第40話 家政婦は見た

 午後のお茶の時間。

 天気のいい休日に家族がそろい、ゆったりする時間は至福である。


 会話の中心は仕事のことや日常生活が中心だが、今の関心は王都に居を構えた英雄だ。

 なにしろ無数の伝説を持つ英雄である。

 同じ時代に息をして、同じ都市に暮らすだけでも、真偽取り混ぜた話題が尽きることはない。

 ましてや直接言葉を交わし日常生活に関わるものが家庭内にいるとなると、話の花が開くのも当然の事だろう。


「おばあちゃん、最近はお仕事楽しそうね」


 自然と英雄宅で家政婦をしているライナに会話は向けられた。

 憧れの表情でいる孫娘の浮き立つ声に、ライナは思わず遠い目になった。


 来年、ライナは齢七十歳を迎えるけれど、週に四日は元気に家政婦として働いている。

 下町暮らしとはいえ主人は健在、息子夫婦と同居、孫たちも就職しているので、実は働かなくても暮らしに困りはしない。

 一人ポツンと留守番をしてのんびり余生を過ごすよりも、動いているほうが落ち着くのは下町生まれの下町育ちの宿命だろう。


 無言のまましばらく思考を巡らせて、手元のゼリーに視線を落とす。

 言葉を選んで話そうとしても、うまく伝えられる自信がなかった。


 英雄と呼ばれる人も、その周囲にいる人も、強烈すぎてどう表現して良いかわからないのだ。

 雇われる前、面接時に見た汚館の衝撃も忘れられないが、アレはアレで彼らなりの理由がある事だし、洗濯婦時代はもっとひどい有様も見たことがあったので、それなりに受け入れていた。

 だから、彼らの事情を受け入れつつも果敢に挑み、王都らしい暮らし方改革に成功したミレーヌの手腕には脱帽するばかりだ。


「そうねぇ~今は若い住み込みの人も来てくれたからねぇ」


 最初が最初だっただけに、確かに今は楽しいような気もする。

 思い出した惨状に思わず食欲を失いかけたけれど、ゆっくりとスプーンを口元に運び、やわらかな甘さで心を落ち着ける。

 ライムの香りがする透明なプルプルとした冷たい食感は爽やかで、蒸し暑くなった午後でもツルンと甘く喉の奥へと落ちていく。


 ニコニコとして続きを促す孫たちには悪いけれど、選ぶ言葉も難しいので「ごめんなさいねぇ、内情は話してはいけないのよ」と言葉を濁した。

 守秘義務があるのは当たり前だが、守秘義務がない部分も色々と超越していて語りようがないのだ。

 当たり障りのないところで、英雄のガラルド様はチーズオムレツが好きだとか、遠征のお土産に果物をたくさんもちかえるとか、そんなほのぼのしたまともな出来事を語る。

 まともな話が好物やお気に入りメニュー程度だというのが悲しいけれど、それでも「英雄も普通の家庭料理が好きなんて、庶民的で親近感がわくわ」なんて孫娘たちは喜んだ。


 はぁ~とこぼれそうな長い溜息を、こっそりゼリーとともにライナは飲み込む。

 東流派からの直接の雇用になるので、賃金も労働時間もきっちりしているし、休日もちゃんと契約通り。

 退魔を生業とする厳つい武術集団だからそれなりに覚悟はしていたものの、よく気がつく人たちで重い物を運ぼうとしたらササッと横からさらって手伝ってくれたり、遠くからでもカラリとした明るい挨拶を声掛けしてくれたり、そう言った意味では非常にいたせりつくせりである。

 これほど働きやすい場所はそうそうない。


 しかし。やっぱり定住したことのない男たちのやることといったら。

 言語にできない問題行動も非常に多かった。

 キャッキャと華やぐ孫たちが明るい表情で語る憧れの姿に、ついつい真実を語りそうになる口をグッと堅くつぐんだ。


 雇用されてすぐ、家政婦になったのを後悔した日々を思い出す。

 若い頃の事ばかり思い出して最近の記憶が薄らぐ齢になったというのに、ここ最近の彼らに関わる記憶の鮮明さといったら。


 玄関を開けてすぐに広がっていた、衝撃の汚物の山。

 臭い、汚い、気持ち悪い。

 そこに広がっていたのは、誰だって逃げ出す見事な汚部屋だった。


 傭兵や浮浪者などの変装用の汚い服はまだいい。

 魔物捕獲用の罠やえさ、海獣の鱗や魔獣の毛皮。

 そんなものが玄関だけではなく廊下にまで山と積まれていた。


 積まれて気持ち悪いだけなら、まだマシだ。

 その怪しい物体の上に黒い影が躍ったり、奇妙な唸り声が聞こえてきたり、怪奇現象も日常茶飯事。

 目を合わせず気にしなければ無害ですから~なんて言われたけれど、あの影と目を合わせたり気にしていると何か良くないことが起こるのと同意だから、背筋が冷たくなった。

 ひょいひょいと目の前を奇妙なモノが横切って、見ないふりができる者はいないだろう。

「もしもの時はすぐに対処しますから」なんて微笑まれても、ニッコリ笑って「わかりました」なんて言える度胸のある者は非常に少ない。


 それだけではなく、中庭でグーグー寝ている姿を見つけて風邪でも引いたら大変と、手元にあったひざかけをかけようとそっと近寄ったら、いきなり喉元に剣をつきつけられて腰を抜かしたこともある。

 すぐに剣は引かれたし「足音を忍ばせていたので勘違いした」とペコペコ頭を下げられたけれど、一度上がった血圧は簡単に下がらず、翌日は休んでしまった。

 それ以上にニコニコしていても異様な威圧感を受けるし、目を合わせただけで妙な圧迫があって一歩下がりたくなるし、真顔で話し合ってる横を通っただけで押し寄せてくる怖さがあり、心拍が上がり心臓に負担がかかって仕方なかった。

 気のせいだと流したいのに、素の彼らには本能的な恐怖を感じる。


 次の人が入ってきたらやめよう。

 そう思っていたのにずっと新しい家政婦が入ることはなかった。


 当然である。

 どんなに条件が良くとも、誰だって命が大事だ。

 このまま怯えながらズルズルと雇われるしかないのだろうか……どんどんと寿命が縮んでいく、と半泣きの時に救世主が現れた。


 現在、住み込みで働いているミレーヌである。

 若いお嬢さんなのに、朗らかで細かいことを気にしない。

 かといって大ざっぱではなく、日常への気配り目配りもしっかりしている働き者だ。

 度胸があるのか言いにくいことまでサクッと言って、あっという間に汚物の山を撤去した。

 その上、ほほほと笑いながら威圧感のある扱いにくい連中の胃袋をつかみ、どっしりと尻の下に敷いてしまった。


 快挙である。

 彼女の笑顔には、おひさまのように強力な清潔・殺菌能力がある。

 その手腕と真実をおおっぴらに語れないのは仕方ないが、どこの誰に語っても恥ずかしくない程度に飼いならすことができるなんて、あの時は感動で涙してしまった。


 ミレーヌがいなかったら半月もしないうちにポックリ逝っていたかもしれない。

 などと本気で思っているライナであった。


 今は本当に恵まれている。

 ときどき黒熊隊員たちはお土産と言って妙なモノを持ちかえることはあるけれど、ミレーヌの手にかかるとまともな料理に生まれ変わるのが不思議だ。

 好奇心が旺盛なのか知識欲も無限なのか、ミレーヌは「初めて見ますわ」と言いながらも記憶のどこかからか似た食材知識を引っ張り出して、試行錯誤しながら難なく調理している。

 現物を知っていたら、完成品との落差に驚くしかない。


 そういえば。

 昨日の夕方も革袋に詰めて、赤や青のまだらでグチョグチョした気味の悪い粘液を持ちかえってきた。

 海獣の目玉周辺でコラーゲンがどうのと話していたけれど、終業時間だったのでミレーヌに任せてそそくさと帰宅したのも記憶に新しい。

 台所に持ち込んできたので、おそらくは食料なのだろう。


 嬉しそうに「美味しいんですよ」などとお勧め食材として紹介していたが、ライナには理解できない感覚だ。

 家畜以外を食べるなんて考えたくもないし、あの気持ちの悪いものがどうなるか想像するのも恐ろしい。

 そう、ガラルド宅の家政婦にしか見ることのできない世界が確かにあった。


 今日が休みで本当によかった。

 ほぅとため息をつきながら、ライムのゼリーを一口食べる。


 非常に美味しい。

 普通のゼリーよりもフルフルして、やわらかいのに存在感があった。


「このゼリーは美味しいねぇ。どこで買ってきたんだい?」

 素朴な質問をしたライナに、孫娘たちは花のように笑った。

「あら? 言ってなかった? これ、ガラルド様のお宅から託けられたのよ。想像以上に美味しかったから、ぜひご家族でどうぞって」


 思わず手が止まった。

 サーっと血の気が引いて行くのは気のせいではなかったが、ライナの異変に誰も気づかない。


「休養日のおばあちゃんや私たちまで気づかってくれるなんて、やっぱり世界的な英雄になるだけの人は違うわよね」

「ほんとに。素敵な人たちだわ」

「ガラルド様は恐れ多いけど、黒熊隊の人たちも少し見た目は怖いけど美丈夫よね」

「みなさん、二十歳代なんでしょう?」

「王都に定住されるならお近づきになれるかしら?」


 なんて、きゃぁきゃぁと盛り上がる孫娘たちを見ながら、ライナは手元のゼリーを見つめた。

 昨夜の海獣の粘液を思い出し、思わず胸を押さえてしまう。


 これはもしかして……もしかしなくても……?


 いやいやと思いなおす。

 ここは深く考えてはいけない。

 目の前にある、さわやかなライムの味わいだけに、意識を集中すれば幸せだろう。


 このゼリーは美味しい。

 それだけでいい。


 何も知らないままの幸福もあると、身をもって知るのは、喜びなのか悲しみなのか。


 眠る間際、枕の上に。

 ホロリとこぼれ落ちたライナの涙を、誰も知らない。



【おわり】


※ 王都民は物流に恵まれているので、家畜しか食べたことのない人がほとんど。

  辺境地では魔獣や魔物は美味しいご飯です。

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