第2話◇一夜と十八

 



 温もりが離れていくような感覚に、目が覚める。


「あら、起こしちゃった?」


 今しがた自分から離れていったものの正体が、心なし申し訳なさそうに言う。


 寝台から身を起こし、足を床に下ろしているのは、赤い髪の女性――トリー。

 昨日大熊の魔獣から助けた村娘だ。


 俺から見えるのは彼女の背中だが、一糸まとわぬ姿なのが分かる。


「構わないよ」


 俺も上体を起こしつつ、彼女の声に応じる。


「朝ごはんは食べて行く?」


「そこまで世話になるのは申し訳ないな」


「何言ってるの? 足りないくらいよ」


 彼女の態度は、初対面の時よりも大分砕けたものになっている。

 多少は心を許してくれたということか。


 大熊の魔獣を倒して彼女の命を救ったり、森での採取物の入った籠を拾った……だけでこうなったのではない。


 俺は部隊で村へ派遣されたのだが、トリーの件を聞いて一人先行し、彼女の窮地に間に合った。


 仲間との合流後、魔獣の死骸の確認と周辺の警戒を行うことになり、そこで俺は閃いた。


 食べ物に困っているからトリーは一人森に入ったのだ。

 困っている女性を放っておけば男が廃る。

 ここはちゃんとしたものを食わせてやらねば、と。


 魔力の影響を強く受けた生き物は食用に適さないので、魔獣ではダメなのだった。


 そこで普通の熊を狩った。

 そして彼女一人がやっかみを受けては可哀想なので、村全体へ振る舞うこととしたのだ。


 結果として、村人全員が腹いっぱいに飯を食うことが出来、かつ魔獣の心配もなくなった。

 万事解決である。


 その上、俺は美しき村娘に大層感謝され、一夜を共にしたわけだ。

 八方丸く収まるとは、まさにこのこと。


 なにやら上司に口うるさく言われた気もするが、まぁ上司は男だし、男の言うことなど記憶に留めておく必要はないので問題なし。


「聖騎士さん?」


 考え事をしていて、彼女への返事を忘れていたのだと思い出す。


「……ん。じゃあ、遠慮なく頂こうかな」


 応答しつつ視線を巡らせ、床に転がる己の服を発見。

 それらを拾い、身にまとう途中、彼女の部屋にあった鏡が目に入った。


 そこに映っているのは、眠そうな面をした自分の顔。

 黒い髪、黒い瞳。鍛えてはいるが、最低限の筋肉しかつかない身体。


 両親の顔も見たことがない孤児なのでハッキリとは分からないが、幼い頃に貧民窟で面倒を見てくれたジイさんによると、母は娼婦で、異国の旅人の子を身ごもったらしい。

 それが俺だ。


 つまり、この髪も目も頼りなげな体格も、その父親の所為なのだろう。

 金髪碧眼で高身長かつ面の良い筋骨隆々の男が実父だったら、人生もう少し楽だったのだが。


 まぁ、ないものねだりしたって仕方がないので、持ってるもんでやりくりする他ない。

 適当に服を着終えた俺は、近くに剣がないことに気づく。


「……なぁ、俺の剣を知らないかい?」


 台所にいるトリーに向かって声を掛ける。


「えー? 剣? 知らないけど……あ、ベッドの下でも覗いてみたら?」


「ベッドの下ね……」


 覗いてみたら、確かにあった。

 何故ベッドの下に剣が転がっていたのかは、記憶にない。


 まぁ、事の流れで床に放ったあと、どちらかが誤って蹴飛ばしたのだろう。


 自分の剣をやたらと大事にするやつもいるが、俺にとってはただの道具だ。


 こだわりは執着を生んでしまう。世界最高の聖剣であろうと、必要ならば使い捨てにできるような心持ちでいなければ、この仕事はやっていけないと思う。


 戦闘中、父親に貰ったとかいう剣が折れたことで放心し、その隙を突かれて死んだやつがいた。


 気にせず動けば、やつはまだ生きていたかもしれない。

 手入れは必要だが、ものはものと割り切らねば。


 そんなことを考えつつ、拾った剣を腰に吊るし、居間へ向かう。


「そういえば、聖騎士さんのお仲間さん? はどうしたのかしら」


「あー、確か村長の家にお邪魔になるとか聞いたような……」


 魔獣だろうとゾンビだろうとゴーレムだろうとドラゴンだろうと、『普通じゃない存在』の起こす事件は全て聖騎士と呼ばれる者たちが対処する。


 俺もその一人で、昨日は義父と義弟を含む五人部隊で任務についた。


 俺がトリーの家に招かれる前、義弟がそんなことを話していた記憶が薄ぼんやりとあるような気がしないでもないのだが、やはりどうでもいい。


「なにか手伝えることはあるかな」


 彼女の背中に声を掛ける。

 任務によっちゃ野宿も珍しくないので、切る焼く煮込むくらいは出来る。


「いいからいいから」


 断られてしまった。


 トリーとしては、まだまだ恩義があるという感覚なのかもしれない。

 そのまま料理中の姿を眺めるのも悪くはないが、やはりどうにも手持ち無沙汰だ。


「ありがとう。じゃあ……外で素振りをしてくるよ」


「昨日、あんな大きな熊を倒したのに、今日も鍛錬するの? さすがは聖騎士ね」


「やめてくれ。ただの習慣だよ」


 褒められて悪い気はしないが、その言葉はなんだか『今日も息をしているなんてさすがね』と言われているようで、素直に受け止められない。


 思わず苦々しい顔になってしまう。

 幸い、彼女には見られずに済んだようだが。


「ねぇ、そういえば貴方、幾つなの?」


「んー、十八」


 実際のところ正確な年齢はわかっていないので、適当だ。


「若い!」


 トリーは驚きの声をあげる。

 昨日聞いたところによると彼女が二十歳だというから、熊を殺せる聖騎士が年下だったことに驚いたのかもしれない。


「あはは」


 驚いて料理する手を止める彼女に苦笑してから、木製の扉から外へ出る。


 悪くない朝だ。

 そう思う。



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