。


 そこを、何故か聖騎士の男が訪ねてきたのである。


 あとで聞いたところによると、十歳そこらのガキが大人三人を一人で倒したと聞きつけ、興味を引かれたらしい。


「……そうか。お前は、そのご老人の仇をとろうとしたのだな。その為に努力をしたのだな」


 格子の向こうで屈んでいる聖騎士の男は、同情とも違う、複雑な表情を浮かべている。


「話を聞いてなかったのかテメェ。俺はただ、あいつらの理屈であいつらをボコボコにしてやりたかっただけだ。そうすりゃ、文句も言えねぇだろう?」


 自分が他人に強制した理屈が、自分に降り掛かってくるのだ。それで文句を言うのはおかしい。己が信じたルール通りの出来事なのだから、甘んじて受け入れる以外に道はない筈だ。


「お前さんの気持ちを、俺は否定できない。誰だって、愛する者を奪われたら、その相手が憎くてならないだろう。殺してやりたいと思うのも、自然な感情だ」


「何が愛だよ、わけわかんねぇ。あとな、殺してもいねぇよ」


 その場で殺してしまっては、ジイさんの味わった苦しみを体験させられないではないか。


「ふむ……」


 男は顎に手を当て、悩ましげな声を出す。


「よし、決めた! お前さん、うちの子になれ」


「……はぁ?」


「その小さな身体で男三人を倒せる武力! 腐らせるには惜しい。お前さんには将来、立派な聖騎士になってもらう!」


「あ、わかったぞ。テメェ頭おかしいんだろ」


 言っていることがあまりにめちゃくちゃだ。

 牢屋に入った小汚い犯罪者を見て、家に招くとか言い出すやつは正気じゃない。


「なんだ? じゃあこのまま牢屋に入っていたいのか? だとすれば、おかしいのはお前さんの方だろう」


「……本気だってんなら、出してみろよ」


 わけのわからない男だが、仮に本気で言っているなら大助かりだ。

 ここから出たあとで逃げればいいのだから。


 そのあと、男は本当に俺を牢屋から出してくれた。

 だが、俺の逃走は失敗。男に引きずられるようにして、そいつの自宅へ。


 美しい妻と、できた息子の三人家族に、俺という異物を本当に招き入れたのだ。


 最初は戸惑い、次に裏があるのではと疑い、飯や寝床や服が提供されるのならばしばらく利用してやろうと考え、気づけば――馴染んでしまっていた。


 心の余裕ができて、ジイさんの言ってた『男の幸せ』ってやつを、自分なりに追い求めることにした。

 確かに悪くない気分だった。


 聖騎士ってやつには興味がなかったが、訓練で強くなっていくのは悪くない。

 剣の道ってのは思いのほか奥が深く、ダンに勝てるようになるまでには数年を要した。


 そう。俺はダンより強くなったのだ。

 ならばもう、力づくで逃げることも、出来る筈。


 だが、どうにもそんな気分にはなれず。

 気づけば、あいつの家族にしっかりと組み込まれてしまい。


 恩を返さねば、なんて。

 自分らしくもない感情を抱くようになってしまった。


 くだらない執着だ。


 それで命を落とす同僚を何人も見てきた。


 人はそう簡単に、先人から学ぶことは出来ないようだ。


 目の前の動く死体が、元々は自分の恩人かつ義父だったという、それだけのことなのに。

 討伐することも出来ず、自分も噛まれてしまうのだから。


 本当に、くだらない。


 ◇


「あー……」


 あれ。

 何を考えていたのだったか。


 目を開くと、教会の天井。

 そうだ、自分は教会で『祝福』を受けたのだった。


 ゆっくりと立ち上がる。

 教会の中には誰もいない。


 俺より先にダンに噛まれた聖女サマも、既に転化を済ませて、祝福を配りに向かったのだろう。


 この教会には、転化した人間を殺し得る悪しき魔法の使い手が数人在籍していた筈だが、姿は見えない。最初の聖女サマと合わせて、既にお仲間と化しているのだろうか。


 それにしても、なんて素晴らしい気分なのだろう。


 『幸せ』とはこういうことだったのだ!


 俺はもう、息をしていない。血は巡っていない。だが死んだわけではない。


 この転化は、進化なのだ。

 そうか、そういうことだったのか。


 ゾンビはみな、自分の中に満ちるこの祝福を他者に分け与えるために、口づけをして回っているのだ。


 この身体になりたてだと、身体が妙に軽くて感覚が狂ってしまうというのに加え、祝福の素晴らしさを知らない人間は抗ったり逃げたりするものだから、噛み付くという結果になりがちなのだろう。


 あと、やはり祝福の注入か。

 なってみて分かるのだが、深く注ぐには深く繋がる必要がある。

 口づけだとすれば、熱々のカップル並の濃いやつが望ましい。


 逃げ惑う相手にそれは難しいので、深く噛む、という選択になるのだろう。

 いや、違うか。


 ゾンビになっても、俺は俺という個を保っている。

 男にキスはしたくない。


 そうなると妥協点として、やはり別の部位を選ぶことになるだろう。


 あぁ、あの童女やダンが、温かい気持ちで人を噛んでいたのは、こういうことだったのだ!


 俺たちは祝福された! 永遠の命を得た!


 もう何も食べなくてもいい。睡眠も呼吸も要らないしクソも垂れない。


 肉の身体の制約を破壊し、魂だけで永遠に生きる術を獲得したのだ。


 これから先、この肉が腐り落ちても、まったく問題はない!


 この祝福があれば、骨だけになっても動き回れるだろう。


 あぁ、素晴らしい! 素晴らしい! とても素晴らしい!


 みんなも、、、、祝福してやらねば、、、、、、、、!!!


 そうと決まれば、こんな誰もいない場所にいる理由などない。

 俺はそのまま教会を出る。


 すると、街中から、同胞の呻き声と、いまだ祝福を知らぬ哀れな子羊の悲鳴が聞こえてくる。


 あぁ、嘆くことはないのに。逃げる必要はないのに。


 これは祝福なのだから。


 我々は死の恐怖を克服した。


 親しい者との別離をも克服した。


 それは、みんながいつも、心の底で望んでいることだろう?


 軽く周囲を見回した限りでは、自分の出る幕はなさそうだ。

 少し離れた場所へ行ってみるか。


 そこで思い出す。

 己の愛馬の存在を。


 この祝福は、馬にも与えられるのだろうか。

 きっと大丈夫だろう。

 そうしたら、ビオラとも世界の終わりまで相棒でいられる。


 俺は早速厩舎へ向かう。

 黒い毛並みが美しい、我が愛馬。


 数ヶ月もすれば肉の鎧は全て剥がれ落ち、骨だけになってしまうのだろうが、問題はない。それでもビオラはビオラだ。


 俺は一刻も早く祝福を与えてやりたいという気持ちから、歯がガチガチと鳴るのを抑えられない。


 ビオラに近づき、彼女の顔へ己の顔を近づける。


 そして口を開き、彼女に――頭突きされた。


 俺は撥ねられたようにひっくり返り、地面に頭を打ち付けてしまう。


「あだっ……! 何すんだよビオラ!」


 即座に上体を起こした俺は、頭を押さえながらビオラに文句を言う。


 ビオラは『こっちのセリフ!』とばかりに鼻を鳴らした。

 と、そこで、俺は気づく。


 さっきまで、己の思考を支配していた――おぞましい考え、、、、、、、に。

 胸の奥から這い上がってくる嫌悪感は吐き気となり、そのまま地面にぶちまけられる。


「ゔぉっ……かはっ……!」


 なんだ。俺はさっきまで、何を考えていた。


 祝福?

 こんなもんが?


 有り得ねぇだろ。


 俺はどうやら、ビオラに一発食らったことで、正気を取り戻したようだ。


 しかし、いつまた狂うか分からない。

 何故なら、祝福を喜ぶ声は、今も自分の頭の中に響いているからだ。


 ――呪いに精神操作の魔法を混ぜてるのか……。


 人や動物を凶暴にさせる魔法なんてものがこの世にはあるらしいが、それの応用だろうか。


 ゾンビになった奴は、それを受け入れ喜び、進んで祝福のおすそ分けをする。

 普通のゾンビにこのような感情は感じなかったから、誰かが手を加えた呪いなのだろう。


 そんなことが果たしてできるのか、なんて考える必要はない。

 この呪いの実在を、俺は身を以って知っているのだから。


 ――ふざけやがって。


 腹立たしいことは山程あるが、一番は――俺に『幸せ』を押し付けたことだ。

 それは俺自身が決めることであって、どこぞの魔法使いに与えてもらうものじゃない。


「ビオラ、済まなかった」


 俺は立ち上がり、ゆっくりとビオラに近づく。

 彼女の頭に手を伸ばすと、彼女は避けずに受け入れてくれる。


「気づいてるだろうが、俺はもう死んでる。つーか、この街の奴らはじきに全員死ぬだろうな。多分、動物も」


 ビオラは黙って俺の話を聞いている。


「本当は、お前だけでも逃してやるべきなんだと思う。けどな……やらなきゃいけないことがあるんだ」


 ダンを止めなければならない。


 あのオヤジは今も、愛する民に永遠の命を分け与えるべく、人を殺しまくっているのだ。

 己の考えが、呪いに蝕まれているとも気づかずに。


「俺以外のゾンビを、全員殺す。だってほら、俺たちって聖騎士だしさ」


 できることなら、この呪いを振りまいた黒幕を斬ってやりたいが、今はそれどころではない。


 本当は、先程やるべきだったのだ。


 俺があそこでダンを斬らなかった所為で、ダンはより多くの罪を犯すことになった。

 止めてやらねば。


「付き合ってくれるかい、相棒」


 ビオラは『当たり前でしょ!』とばかりに嘶く。


「……ありがとう」


 ビオラを厩舎から出し、彼女にまたがる。


 そして剣を抜いた。


「適当に走ってくれ。それだけでいい」


 もし、これから俺のやろうとしていることが、記録に残るのなら。


 いつかの未来、それは大量殺人として扱われるのか、それとも聖騎士の務めを果たしたと認められるのか。


 いや、どうでもいいか。




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