第5話◇童女と甘噛み
街に戻ると、住民たちから声が上がる。
その多くが、義父のダンに向けたものだ。
「お! ダン様がご帰還なさったぞ!」「この街の英雄!」「また魔獣を倒してくださったのね」「いやぁ、俺達が安心してくらせるのは、聖騎士団のおかげだよ」
「はっはっは、みんなありがとう。ですが、今回魔獣を倒したのは、うちの倅の方でしてね」
と、ダンが馬を寄せて俺の肩をばんばんと叩く。
「おぉ……! アル様が」「既に剣の腕ではダン様を凌ぐという」「立派なご子息が二人もいて、ダン様も安心だろう」
街のやつらは好き勝手言う。
「うぅん、アル様かぁ」「強いんだろうけど、ねぇ」「正直、ロベール様に比べると」「黒い髪も、ちょっとって思うわよね」
……うぅむ、女性たちの一部から悲しい言葉が囁かれている。
だが俺はめげない。
最初の印象が悪かろうと、それをひっくり返すだけの好感を持ってもらえばいいだけのこと。
「……兄上、お気になさらず」
「何がだクソイケメンロベールよ。俺は今、彼女たちをどう口説くか考えている最中なんだ、邪魔するな。具体的にはそのキラキラした顔で俺を見るんじゃない。目が潰れる」
「あ、あはは……さすが兄上です」
なんだかロベールが苦笑しているが、そんなことはどうでもいい。
「はっ……何が倅だよ、アルの方は孤児だろ」「貧民窟の小汚いガキ拾って養子にするとは、さすが街の英雄様はやることが違う」「掃き溜めで聖人ごっこする余裕があるなら、俺たちの方を助けてほしいね」
ダンが街の英雄と呼ばれているのは、それだけの実績を積んでいるからだ。
だが、英雄だからといって万人に好かれるわけではない。
あぁいう嫌味を言うやつは、どこにでもいる。きっと天の国にもいるのではないか。
だからまぁ、気にしてもしょうがないのだが。
とりあえず顔を覚えておこう。あとで挨拶に行くかもしれないしな。
「へぎゃっ」「ぐぎゃ」「ぶへっ」
しかし、その必要はなくなった。
そいつらの顔面に、立て続けに小石が激突したからだ。
やつらはわけもわからず悶絶している。
俺じゃない。
ビオラだった。
進みながら、器用に石を弾いたのだ。
「はっはっは。ありがとな、ビオラ」
ビオラは「まったくむかつくやつら!」とばかりに、鼻息を荒くしている。
彼女を宥めるように、俺はその頭を撫でた。
「……ビオラは、前世で人だったのかもしれませんね」
ロベールが驚いたように言う。
「なんでもいいさ、最高の相棒だ」
と、そこでビオラが立ち止まる。
先程から少し前を進んでいたダンの馬が、止まったからだ。
「あ?」
見れば、五歳くらいの童女が、進路上に飛び出してきている。
――危ねえな。
まだガキといえど、女の命は大事なものだ。あと十五年もすれば、立派なレディに育つのだから。
同様に、老婆であってもかつては美しく咲き誇る花だったのだから、これもまた大事にせねばならない。
どうでもいいのはクソガキからクソジジイ、つまり男だけだ。
「しっかし、親は何やってんだ? 普通の親ってのは、あれくらいのガキを心配するもんじゃねぇのか?」
馬の進路上に飛び出たら危険なのは、承知しているだろうに。
こちらもまた慣れているので、今回は何事もなかったが……。
ダンはわざわざ馬から下りて、童女を抱き上げる。
「大丈夫かい、お嬢さん。しかし、馬の前に飛び出しては危ないよ」
義父の身体に隠れてよく見えないが、一瞬、童女の顔が目に入る。
――ん?
妙な胸騒ぎがした。
そして、事件は起きる。
童女がダンの腕の中で大暴れし、彼に飛びつき、そして――噛み付いたのだ。
「……ッ」
ダンは咄嗟に少女を引き剥がしたが、耳から血が出ている。
「いやはや……やんちゃなお嬢さんだ」
「おい! その子供様子がおかしいぞ!」
「父上! 血が……!」
瞳は虚ろで、なのに口は活発に動いている。
ガチガチと歯を鳴らし、涎が垂れるのも気にせずダンに向かって顔を近づけようとしていた。
空を掻くように揺れる両手と合わせて、明らかに普通ではない。
「も、申し訳ございません!」
そこへ、童女の父親と思しき男が駆け寄ってきた。
「いえいえ、子供のやることですからな。しかし、大丈夫ですか? どうにも様子が……」
ダンの言葉を途中で遮るようにして、男が子供を掻っ攫う。
「この子にはよく言って聞かせますので!」
それだけ言って、逃げるように走っていくではないか。
「おい待て! 自分の娘が大事なら、今すぐ教会に連れて行け!」
男の背中にそう投げかけるが、やつは振り返りもしない。童女は親の腕の中でも、先程のように暴れていた。
「ちっ……おい、あんたもだぞジジイ」
馬上からダンに声を掛ける。
ロベールは馬から下りて、父の傷を確認していた。
「二人共、そう心配するな。なぁに、大した傷ではないよ」
「いいから教会に行け、怪我の心配で言ってるんじゃねぇよ。報告なら俺がやっとく」
教会には聖女と呼ばれる者がいて、彼女たちはみな癒やしの魔法が使える。
通常の魔法は才能がものをいうらしく使い手が少ないが、聖女の魔法は特定の神への信仰心によって授かるようでそれなりに数がいるのだ。
聖女の扱う癒やしの魔法には種類があり、中には呪いを祓うものもあると聞く。
「なんだ、呪いの心配か? あの子がゾンビだとでも? 抱き上げた時は体温もあったし、身体も腐っていなかった。それに、聖女様は死者を死者に還す魔法をお持ちだが、噛まれた者を救う魔法はなかった筈だ。あの子がゾンビなら、俺はもうおしまいだな、はは」
ゾンビとは動く屍で、発生原因はよくわかっていない。
だが噛まれると、同じような動く屍になってしまうことは確認されており、『呪い』の一種として扱われている。
そして聖女たちは、動く死者を、動かない死者に戻す魔法が使える。
死してなお動き続ける、という呪いを祓うわけだ。
だが、感染してしまった者を救う方法はない。発症は止められないのだ。
だとしても――。
「手遅れなら手遅れと診断してもらえんだろうが、そうしたら殺してやるよ。こっちは本気で言ってんだから、うだうだ言うな」
俺がダンを睨みつけると、彼は観念したように頷いた。
「……わかったわかった。お前が自分から仕事を引き受けるとまで言うんだ、本気で心配してくれているのだろう。今から教会に向かうさ。みなも、そういうことで頼む」
隊員の残り二人も頷く。
ダンが馬に乗り、俺達と分かれることに。
近くの住民が心配そうにこちらを見ているが、それどころではない。
「……兄上、何か気になることでも?」
馬にまたがったロベールが、不安そうにこちらを見ている。
確かに、俺の反応は少々過剰かもしれない。
あの童女がゾンビである確率は、実際のところ高くないのだ。
「さっきのガキ、ちぐはぐだった」
「ちぐはぐ、ですか?」
「あいつの気配は、温かかった。人を愛し、慈しむような人間が纏う気配だ」
「……それは、素晴らしいことでは? 両親に深く愛された子なのでしょう」
「だがオヤジを噛んだ上、父親の腕の中でも暴れてたろうが」
「……えぇ、確かにあれは不自然でしたが」
「その間もずっと、あいつの気配は温かかったんだよ」
ロベールの顔が、怪談でも聞かされたようなものに変わる。
「――そ、それは、つまりどういうことでしょう? あの子は、人を愛するように人を噛み、人を慈しむように人前で暴れたと?」
「そうだ。絶対におかしい」
「で、ですが兄上、我々はゾンビの討伐もこなしたことがあります。その際に、兄上から今のようなお言葉は聞かなかったように思いますが」
その通りだ。
「あぁ、前に戦ったゾンビ共には、人間らしい感情は感じなかった」
あの童女はゾンビではなく、別の何かなのかもしれない。
愛情表現として暴れまわるような特殊な人間ならば、まだ救いはある。
問題は――。
「……最悪の場合、何かの病か、呪いに――それで『教会』ですか!」
俺はロベールの言葉に小さく頷く。
「あぁ、だがあのガキの父親は逃げやがった。俺の思い過ごしならいいんだけどな」
「あの、兄上。僕はあの子を捜索してみようと思います」
ロベールが神妙な顔で言う。
「……いいのか? 今のは全部俺の勘の話だぞ?」
「僕は、兄上の勘を信じています。任務では何度助けられたか分かりませんから」
「……お前は本当に自慢の弟だよ」
「兄上も自慢の兄上ですよ」
「ちなみに今のはお世辞だ」
「僕は本気です」
「嫌いだわー」
「あはは」
弟とも、そこで分かれることに。
「ロベール」
「なんです?」
「絶対に噛まれるな。そこだけは気をつけろよ」
「えぇ。兄上も報告が済んだら教会へ向かいますよね? そこで合流しましょう」
「……おう」
まったく、クソオヤジが子供相手に油断した所為で、とんだ面倒事になった。
俺と残る二人の聖騎士は聖騎士団の詰め所へ向かう。
ビオラを馬房に預けてから、クソ面倒な書類を仕上げて上へ提出。
ダンが直接来なかった理由を適当に誤魔化し、再びビオラと共に街へ出る。
向かうは教会だ。
石造りの、どこか神聖な気配漂う建造物。
以前も来たことがあるので、厩舎にビオラを入れてから、建物内へ。
俺は戸を開き。
そこで、見てしまった。
倒れる聖女様と。
何が起こったか分からず固まる周囲の人間と。
そして――口許を血で汚したダンの姿を。
首筋を噛まれたらしく、聖女の出血は激しい。
違う。見た瞬間にはもう、分かっていた。
床に倒れる聖女は、もう生きてはいな――。
「……何やってんだよ、オヤジ。女に襲いかかるとか、見損なうどころの話じゃねぇぞ。ミルナさんが見たら離婚の危機をすっ飛ばして、殺人沙汰だな」
ミルナというのはダンの妻、ロベールの母、そして俺の義母だ。
俺たちの帰りを、家で待っていることだろう。
「……ほら、さっさと聖女サマに詫び入れて、ビンタ百発くらいで許してもらえるよう頼み込めよ。俺だってあんたらの夫婦喧嘩は見たくないからな、黙っておいてやってもいい」
あぁ、先程逃げ出した童女の父親の気持ちが、分かってしまった。
目の前に答えがあるのに、それを確定させたくなくて現実逃避をする気持ち。
まさか自分も、そういう人間だったとは。
「……なんとか言えよ、クソジジイ」
ダンの目は、虚ろで。
彼の歯は、がちがちと鳴り。
そして彼からは、温かい気配がした。
まるで、愛する我が子を抱擁する親のような、温かな心を感じた。
何故そのような感情を胸に、人を襲うことが出来るのか。
まったく理解できない。
ダンが、俺に向かって歩いてくる。
きっと、俺を噛もうとしているのだ。
彼は、守るべき民を襲った。
取り押さえる? いや、先程の童女の件も踏まえて考えると、俺の勘が当たったと考えるべき。
ゾンビ、と判断すべきだ。
つまり、聖騎士である俺にとっては、討伐対象。
だから、剣を抜いて殺さねばならない。
剣を。
剣を、抜いて。
あと数歩のところまで来ている、ダンの姿をした、敵を。
殺さなければ、ならないのに。
「……あぁ、クソ」
できなかった。
柄に手を伸ばすことさえ出来なかった。
ダンが俺の首筋に歯を立てる。
肉が食いちぎられるような痛みと共に、何かが流れ込んでくるのが分かった。
◇
ところで。
ゾンビが人を噛む理由を知ってるか?
あれは――祝福なんだ。
ゾンビになった俺が言うんだから、間違いない。
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