第20話 訃報①

 コーヒーはそれほど好きではなかった。

 味の良し悪しもわからないが「美味しいです」と、正語しょうごは真理子に向かって微笑んでみせた。

 真理子は、小さく頭を下げる。はにかんだ顔で、そのままうつむいた。


 正語の向かいに座るのは、鷲宮高太郎わしみやこうたろう

 腕を組んだまま、前に置かれたコーヒーカップに目を落としている。

 ——しばしの沈黙。

 いっこうに始まらないホームドラマに焦れたのか、口火を切ったのはみやびだった。


「高太郎! なんとか言いなよ!」

 

 雅にドヤされた高太郎は顔を上げた。「どういったご用件でいらしたのでしょうか」と、静かに正語にきく。


 何と言おうか。

 ——お宅のお嬢さんの左目に魅かれるまま、こちらに伺いました。

 とは言えない。

 正語はとりあえず、困ったような顔を作った。


「だからさあ」と雅。「『西手にして』の智和ともかずさんは一輝かずきさんの件を表沙汰にしたいんだよ。コータをしょっぴいて、警察に突き出したいって思ってんだよ!

 この人はそのために智和さんのとこに来たんだけど、真理ちゃんが気をきかせて、こっちに来てもらったってわけよ」


 雅の言葉が終わらないうちから、真理子は下を向いたまま体を硬くした。


「コータは何もしていません! あの子、一輝さんの遺体を見て取り乱してしまって、自分が温室に鍵をかけたせいだって、思い込んでいるだけなんです——コータは昔から慎重な子なんです——中に人がいるかどうか、確かめずに鍵を閉めるなんて——そんなこと、絶対にしません」


 真理子の声は震えている。

 泣き出すのかと、正語はどきりとした。


「智和さんから依頼されたのは、神社で見つかったスマホの件だけです」


 正語が言うと、高太郎は驚いた顔をした。


「神社って、あの……早苗さんが、首吊った神社のこと⁈」


 声を上げたのは雅だ。


「あんた、そのためにここに来たの?」と、雅はポカンと正語を見つめる。


(そうだよ雅さん。がっかりさせて悪いが、俺は落とし物を調べに来ただけだよ)


「スマホの事も、コータがやったと、思われているんです」と真理子は高太郎に身を乗り出した。「一輝さんの遺体を見つけた時にコータがスマホを盗んだんだろうって、町で噂になっているんです」


 正語は見逃さなかった。

 真理子が高太郎に訴えている間、高太郎と雅は二人で何やら目配せをしていた。


「真理子さん、あなた今日、仕事はどうしたんです」と高太郎。


「そうだよ、真理ちゃん!」と雅は立ち上がった。「今日はテニスしに行くんだよね。もう出た方がいいよ。生徒さんたち、待ってるし!」


 雅は真理子の近くに来て、肩に手を置いた。


「今日さあ、町のテニス大会があるんだよ。学校の運動会なんかとおんなじでさ、町中みんな集まんの、娯楽がない田舎ってヤだよね。でね、真理ちゃんは中学の先生やってるし、参加しなきゃ何かと言われるから、まずいのよ」


 雅は、それでも腰を上げない真理子の手を引く。


「コータのことは私たちに任せてよ。ねっ、高太郎」


 雅に言われた高太郎は、真理子に向かってうなずいた。


 真理子は安堵した顔で、「ありがとうございます」と高太郎に深く頭を下げる。


 ——どうも妙な親子だ。

 自分は何か大事な情報を得ていないのかもしれない……。

 ここは当初の予定通り、智和の話を先に聞くべきか。実際相当相手を待たせている。


 正語は「私も失礼します」と立ち上がった。


 ところが雅が正語の両肩をがっちり掴む。力強く正語を椅子に押し戻した。


「クガちゃんは、まだいなよ。もうすぐお造りも届くからさあ」


 雅は正語の肩から手を放すと、真理子と一緒に扉に向かった。


「いえ。智和さんを待たせているので、もうお暇します」と正語は再び立ち上がる。


 その正語を今度は高太郎が引き留めた。


九我くがさん、お座りください。お話ししたい事があります」


 正語はしぶしぶ腰を下ろす。

 高太郎は視線を落としたまま静かに語り始めた。

 

「このことは、父が決めたことです。

 ご存知かと思いますが、私共の家は代々、灰色の目を持つ者が跡を継いできました。私も弟も黒い目です。この家を継ぐ資格はありません。父はこの家の後継者に関して長く思い悩んでいましたが、弟の嫁が灰色の目の一輝かずきくんを産んで、たいそう喜びました。一輝くんはこの家にとって、本当に大切な跡取りだったんです。

 一輝くんが亡くなったと知った父は嘆きましたが、警察に連絡しなかったのは父の決断です」


 高太郎は目だけを上げて、正語を見た。


「父は顔が広いんですよ。一輝くんの死に関して黙っていて下されば、九我さんに何かと便宜を図ってくれるでしょう」


(そりゃ、どうも)


「智和さんは、誰がスマホを神社に置いたのか気にしておられます。この件に関して、ご兄弟で話し合われたらいかがでしょうか」


(時間の節約になるぞ)


「弟とは何年も顔を合わせていません」


(御多分にもれず、ここも本家と分家の仲がよくないのか)


「一輝くんには、秀一くんという灰色の目をした弟がいるのですが」


(……よく知ってるよ!)


「父は、一輝くんが亡くなった後、秀一くんを養子に迎えたいと言い出しました。智和はその事も不満のようで、今はこの家と関係を絶っています」


 合点がいった。

 どうりでここの人間は皆、自分のことを『東京から来た刑事』としてしか扱わないわけだ。

 


 

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