第4話 秀一③

 結局、学校を出たのは夕刻だった。

 辺りはすでに薄暗い。


 校舎から九我くがの家までは、自転車で約三十分。

 豪奢な家々が立ち並ぶ住宅街を全速力で駆け抜け、その中でもひときわ目を引く大きな家の門をくぐった。


 自転車を停めていると、黄色と紺のラガーシャツを着た大柄な男が駆け寄ってくる。


「秀ちゃん! 遅かったね!」


 光子の夫、正思しょうじだった。


智和ともかずさん、忘れ物取りに帰っちゃったよ。

 見つかった一輝かずきくんのスマホ、持ってくるはずだったのに家に置いてきちゃったんだ」


 正思は肩をすくめて笑った。


「しかも智和さん、色っぽい美人と一緒だったよ!

 もしかして、秀ちゃんに新しいお母さんができるんじゃないの?」


 聞けば、父親はその美女の運転する車でやって来たらしい。


「あの二人、絶対デキてるよ! 僕はこういうのに鼻がきくんだ」


 父に付き合っている女性がいるとは思えない。

 首をかしげながら、秀一はテニスバッグを担いで家の中へと入った。


「ねえねえ、って知ってる?

 一輝くんのスマホ、そこの賽銭箱の上に置かれてたんだって」


 正思は後ろを歩きながら、さらに話を続ける。


「しかも、ご丁寧にハンカチの上に載せられてたらしいよ。

 なんかミステリーだよね!

 お兄さんが亡くなった時も、不自然な点があるしさ」


「……ただの熱中症ですよ」


「でもさ、智和さんから聞いてる?

 あの温室、外から鍵がかかっていたって噂があるんだって!」


 正思の話を聞き流しながら、秀一はリビングの扉を開けた。


 九我家のリビングは、光子の趣味でピンクと白で統一されている。

 その可愛らしい部屋には不釣り合いな男が、ピンクのバラ模様のソファーに腰掛け、長い脚を投げ出していた。


「遅かったな」


 彫りの深い引き締まった顔立ち。

 眼窩の窪みと高い鼻筋が影を作り、どこか憂いを帯びた表情の正語しょうご


「……コート整備のあと……担任から呼ばれた……」

 秀一はテニスバッグを肩から下ろし、小声で答えた。


「期末の結果、どうだった?」


 その問いに、言葉が詰まる。

 子供の頃から勉強を見てもらい、中学受験はこの男のおかげで合格できたようなものだ。

 芳しくない成績を伝えるのはつらかった。


 俯いたまま動けない秀一の肩を、正思が優しく叩く。


「いいじゃないの、高校留年ぐらいしたって。ゆっくり大人になればいいんだから」


 正思は大股で部屋に入り、正語の隣に無理やり巨体を捩じ込んで腰を下ろした。


「それより、正語くん! 秀ちゃんと二人でに行って、この謎を解いてきなよ!」


 正思の重みでソファーのスプリングが大きく音を立てた。

 正語は迷惑そうな顔をして、端に寄る。


 奇跡的に中学受験に合格したとき、正思は秀一をからかった。

『創立者一族の身内だってことは内緒にしておいた方がいいよ。裏口入学を疑われて、イジメに遭うかもしれないから』


 この冗談を秀一は真に受けた。

 泣きながら正語に、「従兄弟だと言わないでくれ」と頼んだ。

 その秘密は今でも続いている。


「秀ちゃん、こっち来て座りなよ。アイスでも持ってこようか?」と正思。

祖父じいさんに頼めば卒業はできるから、気にするな」と正語。


 そのとき、スリッパの音を立てて光子がやってきた。


「今、智和さんから連絡があったの」


 光子は一人掛けの椅子に腰掛け、正語に体を向けて言う。


「……一輝くんのスマホ、どこにもないんですって。

 また誰かが持ち去ったらしいのよ……」


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