第三章
第22話 幼なじみたち
【岩田の遺体が発見される三時間前】
『水分とれよ』と
公民館の中は薄暗く、ひんやりとしていた。
エントランスで立ち止まった秀一は、恐る恐る辺りを見回す。吹き抜けになっている二階の手すりも見上げる。
誰もいない。
車の中からつきまとう『あの女』はいなかった。
一気に駆け出した。
受付の前を走り過ぎ、床に足を滑らせながらまっすぐ裏の通用口へと向かう。
重い鉄の扉を開けて外に出た。
太陽の光と共に、ラジオ体操の音楽がいっそう大きく聞こえる。
秀一は、ほっと息を吐いた。
——死んだ人が見えたって、仕方ない。
『あの女』は何か訴えたいことがるのかもしれないが、自分は何もしてあげられないのだから。
公民館の裏は、テニスコートに併設されたクラブハウスの建物の裏側になっている。
背中合わせに立つ、二つの建物の裏口はちょうど同じ位置にあった。その間はわずか数メートル。
秀一はみずほ町にいた子供の頃、公民館の裏口とクラブハウスの裏口の両方のドアを開け放して、そこをジャンプして渡れるか競ったことを思い出した。
クラブハウスからは無理だが、公民館側からならば助走できる廊下があるので脚力があれば子供でも地面に足跡を付けずに飛び越えることが出来た。
公民館を出た秀一はその裏ドアを使ってクラブハウスの中に入った。
早くコートに向かおうと、また走り出す。
だが走り出した途端、通路脇のドアが開き、中から出てきた人物とぶつかってしまった。
「すいません」と、秀一は頭を下げた。
出てきた相手は下を向いたまま、無言で去ろうとする。
去っていこうとする相手が誰なのか分かり、秀一は驚いた。
「コータ?」
呼ばれた相手は、のっそりと顔を向けてくる。
不思議そうな、ぼんやりした顏で秀一を見ていたが、突然パッと笑顔になった。
「秀ちゃん!」
コータは、満面の笑みで秀一の腕を掴む。
「秀ちゃん! 俺ね、カノジョができるんだ!」
それはよかったなと言ってやりたいが……。
秀一はコータが出てきた部屋の案内板を見上げた。
「……ここ、女子更衣室だよ……何してたの?」
「秀ちゃん、ごめんね、本当にごめん」と、コータは秀一の腕を掴む手に力を加えてきた。
「……もういいよ……走ってたオレが悪いんだし……」
秀一はコータの異様な姿に呆気に取られていた。
夏だというのにフード付きの分厚い黄色のトレーナーにジーンズのオーバーオール姿。足は素足にクロックスを履いているが泥まみれだ。髪は伸び放題で目がほとんど隠れている。どのくらい風呂に入っていないのか、ひどい臭いがした。
秀一を掴むその手も爪の中が真っ黒だ。
「俺、一輝さんが死ぬなんて、思ってなかったんだ」
「……?」
「鍵かけたのは俺だけどさ、あんなことで一輝さんが死んじゃうなんて、わかんなかったんだ。秀ちゃん、ごめんね。でも、一輝さんも悪いんだよ、一輝さんは、ひどいことしたんだ——」
コータがそこまで言った時だった。
「よお! 秀一!」
背後で大きな声がして、秀一は反射的に振り返った。
幼なじみの
その隣には
コータは秀一から手を放した。うつむいたまま、小声で囁く。
「秀ちゃん、お姉ちゃんに気をつけて、あれは怪物だよ」
それだけ言うとコータはクラブハウスの裏口ドアに向かってのろのろと歩き出した。
「コータ、待って」
秀一はコータを追いかけようとしたが、武尊が止めてきた。
「放っとけよ。あいつ、変わっちまったんだ」
変わったのは武尊もだろうと秀一は思った。
最後にあった時は野球少年らしい坊主頭だったが、今の武尊は肩まである長髪を赤く染めている。
武尊に手をつながれている涼音のことも気になった。
大人しい優等生だった涼音は、どこか悪いのではないかと心配になるほど痩せている。
涼音は気づかわし気にコータが去ったドアを見つめていた。
涼音の横にいる夏穂が、陽気に手を振ってきた。
「秀ちゃん! 久しぶり!」
夏穂の変わらない笑顔を見た秀一は、故郷に戻って初めて和やかな気持ちになれた。
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