第23話 カエッテ

 みずほ町恒例、夏のテニス大会。

 準備体操が終わり、テニス協会会長岩田の挨拶が続いている。


 秀一しゅういち夏穂かほはクラブハウス前のベンチに並んで座った。

 そこは高い位置にあるため、壇上の岩田や整列する子供たちを見渡すことができる。


「コータは兄さんが温室の中にいるのに、鍵をかけたって言ったんだ……」と秀一は隣の夏穂を見た。「兄さんが何かコータに、ひどいことをしたらしいんだけど……どう思う?」


 夏穂は困った顔をした。

 

「秀ちゃん、コータの言葉を真に受けない方がいいよ……コータ、高校でいじめにあって、心の病気になったの……一輝さんのことがあってから、病気が悪化しちゃったみたいなの……でもさ、コータには真理子先生がついてるから大丈夫だよ!」


 秀一はあたりを見渡した。

 コートの隅に設たテントの中では、町の年寄りたちが団扇を仰ぎながら菓子や茶を口にしている。金網の向こうの雑木林では、大人たちが思い思いの場所にレジャーシートやパラソルを広げて談笑している。


「……真理子さんは、まだ来てないの?」

「まだみたい。真理子先生に開会の挨拶をしてもらうつもりだったんだけど、来ないから、先に準備体操になったんだよ」


 体操が終わっても来ない真理子の代わりに、岩田が開会の挨拶をすることになった。


「ガンちゃんの話、相変わらず長いな」と夏穂が呟いた。「具合が悪くなる子が出なければいいけど……」


 夏穂が心配するのも無理はない。日が高くなるにつれて気温が上がってきた。

 大人たちは日陰にいるが、じっと話を聞いてなければならない子供たちは明らかにうんざりし始めている。


「午後に、うちのお祖父じいちゃんが来るから、会ってやってね。秀ちゃんに食べさせたいから、トウモロコシもいで茹でて来るって、張り切ってたよ」

「オレもひでじぃに会いたいけど、昼には帰るよ。ガンちゃんに会いに来ただけだし」


 秀一が言うと夏穂がじっとこっちを見てきた。


「秀ちゃん、いつから自分のことって言うようになったの? 前はだったよね」


 秀一は自分でもわかるくらい赤くなり、下を向いた。——正語しょうごの影響だ。


 子供の時の秀一はカッコいい正語に憧れて、何でも真似しようとした。正語が捨てた文房具をこっそり拾って使ったこともある。

 夏穂から自分の秘め事を指摘されたようで、秀一は顔が上げられなかった。

 

「おじさんが、秀ちゃんの言葉遣いが乱暴になったって、言ってたよ」

「お父さんが⁈」


 秀一は驚いて顔を上げた。

 あの父が、そんな事を言ってるとは……。


「秀ちゃんを預かっている家は男の子ばかりで、みんな荒っぽいんだって?」

「そんなことないよ!」

「男子高に通ってるんだよね? 大丈夫なの?」

「大丈夫!」


 真顔でじっとこっちを見つめていた夏穂が、ふっと笑った。


「まあ、BL漫画みたいな事、現実には起こりっこないんだろうけどね」と、ちょっとがっかりした顔で夏穂は立ち上がった。


「お祖父じいちゃんに連絡してくる。早く来ないと秀ちゃんが帰っちゃうって、言わなきゃ」


 夏穂はwi-fiが入る公民館へ向かって歩き出した。

 続いて秀一も立ち上がる。


「オレも行く!」


 思い出したら、急に正語のことが気になった。

 無事に『西手』に着けたかどうか電話してみようと、夏穂の後ろを歩き出す。

 だが突然、何かの気配を感じた。振り返ると、『あの女』がいた。

 一瞬で体が凍りつく。

 声も上げられずに固まっていたら、コートの方から岩田の怒鳴り声が聞こえてきた。


「そこ! 人の話は立って聞きなさい!」

「話が長いんだよ! なに言ってんのか、わかんないし!」と岩田に言い返す女の子の声。

「立っていられないなら、帰りなさい!」と再び岩田の声。


「あれ、凛ちゃんだよ……しょうがないなあ、ちょっと行って、止めてくる!」

と夏穂は斜面を下りる。「秀ちゃんはDコートに行って。初心者の子供を二人担当するだけだから、のんびり遊んであげてて、ガンちゃんをそっちに行かせるね」


 秀一はまだ金縛り状態。

『あの女』を見ないように、なんとか一歩足を前に出したら、声が聞こえた。


 ——カエッテ——


(ひえええっ!)


 姿を見たことはあるが、幽霊の声を聞いたのは初めてだ。

 秀一は走った。

 全速力で逃げたが『声』はすぐ後ろを追いかけてくる。


 ——オネガイカエッテ——

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