第73話 それぞれの事情③

 正語しょうごが再びみずほ町を訪れたのは、事件発生から十日後のことだった。

 犯人の自供もほぼ終わり、事件の全体像が明らかになりつつあった。


 秀一しゅういちには「迎えに行く」とメールを送ったが、返信はなかった。待ち合わせ場所は指定してある。

 最後に秀一と会ってからというもの、正語は自己嫌悪と悔恨に苛まれてきたが、今はその感情も少しずつ薄らいできた。

 ——これ以上傷つくのは危険だと、脳が自らを守ろうとしているのだろうか。


 みずほ町に入り、正語はまっすぐ鷲宮わしみや一輝かずきが亡くなった温室に向かった。

 狭い駐車スペースに車を停めると、真理子の軽自動車に同乗した日の記憶が蘇る。

 長いため息が漏れた。


(……真理子さん、もう少し運転が上手かったら、今頃は海に行けていたかもな)


 温室の扉の前には、誰が手向けたのか、桔梗の花束が供えられていた。

 正語はしゃがんで、花束にそっと手を合わせる。


(あんたも、大変だったんだな)


 霊視や霊媒の話は脇に置いておくとしても、一輝が受けていたプレッシャーは正語にも理解できた。

 裸の王様は、自分が裸であることを誰よりも知っている。だが羽織る衣装はどこにもない。

 周囲が気づいていないと信じたかったが、実際は、あえて口にしないだけで皆が知っていた。

 そのことを真理子だけが見抜けなかったのかもしれない。


 あの日、一輝は岡本から殴られて、霊視が出来ないことを罵られている。

 その日にやってきた秀一に、みずほに帰ってこいと言ったのは、鷲宮の威信を守るためか? 弟は自分の命令なら、なんでも聞くと思ったか?


(……あいつは結構、強情だぞ)


 一輝は、従順だと思っていた弟から反抗されただけではない。

 その日は元妻の由美子と会う約束もあった。一輝は由美子に電話でやり直そうと言ったようだが、由美子は応じない。養育費の水増しを請求されただけだった。

 

 とどめは真理子から、除霊を頼まれたせいか。

 好きな女の役に立てず、無力感に打ちのめされたのか?

 唯一の味方にぐらい、正直になればいいのにと呆れるが……。


「まっ、そう簡単にはいかないよな」


 独り呟き、正語は立ち上がった。

 温室の近くに木の作業台と棚があるのに気づく。


(あの棚に、秀一が一輝のスマホを置いたんだな……)


 兄に声をかけられなかった秀一は、スマホを棚に置いてその場を立ち去った。

 次に現れた由美子は、一輝と真理子が抱き合っているのを目撃し、腹を立ててスマホを持ち去り、液晶を叩き割った。そして、それを畑に投げ捨てた。


 それを見ていた野々花ののかが、スマホを拾う。その時の彼女に悪意はなかった。

 由美子が冷静になったら返そうと考えていたが、由美子はその後、連絡を絶ってしまった。

 野々花はスマホを持ち続ける羽目になり、それが彼女に災厄を招いたのだ。


 温室を離れ、正語はその横にある階段を上り始めた。

 この先には鷲宮本家がある。

 真理子の仏前に手を合わせるつもりだった。


 階段を半分まで上ると、急に周囲が涼しくなった。

 上り切る前に、見晴台となっている東屋に、人影があるのに気づいた。

 タバコの煙が微かに漂う。


「お久しぶりです」


 正語が声をかけると、みやびはびくりと体を震わせ、振り向いた。

 正語を見た雅は、目を丸くし、屈託のない笑顔を浮かべた。


「……いいね、スーツ……男っぷり上がるじゃん。見たよ、記者会見。あんた、やっぱタレントになった方がいいんじゃないの? 警官やってんの、もったいないよ」


「隣、いいですか?」


 雅は横にずれると、ベンチをバンバン叩いて正語を促した。

「少し痩せたんじゃない? あたしの肉、分けてあげよっか」と自分の腹をつまむ。


 正語は笑みを浮かべることなく、静かに切り出した。

「お伺いしたいことがあるんです」


 雅は悪びれず、歯を見せて笑った。

「あたしは真犯人じゃないよ」


「はい?」


「よくあるじゃん、番組が終わると思ったら、ラスト数分で刑事が地味な役者んとこ行って、真犯人はお前だってやるやつ」


「……隠してらっしゃることを、お聞かせください」


「隠しちゃいないよ」

 雅は歯をみせて笑った。

「何も聞かれないのに、言う必要ないだろ?」

 

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