第10話 スライムの王 その1

「そろそろマカニの町に着くころ……もう入ってるのかな?」


「地図を見てもさっぱりだな」


「うう……カーナビとかスマホとかあれば……」


 ホアさんとオハナさんと別れて、リノ町を出発してから数日が経っていた。あたしの拙い運転で道沿いに南へ南へ向かっているが、合っているか自信がない。人はたくさん出会ったけど、スライムとは一向に出会わないからだ。

 南に行けばスライムが多いハズなのに……。


 スマホが欲しい……やっぱり文明の利器は偉大だと噛み締める。


「衛星の打ち上げくらいできそうだが、スライムがいる以上厳しいのかもな」


「なんかあのナイト・スライム見てると、宇宙に人工物があっても、余裕で叩き落としそうですよね……」


 スライムが圧倒的なのは、前回で身をもって体験した。最初にその存在を聞いたときでさえ、あたしは「勝てない」と思ったんだ。実際に目の当たりにすると本当に凄まじかった。


 でも、今はもう違う。


「とりあえず王城が見えればそこがゴールだ。目立つ建物を探すぞ」


「らじゃ!」


「……ずいぶんと元気のいい返事だな」


 おどけたあたしの敬礼を見て、晃示さんが言った。


「あたしはもう、決めました。この世界の人たちのためにスライムを倒すって。頑張ってくれている斥候のみなさんに報いるためにも……もう、負けたり逃げたりしたくありませんから」


「……」


 あたしは決意を口にするが晃示さんは黙りこくってしまった。おしゃぶりの上の方にシワが寄っている。ここって眉間なのだろうか。

 ということは、今、晃示さんは渋い顔をしてるってことだ。


「どうしたんですか?」


「……いや、言うようになったもんだなってさ」


「晃示さんがいろいろ教えてくれたから……あたし、晃示さんと一緒だったらスライムも怖くありません!」


「そうか……」


 なんだか浮かない返答だ。


「なんか反応薄くないですか? こんなあたしに大切なことを教えてくれたの……晃示さんなんですから、これからももっと、たくさんいろんなこと、教えてくださいね!」


 あたしが晃示さんに笑顔を向けたその瞬間、何者かがバイクにぶつかってきた。


「え――」


 一瞬の出来事で、何が起こっているかもわからず吹っ飛ばされたあたしは、なんとか頭を守って地面を転がる。


 顔を上げると、バイクは完全に大破していて、荷物もバラバラになってしまっていた。

 道の真ん中には、バイクを壊したであろう、大男がひとり、立っていた。


 その、手には……。



「!? 晃示さん!?」


 潰された晃示さんが……べったりと、張り付いていた。


 う、うそ……晃示さんが……? こ、この人……まさか……。

 あたしは衝撃で完全に動けなくなってしまった。


「……忌々しい」


 そのあたしを見下す大男が、ポツリと呟いた。


「忌々しいほどに似ているな……貴様」


「お、おおきい……!?」


 こっちに歩み寄ってきた大男は、近くで見るとさらに大きかった。大人の男の人でも見上げなければならないほどじゃない? そう思えるほど。


「今代の勇者よ……貴様は……今、ここで……死ねぇい!!」


 大男の怒声に反応するかのように、一匹のスライムが彼に寄り添って現れる。

 その姿はまるで堂々とした王様。十字架をかかげた王冠を被り、マントを羽織った半透明の人間のような、姿。


 間違いない。あれはキング・スライム。全スライムの中で最強と言われる個体。数が少ないから情報もあんまりなく、でもとにかく他のスライムよりもはるかに強いと言われているらしい。


 そんなスライムを連れている男……そんな人が普通の人のはずはない。


「キング・オブ・ザ・ハングドマン!!」


 まるで大男の言葉に呼応するかのように、スライムが彼の両腕を覆い巨大なガントレットになる。

 スライムが、人に取り付いて武器になった!?


「フンッ!!」


 大男はそれを力いっぱい振るった。あたしは咄嗟に聖剣を掲げたが、とんでもない力でぶっ飛ばされてしまった。

 建物を薙ぎ倒し、地形を破壊しながら数十メートルは吹っ飛ばされただろうか? 視界の端にちらりと映った大男は、豆粒のようになっていた。


 全身の痛みを無視しながら、なんとか立ち上がろうとする。


「は……ッ……か……」


 が、全身が痛みで力が入らない。


 なに……こいつ……!? つ、強すぎる……!? あのナイトなんかの比じゃない!

 やっぱりあの男の人もスライム……! いや、たぶん、この圧と力はそれ以上の……!


「かっ……ごほっ」


 あたしのボロボロの身体が修復されていく。普通の人間ならばとっくに死んでいるようなダメージだったのだろう。でも、あたしの身体は徐々に治癒が進んでいる。

 勇者の持つ……特殊な能力だ。


「不愉快だ」


 いつの間にか目の前まで来ていた大男が拳を振り上げた。その未来には死が視える。

 うそ……うそ……? これで終わり……?

 

「消えろ」


 腕を振り下ろし、粉塵が発生する。とてつもない大きさのクレーターも同時に作られた。周囲の建造物は跡形もなく消し飛んでしまうほどの、攻撃。


「ッ!? いない……!?」


「そっこおおおおおお!!」


 その粉塵に紛れて、あたしは大男の背後をとった。全力で剣を振り下ろすものの、ガントレットで防がれてしまう。


「なんとか……修復が、間に合った……けど……いったいのよ! これ!」


「その能力……今までの勇者と違うな?」


 ガントレットごと切り裂こうと、両腕に力を込めるが、びくともしない。

 どころか、腕を振り抜かれて弾き飛ばされてしまう。


「俺はクィーンを守る最強の盾! 四天王(デア・プレシディオ)が一人、カイルス・クロア!! 死んでもらおう勇者よ」


「やっぱり四天王……!」


 カイルスと名乗った大男は、一歩一歩を踏みしめてこちらに歩み寄る。その姿はまるで、大地をならす巨人のように思えた。

 四天王というのも納得の、ケタ違いの威圧感。


 数日前に戦ったナイトとは比べ物にならないほどの圧を感じる。


「うわあああああスライムだああああ」


「勇者様もいるぞ!」


「に、逃げろ! 逃げるんだ!」


 巻き込まれた町の人たちが、一斉に散り散りになって行くのを視界の片隅に捉えた。カイルスもそれをちらりと見たらしい。


「雑魚に用はない……。このスライムのように」


 晃示さんのことだ。


「よくも……よくも……晃示さんを……!!」


「裏切者のスライム……所詮ポーンだ。……だが安心しろ。貴様もすぐ後を追うことになる」


 近付いてくるカイルスに剣を向ける。……けど、正直……勝てる気がまるでしない。少し戦っただけで強いとわかったから。それもある。

 確実に今のあたしなんかよりはるかに強い。


 でもそれ以上に、今まで一番真摯にあたしに付き合ってくれた晃示さんが殺されたことが、とてつもないショックだった。


 あたしは怒りを口にしたけど……それよりもショックと絶望の方が大きい。

 あんなに……あんなに簡単に晃示さんがやられてしまうなんて、考えもしなかったからだ。

 心のどこかで、晃示さんは大丈夫だという信頼感があったんだ。


 あのなんだかんだ頼もしい、小さい姿を。


「貴様への慈悲として、追い方を選ばせてやろう。抵抗するならば酷い死を。受け入れるならば、安らかな最期を。さあふたつにひとつ! 選ぶのは貴様の行動だ!」


 正直受け入れてしまいたい。苦しんで死ぬのなんて絶対に嫌だ。


 ……でも、それでも「抗え!」と、あたしの中の晃示さんが言っている。


「勇気を……ください……」


 心の中に灯るほんの小さな、か弱い灯火に祈る。


「あたしは抗うッ! 受け入れてなんかやるもんか!!」


「ならば死ねいッ!」


 カイルスの大きな拳が再び振り下ろされる。その腕――いや、肘の内側に向かってあたしは剣を突き立てる。ガントレットの構造上、曲げなければいけない箇所は弱点なはずだ。


 自分が無傷で済むだなんて思っていない。でも、少しでも、一矢報いることができれば……!


 聖剣が突き刺さるその瞬間、全身に悪寒が走った。致命的な見過ごしがあるような、そんな悪い予感。


「ガントレットは両腕にあるぞ!」


 カイルスの腕が両方、振り抜かれていた。右腕は振り下ろし、左腕は横殴り。これじゃあ右腕を防いだとしても、あたしは横っ腹を殴られて――死……。


「優衣!」


「――はっ!?」


 突然身体が、拳が命中するより速く横に吹っ飛ぶ。


「なにっ!?」


 あたしもカイルスも、何が起こったのかわからなかった。

 でも……でも……! あたしを抱えているこの半透明のぶよぶよは……!


「晃示さん!!」


「ここは逃げるぞ! こんなの真正面から相手しても勝てない!」


「き、貴様……俺が完全に潰したハズ……何故だ!?」


「さぁな。マッシュするのが足りなかったんじゃないのか?」


 晃示さんはあたしを抱えながら、そのまま動きを逃走に繋げた。町から離れ、山の方へ向かって飛ぶように走る。


「近くに森があってよかった……うまいこと隠れながら逃げるぞ」


「晃示さん……あ、あたし……あたし、も、もう、晃示さんが死んじゃったかと……」


 あたしの心を絶望が覆った。信じられない、受け入れられないけれど、目の前にありありとある現実。恐ろしいほど冷たいものだと思った。

 また、失ってしまったのだと。


「あれくらいじゃくたばらんさ。それより君の能力で、上手いこと木や草を制御して逃げるぞ」


 だけどこうして目の前に生きている晃示さんがいる。


「わ、わかりました……こういう時便利ですね」


 あたしは晃示さんの言うとおりに能力を使って痕跡を隠しつつ、逃げる。来た方向に草木を生やしておけば、上手くいけば見失ってくれるはずだ。


「って……え――?」


 しかしいきなり、ふわりとした浮遊感が全身を包んだ。足場が消えて、落下していることに気が付いたのは数秒あとのことだった。


 あたしは悲鳴を上げる暇もなく、大口を開けた、悪魔の口のような暗闇に呑み込まれていった。

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