第3話 秀一②

 上級生から早退の許可を得たら、すぐに帰るつもりだった。

 ところが部室に入った途端、いつもと空気が違っていた。


「OB達がやってくる」「珍しく鬼の正語しょうごさんが来る」


 先輩たちはピリピリしている。


 かつてインターハイ常連校だったこの庭球部も、ここ数年は都大会一回戦敗退が続いている。

 二、三年生がOBに顔向けできないのも無理はなかった。


 一年生の秀一たちは比較的呑気に構えていられたが、先輩たちの手前、神妙な態度を取らざるを得ない。

 とても早退を言い出せる雰囲気ではなかった。


「正語さんって、全然怖そうじゃないな。すげえカッコいいな!」


 ハルが興奮気味に声を上げる。

 華々しい戦績を残して卒業したOBは、現在試合の真っ最中だ。


 ハルはその試合に夢中だが、秀一はそれどころではなかった。

 早く家に帰りたい。光子との約束を守りたいし、父親がどんな話を持ってきたのか知りたかった。


「あの人、この学校に幼稚園からいるエリートらしいぞ。

 学校の創立者とも親戚だから、顧問もペコペコしてんだな」


 そう言うハルも、この自修院の初等部から通っている。

 きっといい家柄なのだろう。


 秀一とハルが出会ったのは、小学生のときに通っていたテニススクールだった。


「うちの中学に来い! 俺たちでテッペン取るぞ!」


 小六のとき、ハルがこう誘ってきた。


 近所に受験せずに入れる中学校があった秀一は断ったが、その話を聞いた光子が身を乗り出す。


『秀ちゃん、私立受験しなさい!

 秀ちゃんの今の成績で公立に行ったって、どうせ落ちこぼれるのよ!

 あそこに入れば大学卒業までラクできるわよ!』


 渋々ながら受験を承諾した秀一。

 光子の息子が出題範囲を教えてくれ、そのヤマが的中したおかげでなんとか合格できた。


 しかし、入学してからは成績が進級スレスレの状態が続いている。

 光子が言っていた「ラクな学校生活」にはほど遠かった。


「……正語さんに言ったら、早退、できるかな……」


 おずおずと口にした秀一を、ハルが一喝する。


「やめとけ!

 田舎から親父が来るぐらいなんだ!

 うちの親父もたまにコミュニケーションとろうとかするけど、キモいんだよ。

 グレないからほっといてほしいよな」


 親友のような関係のハルだが、秀一は身内の話をほとんどしていない。


 二人が初めて会った八歳のとき、ハルが秀一の目を不思議そうに覗き込んできた。


「おまえ、ガイジンか?」


「違うよ。うちの田舎ではこういう目の色の人が生まれるんだよ」


 そう答えると、ハルは感心したように頷いた。


「すっげー、キレイだな」


 それ以上、ハルは秀一の故郷について何も聞いてこなかった。


 秀一の青灰色の瞳が誰かにからかわれると、ハルがいつも怒ってくれたので、秀一は説明しなくて済んだ。


 秀一の故郷「みずほ町」と「灰色の目」を検索すれば、オカルト的な記事がいくらでも出てくるはずだ。

 しかし、東京に来てからそれを話題にされることはなかった。


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