第15話 無人の町

 ——人口二千ほどの町とは、こんなものなのか。


 町の中心部が近づいて民家が増えてきた。

 だが人の気配はなく、通る車も全くない。

 ここまで人気がないと、どうも不気味だ。


「……人が、誰もいないな」

「今日はテニス大会だから、みんな出掛けてるんだよ」


 正語の問いに秀一が事もなげに答える。


「この町はそんなにテニスが盛んなのか?」

「小学校の運動会でもみんな集まるよ」


(他に娯楽がないからなのか?)


「あの信号を右に曲がって、公民館で降ろして」と秀一が正面を指差した。「テニスコートは公民館の裏にあるんだ」


 正語は辺りを訝りながら、ウインカーを点けて右折した。

 右折した先に見えたのは、赤茶色の壁に青い屋根の二階建ての洋館。

 みずほ町唯一の公民館『みずほふれあいセンター』は、小さな田舎町には不釣り合いな贅沢な建物だった。


 公民館前の広い駐車場は、半分以上が車で埋まっていた。

 駐車している車を一つ一つ確認するように、正語はゆっくりと車を進める。

 ミニバンや軽ワゴンが多い。

 チャイルドシートが取り付けられた車を見たとき、警戒心が少し緩んだ。


(……俺は何を怪しんでいるんだ)


 正語は建物の入り口近くに車を停めた。

 周囲に目を配りながら車を降りる。

 セミの声がやかましいが、周囲に木々が多いせいか、不快な暑さではなかった。


「ずいぶんとご立派な公民館だな」


 正語は赤茶色の洋館を見上げた。

 エントランスの横には羽織袴姿の老人の像が建っている。近づくと台座には『鷲宮守親わしみやもりちか氏』と彫られていた。


「このじいさん、おまえの親戚か?」


 後部座席からテニスバックを取り出している秀一にきいた。


「お祖父じいちゃんだよ」


 正語は父親から聞いた話を思い出した。


『鷲宮の家は野球場やプールを町に寄付してるんだよ。みずほに行くと、そこら中に当主の像が建っているんだけど、正語くん、ポケモンGOやってる? 町中にある像が全部、レアポケモンの出現ポイントになってるから、絶対行った方がいいよ。電波が弱いから、そこだけ注意して』


 スマホをチエックしてみると、アンテナは一本しか立っていなかった。

 正語はあらためて公民館を見上げる。


「これも、おまえの祖父じいちゃんが建てたのか」


 返事がない。

 正語は振り返り、秀一を見た。

 秀一は駐車場脇の雑木林に顔を向けたまま、突っ立っている。


「どうした?」と正語は秀一に近づき、視線の先を見た。


 秀一が見ている方角には小高い山々が連なっている。山の中腹に白い建造物が横に長く伸びていた。


「あれはなんだ」と、正語は白い建物を指差す。


「——ああ」と我に帰ったような顔で、秀一も山を見上げた。


「本家の塀だよ」

「あれが塀かよ。お前の家、どんだけ豪邸なんだ」

「オレの家は分家だよ。あの山の途中にあるんだ。本家の西側にあるから、みんな『西手にして』って呼んでる」

「屋号ってやつか」


 突然、秀一は足元を見て、何かに驚いた。

 正語の後ろに隠れるように身を寄せてくる。


「虫でもいたか?」と正語は地面を見たが、何もない。


 秀一は正語のシャツを掴み、目をつむっている。


「具合悪いなら、帰るか?」

 

 秀一は目を閉じたまま首を振った。

 どうもさっきから嫌な感じがする。早くこの町を出ろと、何かに言われている気がしてならない。

 こういう直感には必ず従ってきた。

 正語は秀一の手首を掴んだ。


「車に乗れ。帰るぞ」


 その時、公民館の裏から音楽が流れてきた。

 聞き馴染みのある、ラジオ体操第一の曲だ。

 それが何かの合図のように「もう、行かなきゃ」と、秀一は正語の手から離れた。


「——みんなに会って——ガンちゃんの話を聞いたらすぐ帰る」


(……しょうがねえな)


 正語は時計を見た。九時を少し過ぎている。


「十二時にまたここに来る。それまでに用事を済ませておけ。午後には絶対、東京に戻るぞ」

「わかった」

「約束だぞ」


「うん」と、秀一が笑った。


 首を締め上げて、死体でもいいから持ち帰りたくなる。

 だが、かろうじて堪えた。

 耐えたが、公民館の中に入っていく秀一を見送る正語の心は、ざわついたまま。

 たかだか数時間離れるだけなのに、なぜこうも行かせたくないのか……。


「おい!」


 思わず声をかけてしまった。

 秀一が立ち止まり、振り返る。

 何か言わなければと焦ったが、


「……水分……れよ……」


 と、どうでもいい事しか言えなかった。

 秀一は生真面目な顔でうなずくと、華奢な体に大きなテニスバックを担ぎ、公民館の中へと入っていった。

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