第19話 百合の間

 正語しょうごが通されたのは、赤いアラベスク模様の絨毯が敷かれた広い洋間。大きな窓からは見事な日本庭園が見渡せた。


「すごい庭だろ」


 みやびは部屋に入るなり、窓に立って得意げな顔をした。

 正語も隣に立ち同意するが、内心は時間が気になって仕方がない。


守親もりちかじぃさんは、足立美術館のマネしたかったんだって、そこの美術館の庭そっくりに、コレ作ったらしいよ。

 あっ、足立美術館ってね、東京の足立区にあるわけじゃないんだよ、島根とか鳥取とかそっちの方にあるらしいんだよね。

 あたし、産まれも育ちも湯川市で、旅行なんか行けるようなご身分じゃなかったからさ、遠いとこにある有名な庭がこうして見れて嬉しいよ」


 惚れ惚れした顔で庭を眺めながら、雅はエプロンのポケットからタバコを取り出したが「おっと、ここも禁煙だった」と、すぐにしまった。


高太郎こうたろうはタバコが大っ嫌いでさ、あたしが隠れて吸っても、すぐわかっちまうんだよ。酒もタバコも嫌い、賭け事もやらない、女もいない。何が楽しくって生きてんのか、よくわかんない男だよ」


 雅の話に適当に相槌を打ちながら、正語はスマホを開いた。秀一しゅういちから何かメッセージが入っていないかと期待したが、圏外だった。


とかいうやつ、使う? パスワード教えよっか?」

「ぜひお願いします」

kokohahonke111056ここは本家いいところだよ」


 長いパスワードを雅は、そらんじた。


「みんな携帯が使えないと大騒ぎするけどさ、あたしは身寄りもないし、連絡取りたいような友達もいないし、ほとんどこの家にいるから、そんなの欲しいとは思わないね」


 スマホが通じると、幾つものメッセージや伝言が入っているのがわかった。

 父親の正思しょうじから何度も電話がかかってきていたが、無視する。

 秀一からラインが来ていた。こっちは急いで開く。


『懐かしい人とご飯を食べることになったから、昼に待ち合わせできなくなった。ごめんなさい。西手で待ってて』

 

(なんだよ!)

 

 あんなに早く帰りたがっていたのにと、面白くない。


「悪い知らせかい?」と雅がこっちを見ていた。

「電話をかけさせて下さい」


 正語はスマホを片手に窓から離れた。部屋の隅に行き、秀一に電話をかけようとする。

 だが、すぐに思いなおした。

 秀一は久しぶりに生まれ故郷に帰ってきたのだ、昔の友人と会って長居する気になったのだろう。


(……邪魔することもないか)


 正語はスマホの画面を閉じた。

 急に気が抜けて、近くの椅子に腰を下ろす。

 ——元カノにでも会ってるのか……。

 

「大事なもんがあると不自由だね」


 雅の声に正語は顔を上げた。


「携帯のことさ」と雅はニカッと笑う。「朝から晩まで、囚われすぎなんだよ」


 その時、ノックの音がした。部屋の扉が開いた。

 白髪に和服姿の男が部屋に入ってくる。 

 男の後ろには真理子もいた。コーヒーセットを載せたトレイを手にしている。


「おっ、やっと来た」と雅は窓から離れて、男の横に立った。「クガちゃん、この人が高太郎。守親じぃさんの長男で、真理ちゃんのお父さんだよ」


 正語は立ち上がって頭を下げたが、高太郎は無言。表情一つ変えない。


 雅は真理子からトレイを受け取ると、「さあさあみんな、突っ立ってないで座った座った」と、テーブルにコーヒーカップを並べ出した。

「高太郎、このクガちゃんはね、智和ともかずさんから送られてきた刺客だよ。あたしたち、いよいよ腹括らなきゃね」とおどけた。


 正語は雅に勧められた長椅子に、腰を下ろした。


「真理ちゃんも、こっちにお座り。お似合いなんだから」と雅は正語の隣に無理やり真理子を座らせる。


 正語は鷲宮高太郎を観察した。

 長身だが、かなり痩せている。正気のない青白い顔に落ち窪んだ目。

 その目の、瞳の色は黒かった。

 鷲宮守親の息子たちは、高太郎も智和も鷲宮家特有の灰色の瞳は授からなかったようだ。


 正語は想像してみる——旧家の長男として生まれながら、瞳の色が黒いというだけで家督を甥に譲らなければならなくなった男の心情とは、どのようなものなのか——。




 部屋にコーヒーの匂いが漂う。

 雅は来客用のカップにコーヒーを注ぎ終わると、自分専用なのか大きなマグカップにコーヒーを半分ほど入れてから、砂糖とミルクを大量に投入した。

 スプーンでカップをかき混ぜながら、三人から少し離れた座り心地の良さそうな肘掛け椅子まで行き、そこに陣取る。

 まるで、待ちに待ったテレビドラマがやっと始まるといったような顔つきだ。


 正語は不思議だった。

 この雅という女は、いったいこの家でどういった立場なのか。

 勤めていたスナックに高太郎がやって来た時に意気投合したと雅は言ったが、高太郎の神経質そうな顔を見ていると、その話が信じがたくなってくる。

 第一、酒もタバコもやらない男が一人で飲み屋に行くものなのか。

 しかも、失礼ながら雅のような女がいる店に……。

 自分の考えすぎか?

 まあ、いい。


 ——時間もできたことだし、この家の隠し事とやらを聞かせてもらおうか。


 正語は悠然と微笑み、高太郎と向かい合った。

 老若男女を問わず、大抵の人間から好意と信頼を得られるこの笑みは、全て計算ずくだ。


 

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