第3話◇幸福と懸念
吹き抜ける風が頬を撫で、心地の良い朝日が出迎えてくれた。
ここは、俺が住んでいる街から馬で二日ほどの距離にある村で、規模はそう大きくない。
馬のビオラに会いに行こうかと思ったが、村長の家には少し距離がある。
ビオラの朝食に関しては、俺がいなくても他の隊員が賄ってくれるので問題ない。
剣を振りながら、改めて昨日の魔獣討伐について考える。
――なんつぅか、最近多いなぁ……。
そうなのである。
魔獣は、普通の獣が魔力を浴びて変質した姿だ。だが、魔力は大気中にも含まれており、その程度じゃ害はない。
変質には濃い魔力が必要で、自然界に出来た魔力溜まりに獣が通りがかり、そこで魔獣へ――ってのが基本パターンだ。
これが国規模で見ると無視できない数いるので、聖騎士なんてものがいるわけだが……。
にしても、最近は忙しい。
この数ヶ月の発生数は、例年の数倍だ。
――まぁ、構いやしねぇか。
このことで誰かが悩むなら、それは上層部や研究者連中であって、現場の騎士が騒いだところで何が変わるわけでもない。
それに、俺としちゃあ実戦経験が積めるのは良いことだ。
ガキの頃からずっと求めているものがある。
強さだ。
強ければ、理不尽な暴力に負けない。
目障りだという理由で蹴り飛ばされたり、生意気だと因縁を付けられて殴られたり、血反吐が出ている様を嘲笑われたり、飯や持ち物を奪われたり、踏みつけにされることもないのだ。
強ければ奪われない。
面倒を見てくれていたジイさんも、『汚い』という理由で暴力を振るわれ、数日苦しんだ末に死んだ。
そのジイさんが、いつだったか言っていた。
男の幸せとは、いい女を抱き、愛する者を守ることだと。
愛とかいうのはよくわからなかったが、ジイさんの言う幸せというのが何か、自分で知ってみたいとは思った。
クソみたいな生まれの俺にも、唯一、そこで獲得したものがあったのだ。
忍耐だ。暴力に耐え忍び生きてきた俺は、幼いながらにして、鍛錬への適性が備わっていた。どれだけ苦しくても、ただ暴力に晒されるのとは違う。鍛えた分だけ、人は強くなる。なんて素晴らしいことなのか。
俺が義父に拾われることになったのは、牢屋でのことだ。
ジイさんを痛めつけた奴らが『汚かった』ので、奴らの理屈に合わせて暴力を振るった。
それが少々やり過ぎだったらしく、衛兵が出張ってきたのだ。
その聖騎士は管轄も違うのに牢屋の俺を見物に来て、最終的に俺を引き取って育てるなどと抜かした。
そして、『強さとは、誰かを守る為にあるのだ』と、ジイさんと似たような言葉を俺に向けたのだ。
ただし、説教するような口調だったが。
――誰かって誰だよ。
当時はそう思ったが、今ならば分かる。
強さとは、世の女性を助ける為にあるのだ。
掃き溜めで生きていた頃のような苦しみは、もうない。
俺は強くなった。そしてこれからも強くなる。
この強さで敵という敵を倒し、困っている女性を助ける。
そしてお近づきになる。
それでいい。これが、ジイさんの言ってた『幸せ』な筈だ。
……本当に?
「アホくさ。他に何があるんだよ」
俺は頭の中に浮かんだ意味不明は疑問を振り払うように、剣を振る。
◇
その後、俺はトリーの手料理をご馳走になった。
「もう帰るの?」
食卓を片付けながら、彼女が言う。
「あぁ。最近は魔獣の出現が多いみたいで、またすぐに任務だと思う」
「あんな化け物と、何度も戦うのね」
「そうなるね」
普通の熊でさえ、容易に人を殺せる怪力の持ち主。それが魔獣化すると、並の刃と腕じゃ毛皮を突き破れなくなる。
俺の腕は並どころではないので余裕だが。
「怖くないの?」
「怖い?」
「えぇ。わたしは昨日、身が竦んでとても動けなかったわ……」
確かに、暴力やその気配を前に、震える人間はよく見る。
「……まぁ、民に害を為す存在を討滅するのが、聖騎士の仕事だから」
俺は受け売りの言葉で誤魔化した。
敵を怖いと思ったことはない。
考えるのはいつだって、どうすれば凌げるか、どうすれば倒せるかだ。
「ふふ」
「なんで笑うんだい?」
「格好いい言葉だけど、心がこもっていないんだもの」
「役者の才能はないんだ、勘弁してくれ」
俺が肩を竦めると、トリーが近づいてきて、俺の頬を撫でた。
「でも、昨日の聖騎士さん、とても格好よかったわ」
頬にあたる彼女の手に、俺は自分の手を重ね、微笑む。
「それはそれは、光栄の至り」
熱を帯びたトリーの視線を真正面から受け止める。
どちらともなく顔を近づけ、そして――。
「――おい! アルッ!」
家の外から叫び声が聞こえた。
野太いその声には聞き覚えがある。
それもその筈。部隊長の声だからだ。
「ここにいるのは分かっている! 帰還の時間だぞ! さっさと出てこい! 説教は道中行うから、覚悟するように!」
俺は深い溜息を漏らしてから、ゆっくり席を立つ。
「済まない、迎えが来てしまったようだ」
食事の際に壁に立て掛けていた剣をとり、腰の剣帯に吊るす。
「またね、聖騎士さん」
「また魔獣が出たら、すぐに駆けつけるよ」
「貴方が来てくれるなら安心だわ」
俺がトリーと再会することはなかった。
俺がゾンビになったのは、この日のことだからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます