第17話 結界

 まずは自分の話を聞いてくれと訴える真理子の願いを、正語しょうごは承知した。

 真理子の必死さに心打たれたというより、その左目に惹かれた。

 あの目を見ただけで、こんなにゾクゾクするとは……。


(俺ってホント、かわいいよな)

 

 真理子はホッとした顔で礼を言い、深く頭を下げる。


「私、バックが苦手なんです。家までご案内しますので、この車に乗せて下さい。通れるように寄せてきますね」と真理子は自分の車に戻っていった。


 真理子が自分の車を脇に寄せている間、正語は外に出て真理子を待った。

 真理子の車には車体のあちこちにキズやへこみがある。


(……ひどいな……年式は古くもなさそうなのに)


 運転下手は嘘ではないようだ。ただ車を寄せるだけなのに、今もかなり手間取っている。山の斜面で新たな傷を作っていた。


「すいません。最近若葉マークが外せたばかりなんです」


 車を降りて正語の元に戻ってきた真理子は(あら)という顔で口に手を当てて立ち止まった。

 正語は気づいていたが、二人は偶然ペアルックのような服装だった。

 正語は濃紺のシャツにグレーのパンツ。真理子は紺のTシャツに灰色のジーンズ姿だった。


「……東京の刑事さんって、アウディに乗るんですね」と、真理子は赤らめた顔を車に向ける。


(親父の車だけどな)


 正語は微笑みドアを開けて、真理子を助手席へと促した。




「——素敵な曲ですね」


 エンジンがかかり、車内にピアノ曲が流れた途端、真理子はため息をついた。


「クラシック、お好きなんですか?」


 正語は無駄話で時間を潰す気はない。


「弟さんの事を聞かせて下さい」


 真理子は、はいと体を固くした。


「——弟のコータは、高校でいじめを受けてから精神が不安定なんです——一輝さんの遺体を見つけた時も、ひどいショックを受けてしまって」


 この女の弟が一輝の遺体を発見したのかと、正語は軽く驚いた。

 遺体を発見したのも、生前の一輝に最後に会ったのも、コータという少年だとは聞いている。

 だが正語の親たちは真理子とコータが姉弟だとは一言も言わなかった。


(どういうことだ?)


 真理子に関しては、一輝の霊を呼び寄せた話や一輝との不倫沙汰など、正語は多くを聞かされた。

 だがコータに関しては——。

 光子は何やら言いにくそうだった。

 正思はコータに女の霊が取り憑いただのと、ふざけた話しをしていた。


「コータは、まるで自分のせいで一輝さんが亡くなったように感じて、何日も苦しんだんです」

「何か根拠でもあるんですか?」 


「いいえ」と真理子は強く首を振った。きっと顔を上げて正語を見る。「一輝さんは、事故死です! 弟は関係ありません」


 口調が強過ぎたと思ったのか、真理子は赤くなり、下を向いた。


「——コータを尋問するんですか?」


(尋問かあ、あまりやったことないな)


「その時は私も同席させて下さい。あの子、知らない人に話しかけられると、パニックを起こすんです」

「考えておきます」


 真理子はよろしくお願いしますと、深く頭を下げた。


 程なく、車は開けた場所に着いた。

 大きな切妻屋根を乗せた堂々たる門が建っている。門の扉は閉ざされていた。


「このまま真っ直ぐ行って下さい」

  

 真理子に言われるまま、正語は巨大な門の前を通り過ぎた。

 白壁に沿って走るとすぐに、鉄の門扉が見えてきた。


「あそこから中に入って下さい」


 正語は開け放たれた鉄門の中へ入った。

 門の中は孟宗竹もうそうちくが生い茂る竹林が広がっていた。その竹林の中を乱張りされた石畳の道が伸びている。

 正語は周囲を伺いながら、ゆっくりと車を進めた。

 道の先には瓦を乗せた日本家屋が建っている。


「この辺に停めて下さい」と真理子がシートベルトを外しながら言った。


 正語はエンジンを切り、真理子に続いて車を降りる。

 外に出た正語は奇妙な事に気づいた。立ち止まり、辺りを見回す。

 

「こちらへどうぞ」と真理子は、石畳の道を先立つが、正語は警戒したまま動かなかった。


 夏だというのに空気が冷たい。

 風がそよとも吹かず、木々は停止したまま。

 公民館ではあれほどうるさかったセミの声が全くしない。

 そこは、完全な静寂だった。

 竹林の奥に、高さ三十センチほどの石が積まれているのが目に入った。

 山で見かけるケルンのようだ。

 正語は以前付き合った山好きの男の言葉を思いだした。


『本来は慰霊や道標のためのものだったが、今では誰もが意味もなく面白がって石を積んでいく』

 

 正語は何の気なしにふらりと、積まれた石の方に近づいた。

 だがすぐに、後ろから真理子に呼び止められた。


「そっちは行かないで! 結界が張ってあります!」


 正語は振り返った。真理子を見る。

『結界』など、日常ではまず聞くことのない言葉だ。だがこの女は霊媒師だったと思い出す。


「神秘的なお仕事をなさっているのでしたね」と、正語は可笑しそうに眉を上げた。


「私は」と真理子は困った顔つきをする。そして横を向き、「この町の中学校で、教師をしています」と小さく言った。


 正語はすぐに顔を引き締めた。

 自分はこの家の家業をバカにしたような態度をとってしまったのかもしれない……。

 真理子が右に顔を背けているせいで、こちらからは悲し気な青灰色の瞳が見える。

 秀一を傷つけているようで、気がとがめた。

 正語を知る誰かが今の正語を見たら、かつて見たこともない弱気な姿に驚くだろう。

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