第76話 それぞれの事情⑥
「どうして岩田さんが真犯人だとお考えになるんですか」
「彼が悪人だからです」
その一言に正語は嫌な気分になった。一言断り、胡座をかく。
(厄介な話を持ち出すなよな。公安絡みとか勘弁してくれ)
岩田は昭和二十二年生まれ。裕福な家で育ち、幼少期からテニスに打ち込み、高校では目覚ましい成績を上げている。しかし、大学入学とともに学生運動に傾倒し、家から勘当を受けた。やがて極左集団に加わり、公安にマークされる身となるが、三十代を過ぎてから精神世界に傾倒する。瑞穂村の霊媒一族・鷲宮家にたどり着いたのも、その探求の末だった。
「……岩田さんの何をご存じなんですか」
(まさか瑞穂村に来ても国家転覆を目論んで活動を続けていたとか、そんな話じゃないだろうな……)
「携帯の中に、彼の悪事の証拠があるのではないかと考えています」
高太郎は腕組みをしたまま、まっすぐ正語を見た。
正語は眉間に皺を寄せ、桐箱の中のスマホを見る。
一輝のパソコンは調べたが、クラウドに保存されていない重要なデータが、この中にある可能性は否定できない。
「あの神社から一輝君の携帯が見つかった時、一番中身を気にしていたのは岩田さんでした。一輝君は亡くなる直前、興信所を使って何かを調べていたんです。彼は岩田さんのことを探っていたのではないでしょうか」
「それは違います」
正語は即座に否定した。一輝が興信所を使って調べていたのは、自分の父親の再婚相手、野々花の過去。それも真理子が「あの女は胡散臭い」と言い出したためで、一輝が自発的に動いたわけではなかった。
「スマホは調べますが、あなたは岩田さんの何を怪しんでいるんですか」
高太郎は一瞬口を閉ざした後、真理子の位牌に目を向けた。長い沈黙の後、彼は正語に向き直り、畳に手をつき深々と頭を下げる。
「ここから先の話は、他言無用でお願いします」
「(内容次第だが……)承知しました」
高太郎が顔を上げた時、その表情には憔悴の色が濃く滲んでいた。
「早苗さんは、私の妹です」
「守親さんの隠し子ですか(女に汚い男だったんだろ。いまさら、驚かねえよ)」
高太郎はうつむいたまま、微かにうなずいた。
「岩田さんが入院先で早苗さんと出会ったのは偶然です。祖母に似ていることで怪しみ、生まれを調べた結果、彼女が父の子だと分かり、祖父母に報告したのです。祖父母はすぐに早苗さんをこの家に呼ぶことにしました」
「早苗さんは久仁子さんの看護人として呼ばれたんですよね? 家族として迎えられることはなかったんですか」
「父が強く反対しました。父にとって早苗さんは、忘れたい過去だったのです。祖父母にとっても必要だったのは孫娘ではなく、灰色の目の子供を産む可能性だけでした」
高太郎は首を項垂れ、辛そうに顔を歪めた。
「祖父母は私に早苗さんとの縁談を勧めてきました」
「……あなたたち、母親の違う兄妹ですよね」
「ええ。この家では、灰色の目を持つ子供を作るためなら、不道徳な手段も厭わない歴史がありました——当時、灰色の目の霊能力者は、叔母の久仁子さんしかいませんでした……私共の母が、黒い目の子どもしか産めなかったせいです……母は家から追い出され——父は妹と——久仁子さんとの子をもうけることを、親から強要されました……」
そうして生まれたのが早苗さんだと、高太郎は小さく言った。
「しかし、目の色が黒かったため、祖父母の命令で岩田さんが施設の門前に置き去りにしたのです……私は父からそのことを知らされて、早苗さんとの結婚を諦めました——」
早苗は不貞を疑われて自ら命を絶ったが、潔白だった。
霊媒師、鷲宮久仁子と、この家の当主守親の間の子なのだから、生まれた子どもが灰色の目を持っていてもなんら不思議ではなかったのだ。
「……あなたは、それを知っていて、妹を見殺しにしたんですか」
正語の問いに、高太郎は畳に目を落とし、首を振った。
「当時、早苗さんが嫁いだ村は遠隔地で交流が乏しかったんです。私は家に閉じこもる性分で、早苗さんが灰色の目の女の子を産んだ話を聞いたのはだいぶ後のことでした……その頃は一輝くんが生まれていたので、祖父母の早苗さんへの関心は薄らいでいましたが、真理子さんのことを知った祖父母は、何がなんでも真理子さんを手元に置こうとしたのです——無論、早苗さんは応じません……そこで祖父母はまた、岩田さんを使うことにしたのです——」
首を吊っている母親を見た真理子が『お母さんが桜の木にぶら下がったまま、おりて来ない』と岩田の元に走って来たことは、雅から聞いた。
だが話には続きがあった。
真理子は『おじさんが、やったんだから、おじさんが下ろしてよ』と、岩田に言ったそうだ。
岩田はその発覚を恐れたのか——。
当事者はもう亡くなっている。
今となっては調べようもない話だ。
正語は桐の小箱を手に立ち上がった。
「——真理子さんは、私に訴えたいことがあったのかもしれませんが、何も言いませんでした——去年あたりから、人が変わったように明るくなりましたが、それまでは会話らしい会話などないに等しい間柄だったんです……私も、掘り起こされたくなかった……」
高太郎は手をつき、丁寧に頭を下げた。
「真理子さんは、あなたといると、とても楽しそうでした。ありがとうございました」
礼に答えず、正語は部屋を出た。
秀一との待ち合わせ時間が迫っていた。
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