第75話 それぞれの事情⑤

 野々花ののかが神社にスマホを置いたのは、何かのはかりごとがあったわけではなかった。

 ただ、一輝の形見を智和ともかずの手に渡したかっただけのことだ。


「——智和さんが、一輝さんのスマホを気にし始めたので、渡してあげたかったんです」


 ただ自分が長いこと保管していたことは、隠しておきたかったようだ。

 スマホを手にした経緯を説明するには、由美子のことも話さなければならない。

 野々花は由美子に同情していた。


「——由美子さんだけでなく、私も町の嫌われ者でしたから……」


 野々花は、真理子が母親の月命日には必ず神社に来ると知っていたため、スマホを賽銭箱の上に置いておけば自然と智和の手に渡るだろうと考えた。

 だが、運悪く女子中学生に見つかり、その子によってスマホは智和に届けられた。

 その後、今度はカバーだけが残り、本体が消えてしまった。

 野々花はいまだに不思議がっている。


「——どうして岩田さんは、スマホを盗んだんでしょうか?」


 正語しょうごはその話を思い出しながら、鷲宮家の通用門をくぐった。乱張りの石畳みを進み、竹林の中に立つ結界を横目に屋敷へ向かう。

 玄関が近づくと、屋敷の中から掃除機の音が聞こえた。


「ごめんください」


 たたきから声をかけたが、掃除機の音は止まらない。仕方なく靴を脱ぎ、音のする方へ向かう。

 掃除機をかけているのは、背中までまっすぐに伸びた黒髪を持つ少女だった。正語が再び声をかけると、彼女は掃除機を止めず、顔だけをこちらに向けた。

 その顔を見た瞬間、正語は思わず目を見開いた。


(……この子……佐伯高太郎さえきこうたろう……コータか……)


 血縁ではないはずなのに、佐伯高太郎は真理子によく似ていると宇佐美から聞いていた。実際に見ると、その通りだった。

 コータは掃除機をかけながら、じっと正語を見つめている。


「高太郎さんはどこ?」


 正語が尋ねると、コータは無言で屋敷の奥を指した。片方の手は掃除機の柄を握ったままだ。

 正語は軽く礼を言い、指された方へ向かった。




 正語は勝手知ったる『百合の間』に入った。

 入った途端、思わず立ち尽くす。

 正面の壁には、鷲宮久仁子わしみやくにこの肖像画が飾られているではないか。

 思わず駆け寄り、壁に手をついて頭を下げた。


(久仁子さん、この間は本当にありがとう! おかげで最高の夜を過ごせた。でも、あいつの中に入るのはもう止めてくれ。嫌がってたから……他に青灰色の目を持った人間を見つけたら、また出てこいよ。遊ぼうぜ!)


 そのとき、背後から声がした。


九我くがさん、何をなさっているんですか?」


 振り返ると、鷲宮高太郎が立っていた。隣には右目だけが青灰色の少年がいる。正語は肖像画を二度見した。


(……もう、かよ)


「あなた、そんなに叔母に同情して下さってたんですね……」


 高太郎は感心したように正語を見た。


「九我さんですか?」少年が口を開いた。「チュウタの家の人ですか?」


「チュウタ?」正語は怪訝な顔をした。


(今度は、ネズミなのか?)


 少年はなぜか反抗的に正語をひと睨みすると、プイと横を向き、「俺、『西手』に行ってトイレ借りてきます」とだけ言い残して部屋を出て行った。


「彼は?」と正語が高太郎に尋ねる。


 高太郎はしばらく久仁子の肖像画に見入っていたが、静かに答えた。


賢人けんと君です。一輝君の息子ですよ」


「母親も来ているんですか?」


「由美子さんには出て行ってもらいました。みやびさんと何か行き違いがあったようで、彼女に失礼な態度を取ったんです。雅さんと和解するまで、この家には入れません——それから」


 高太郎は絵から離れて正語に向き直った。


「今度、警察を呼ぶときは、私に断ってからにしてください」


「(知るかよ!)この絵、こちらに移したんですね」


「ここに飾った方が久仁子さんが喜ぶと、甥が言っていました」


「……秀一……ですか?」


「もっと冷淡な子なのかと思っていましたが、友達思いの優しい子でしたよ。涼音さんの無実を信じて、一晩中走り回ったようです。そのせいで翌日は全く動けなかったみたいですが」


「……今はどこにいるんですか?」


「『西手』にいるでしょう。弟もショックを受けているでしょうから、そばについているのではないですか?」


 結婚まで考えていた女が殺人犯だったのだ。智和もさぞ気落ちしていることだろう。


「九我さん、お探しの物が見つかりました」


 高太郎がそう言い、正語を案内し始める。正語は後ろに従った。


「さっきの賢人君、トイレを借りに『西手』に行くと言っていましたね。こちらのトイレ、故障しているんですか?」


「使えますが、彼はなぜかお風呂とトイレは『西手』のものを使いたがるんです」


「……ここ、汲み取り式ですか?」


「いいえ、水洗です。ウォシュレットもついていますよ」




 正語が真理子の仏前に手を合わせている間、高太郎が戻ってきた。手には小ぶりな桐の箱を抱えている。彼は正座しながら、無言で箱をそっと開けた。なぜか白い手袋をしている。


 箱の中には、液晶が粉々になったスマートフォンと色褪せたリボンが入っていた。


(これか……)


 正語がスマホに手を伸ばすと、高太郎がピシャリと手を叩いた。


「これを使ってください」


 そう言って、白手袋を差し出す。


(骨董品かよ)


「犯罪の証拠なんです。丁寧に扱ってください」


(なんで、あんたにそんなこと言われなきゃならないんだ!)


「私はあの男が昔から気に入らなかった。あの男の罪を暴くためなら協力は惜しみません。真犯人は、あいつなんですよね?」


 正語は頭を抱えたくなった。


(おいおい、どうやって死人が人を殺すんだよ……)


 事件はすでに解決している。犯人も自供を済ませている。今さら真犯人を探しているわけではない。正語が追っているのは、そもそもみずほ町にやってきた理由——一輝のスマホの行方だ。


 野々花は、岩田が『西手』からスマホを盗む現場を目撃している。

 その時は、真理子が一輝の形見として欲しがったのだろうと考えたようだ。智和が欲しかったのはスマホのカバーだけであり、本家と分家の確執に首を突っ込むのは面倒だと、野々花は黙っていたそうだ。


「——最初は、無口で暗い女だと思ってましたが、冴島さんとコータくんの関係を聞かされてから、コータくんが猫にご飯を上げているときにパンケーキを作って持っていくようになり……少しづつ、真理子さんとも親しくなっていきました……陽気な時も、そうでない時もあって、気分にムラのある人でしたが、別に、あの人のこと、嫌いじゃなかったんですよ……」


 正語は野々花の話を聞き、岩田の家を家宅捜索させたが、スマホは見つからなかった。事件が起きた日の朝、岩田が守親を訪ねたという雅の話を思い出し、高太郎に守親の部屋を調べてもらった結果、このスマホが出てきたのだ。


 正語は渋々、白手袋をはめた。何かを期待するような目で見つめる高太郎の前で、それらしくスマホを検分した。次に箱に入っていた古びたリボンを手に取る。


「これは?」


「その紐は、父が隠し持っていたものです。何かの証拠になるかと思い、一緒に入れておきました」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る