第17話 結界

 まずは自分の話を聞いてほしいと訴える真理子の願いを、正語しょうごは承知した。

 真理子の必死さに心を動かされたというより、その左目に強く惹かれたのだ。

 あの目を見ただけで、全身がゾクゾクするとは……。


(俺ってホント、かわいいよな)


 真理子はホッとした顔で礼を言い、深く頭を下げる。


「私、バックが苦手なんです。家までご案内しますので、この車に乗せてください。通れるように、車を寄せてきますね」


 真理子は自分の車に戻り、停車位置を調整し始めた。

 車体のあちこちに傷やへこみがある。


(……まだ新しそうなのにな)


 真理子は、山の斜面でさらに新しい傷を作った。

 運転が苦手だというのは嘘ではないようだ。


「すいません。最近、若葉マークが外せたばかりなんです」


 真理子は車を降りると、(あら)という顔で立ち止まった。

 ふと見ると、二人の服装は偶然にもペアルックのようだった。

 正語は濃紺のシャツにグレーのパンツ、真理子は紺のTシャツに灰色のジーンズ姿だ。


「……東京の刑事さんって、アウディに乗るんですね」

 真理子は赤らめた顔で車を見つめる。


(親父の車だけどな)


 正語は微笑み、ドアを開けて真理子を助手席に促した。


 エンジンがかかり車内にピアノ曲が流れ出すと、真理子はため息をついた。


「——素敵な曲ですね。クラシック、お好きなんですか?」


 正語は無駄話をするつもりはなかった。

「弟さんのことを聞かせてください」


 真理子は「はい」と体を固くした。


「——弟のコータは、高校でいじめを受けてから精神が不安定なんです。一輝さんの遺体を見つけたときも、ひどいショックを受けました」


「一輝さんに最後に会ったのも弟さんなんですね」


「そうです。コータは、まるで自分のせいで一輝さんが亡くなったように感じて、何日も苦しんだんです」


「何か根拠でもあるんですか?」


「いいえ」真理子は強く首を振った。

「一輝さんは事故死です! 弟は関係ありません!」


 口調が強すぎたと感じたのか、真理子は赤くなり、下を向いた。


「——コータを尋問するんですか?」


(尋問か……あまりやったことないな)


「そのときは私も同席させてください。あの子、知らない人に話しかけられるとパニックを起こすんです」


「考えておきます」


 真理子は「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。


 車は間もなく立派な門の前に到着した。

 切妻屋根の巨大な門扉は閉ざされている。


「このまま真っ直ぐ行ってください。この先の鉄の門から中に入れます」


 正語は白壁に沿って車を走らせた。

 開け放たれた鉄門の中には孟宗竹もうそうちくが生い茂る竹林が広がり、その中を乱張りの石畳が伸びている。

 正語は慎重に車を進めた。道の奥には瓦屋根の日本家屋が見える。


「この辺に停めてください」真理子がシートベルトを外しながら言った。


 正語は車を停め、真理子に続いて外に出た。

 途端に異様な静けさに気づき、立ち止まる。


 夏なのに空気が冷たい。

 風はなく、木々は微動だにしない。

 公民館ではあれほどうるさかったセミの声も消えていた。

 竹林の奥には高さ一メートルほどの石が積まれているのが見えた。

 山で見かけるケルンのようだ。


 正語は何の気なしにふらりと近づこうとしたが、真理子が声を上げた。


「そっちは行かないでください! 結界が張ってあります!」


 正語は振り返り、真理子を見つめる。

『結界』という言葉に驚きつつも、彼女が霊媒師であることを思い出した。


「神秘的なお仕事をなさっているんでしたね」

 つい、茶化すような口調になった。


「私は……」真理子は困ったような顔をする。そして横を向き、小さくつぶやいた。

「この町の中学校で教師をしています」


 正語は気まずそうに顔を引き締めた。

 自分は、この家の家業をバカにするような態度を取ってしまったのかもしれない……。


 真理子の左目に浮かぶ悲しげな色は、秀一のそれと重なって見える。

 秀一を傷つけているようで、気がとがめた。


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