第31話 ポケモンの思い出

*初めての漫才の話

転校してすぐに『お楽しみ会』というものがあり、放るの件で仲良くなっていた、いもやんと『漫才』をやることになった。これはぼくたち二人だけでなく、クラスの全員がやることになっていて、母に話すと流石は関西と感心していた。


よく遊んでいた『五反田公園』でネタ合わせのようなことをやってみたりしたのだが、子供ながらに考えてみたネタは、お世辞にも面白いとは言えないようなものだった。ちなみにどちらがネタを考えたかというと、この頃から考えることが好きで、得意だったぼくの方が作って練習した。


お笑い界の帝王『ダウンタウン』には遠く及ばなかったものの、自分で作ったネタをやってみるのは、思いの外楽しいもので、ハリセンを作って遊んだり、実際に『お楽しみ会』で披露したりしたのは、子供ながらにいい経験になったんだと思う。


他には『フルーツバスケット』という椅子を円の形に並べて、人数より一個少なくし、中心に立っている人が言った事柄、例えば「今日の朝バナナ食べた人」などに当てはまっている人が移動し、座れなかった一人が中心に立ってまた何か言うという遊びや、『ハンカチ落とし』という座っている鬼が見ていない隙に後ろにハンカチを落とす遊びや、『いつだれがなにをしてどうなったゲーム』という、4枚の紙に『いつ』『だれが』『なにをして』『どうなった』というフレーズをみんなで書き、それをバラバラにして違う人のものと組み合わせて笑うという遊びなど楽しいゲームが目白押しだった。


折り紙を縦に切った輪っかを鎖のように繋げて、教室を飾りながら準備をしている間のワクワクする感じが良かったのを今でもよく覚えている。



*ポケモンの話

4年生になるとポケットモンスター略して『ポケモン』が爆発的な人気を得て、クラスの子たちはみんなプレーしていた。自分でゲットしたポケモンを育てて技を覚えさせたり、進化させたり、通信ケーブルを使って友達とポケモンを交換したり、対戦したりしていた。


また、コンパンとバタフリー、トランセルとモルフォンの衝撃や、ゴローンとカイリキー、ゴーリキーとゴローニャの真実、ピクシーとゲンガー、カラカラとガルーラの秘話だったりとか、これまた興味深い事実がたくさんあったりもした。


ぼくも誕生日にポケモンを買ってもらったのだが、目が悪くなることを異常なまでにを気にしていた両親からゲームボーイを買ってもらえず、スーパーファミコンと繋げて遊ぶアダプターを買ってもらってプレーしていた。

 この理由で子供に携帯ゲーム機を買い与えない親は数多く居るが、結論から言うとぼくは大人になると視力が0.1ほどになっていて出掛ける時には毎回コンタクトをハメるようになっている。


現代人はゲームをやらなくとも受験戦争での教科書とのにらめっこ、パソコンやスマホの使用などで視力が悪くなることは最早避けられない。それならば過剰に厳しくするよりは、早々に切り替えて子供の『今』を大切にしてあげてほしい。


 そして、同じ時期にデジタルモンスターというものも流行っており、この『デジモン』も学年の男子のほとんどが持っていた。同じ理由でぼくはこのデジモンは買ってもらえさえしなかったのだが、4年生で同じクラスだった大野も持っていなくて、公園でみんなでデジモンをやっている時にはいつも二人で別の話していた。


ぼくはそういうことを気に病むタイプではなかったし、輪に入って行けるような子だったが、この時の疎外感というものは生涯忘れがたく、常につらい記憶として人生につきまとって来ている。

仲間はずれにされると不登校になったり、後でそれが爆発したりするので、かなり無理をしてでも流行りのものは買ってあげるようにしてほしい。


 また、ぼくは一度もそれが存在したことはないのだが、『門限』と言うものにはかなり気を付けた方がいいということは知っている。それは兄弟間・姉妹間での話で、年上の子の時に禁止した事柄や習い事などを年下の兄弟が同じ年頃になった時に安易に解禁してはならないということだ。


子供は親に対して常に『平等である』ということを望んでおり、自分はダメだけど弟や妹はいいというような対応を取られてしまうと、親に対する不信感は下手を打つと一生拭い去れないものになってしまう。


我慢させる時は『何のために』我慢させるのかを明確にし、必ず全員に対して『同じように』接するようにすべきである。『お兄ちゃんだから』『お姉ちゃんだから』というのは、もはや親であることを放棄するに等しい暴言であり、何の正当性も持たせることが出来ない己の能力のなさを露呈しているにすぎないのである。



*オマケたちの話

 ぼくらが小学生だった時には、『ポケモン』とは切っても切れない縁があった。その中でお菓子のオマケとして存在した『ポケモンキッズ』と呼ばれるラムネがお菓子としてついていて、塩ビ人形と呼ばれる塩化ビニールでできている指人形が好きだった。


これは、箱に入っているオマケが(と言っても実質こっちがメイン)、ランダムではなく選べるようになっていて、自分の好きなものを買っていた。リザードン、カメックス、フシギバナなど、20種類くらいを袋ラーメンの空き箱に入れ、時々取り出して眺めては遊んでいた。


 友達の家に遊びに行った時や、友達が家に遊びに来た時などに見せ合ったりするのも楽しかったりして、当時のポケモン151匹はよく知っていたものの、自分が持っていないものは、どんなポーズか知らないので興味深かった。


 また、フリカケについていたちっこいオマケが好きで、親にせがんでスーパーに行った時に買ってもらったりしていた。基本的に一箱に一個入っていて、『赤と緑』のものばかりだったのだが、一回だけ確実に当たりだと言えるものが入っていて、それが当時から小学生に大人気だった『ピカチュウ』だった。


 『ピカチュウ』のオマケは他のものと違っていて特別に『黄色』で、出た時は凄く嬉しかったのをよく覚えている。だが、小学生にありがちなミスなのだが、ものをゴチャゴチャに置いていたぼくは、いつしかそのフリカケのオマケたちをなくしてしまい、部屋をひっくり返して探したのだが、結局どこに行ったか分からなくなってしまった。


けど、部屋の中にあることは分かっていたので、“いつかは必ず見つけられるはず”と考えてオマケを集めることはやめなかった。

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