第8話 最悪に抗え その1
それから数十日……あたしたちはホアさんの家にお世話になっていた。オハナさんの料理はあとてもおいしくて、あたしが手伝って日本食とかも作ってもらった。
実家で過ごすようなゆるりとした時間だった。
「おねーちゃん! あーそぼ!」
それにこうして近所の子供が遊びに来る。あたしは子供は好きだし、体力はまああるので男の子の相手とかもできる。
やっぱり体を動かすのはすっきりするし、楽しい。勉強よりどちらかと言えばスポーツの方が好きだ。
「優衣様は子供に好かれますな」
「バブみのなせる業だな」
「その評価はうれしくないです」
バブみ云々っていうのは子供に好かれることに関係あるのだろうか……。
「いらっしゃ……ごほっごほっ」
部屋の奥から顔を出したオハナさんだが、どうも最近体の調子がよくなさそうだ。顔は青ざめているし、咳も頻繁にしている。
「おまえ、寝ていないと」
「だ、大丈夫ですよ、あなた。大事なお客さんですから、お菓子でも出してあげないと……」
「……おばちゃん、まだ治らねーの?」
男の子も心配そうだ。
「そうみたい……あの、あたしも料理くらいはできますし……」
「家事も少しくらいは手伝える。ご婦人は安静にしておられるといい」
めっちゃ紳士だ晃示さん。普段ずっとこうだったら非の打ちどころがないのになあ。
「大丈夫ですって。客人にそんなこと……あっ……」
「おまえ!」
オハナさんは突然、糸の切れた人形のように倒れてしまった。
あたしたちはすぐに近くの総合病院にオハナさんを運び込む。こういう時に晃示さんのぶよぶよした体は便利だ。
「むう……困った……これは……」
運び込まれたオハナさんを診たお医者さんが深刻そうな声で唸る。
「どうしたのですか?」
「ホアさん。奥様ははやり病です。まだ軽い症状ではありますが……薬を切らしておりまして……つい先ほど発注したばかりなので時間がかかってしまうのです。他の病院にも在庫はほとんどないらしく……今の患者で手一杯でしょう」
「時間が経つとまずい病気か?」
鋭く晃示さんが訊ねる。お医者さんはちらりと晃示さんを見やるが、すぐにホアさんに視線を戻した。
「はい。薬が届くまで3,4日といったところですが……すでに奥さんは患ってから長い様子……すぐにでも悪化してしまうおそれが」
「そんな! なんとかならないんですか!? っていうか、なんでそんなに薬がないんですか」
この総合病院はこの町で一番大きいものだし、ぽつぽつと他の病院もある。いくらはやり病だといっても、そこまで薬が足りないものだろうか。
「それは……」
お医者さんは言いよどんで、もう一度ちらりと晃示さんを見る。
「昔はこの森の奥地で……特効薬を生成できる花を摘んでいたのです。ですがそこではスライムが徘徊しておりまして……いまや立ち入ることは……」
「! じ、じゃあ他にその薬を作れる材料はないんですか?」
「あとは発注先で人工的に栽培されている植物でしか……それ以外だと作るのにあまりに時間がかかります」
「そんな……」
じゃあもうオハナさんは助からないの? あんなに優しくしてくれて、おいしいものもたくさん御馳走してくれたのに。
「なるほど……花の群生地にわざわざスライムを放っているわけか」
「えっ」
ぼそり、と。晃示さんが言った。
「ど、どういうことです?」
あたしは思わず聞き返していた。
「人を殺すために存在するスライムをわざわざ人の寄り付かない森の奥に放っておく理由など一つしかない。何かを守るためだ。それがそのはやり病に効くという花なのだろう」
そ、そういえばアイナさんがスライムは人間しか殺さないって言っていた。確かに人を殺すためにいるのに町じゃなくて人の寄り付かない森の奥にいるというのは変だ。
「しかしなぜだ? なぜスライムを配置しておくんだ? そういえばマナの近くにもスライムのいる森があると言っていたような……」
「晃示さん! あたしたちで薬を取りに行きましょう!」
ぶつぶつとなにか考え事をしているようだったが、もうあたしには関係なかった。オハナさんが助かる……! もうダメかと思っていたけれど、正直諦めの気持ちだって芽生えていた。
けどまだあたしにはできることがある!
「優衣……そうだな、当然だ」
晃示さんも、快く頷いてくれる。
「優衣様、晃示様……ありがとうございます」
涙で震える声でお礼を言うホアさんに、あたしは笑ってみせる。
今度は、今度こそは助けてみせる……絶対に、大丈夫。
ホアさんに森の入り口まで案内してもらい、そこから朽ちた道なりに森の奥へ奥へと進んで行く。草木で覆われてはいるものの、昔は車が走っていたのがわかる道だった。
深々と木々が生い茂る暗い森。体と心が飲み込まれそうな気分になる。
「スライム以外にも獣がいるかもしれない。注意して進むぞ」
晃示さんは臆せずずんずんと進んで行く。そのあとを恐れを隠して進む。
「優衣」
「は、はい!」
「震えてるぞ」
「む、武者震いですよ!」
「そうか」
心底ビビってるの、明らかにバレている。
そりゃ怖い。怖いに決まっている。どれだけスライムが恐ろしく、強いかはアイナさんや他の人に散々聞かされてきたし、実際にジュスタくんという四天王にまで出会っている。
晃示さんと戦って、あの頑丈そうな召喚の間を廃墟に変えるなんてことを、簡単にやってのける生き物だ。
町一つ簡単に消し去ることができる、というのをあの瞬間、誇張なく実感できた。スライムならできる。圧倒的な力だ。
「……なあ。君にとって、一番怖いことはなんだ?」
「ど、どうしたんですか、急に……」
暗い森の道すがら、晃示さんはそんなことを訪ねてきた。
「君が一番起こって欲しくない出来事というのはなんだ? 自分が死ぬことか?」
「それは……はい。死んじゃったら、なにもかもおしまいですからね……」
人間死んだら終わりだ。もしかしたら晃示さんみたいに生まれ変われるのかもしれないし、生まれ変わった先でもっといい人生を送れるかもしれない。まあ、悪くなるかもしれないけれど。
それでも死んでしまったら、もう自分じゃなくなる。それはあたしにとってなによりも恐ろしいことに感じる。
学校でのおしゃべりも、休日のショッピングも、おしゃれも演歌ももうできなくなる。それが本当に恐ろしい。生まれ変わって記憶を持っていたとしても、もう以前のあたしにはなれないのだから。以前のやりたいことは全部なくなる……それが怖い。
「俺には妹がいた」
「妹さん?」
初めて……晃示さんが自分から、自分のことを話し始めてくれた。
「ああ、少し気は強かったが気立てのいいやつで……口喧嘩もよくしたが、近所には仲のいい兄妹として有名だったよ」
「ああー……晃示さん、確かにちょっとお兄ちゃんって感じするかもですね」
どことなく面倒見よさそうというか。女慣れしてそうというか。上か下に女の兄弟がいそうな雰囲気はなんとなく感じ取っていた。
「そうか? まあ、そんな妹も恋人ができて結婚も間近だった。だが……その前にあいつは……乳がんで遠いところに行ってしまったよ」
「え……」
「発見が遅れてね……仕事で忙しいと言っていたが……
俺も家族も悲しみにくれた……それから俺は命とは何かを本気で考えるようになってな。世界中を旅して回って、いろいろな真理に触れたよ」
今ではもう遠く、遠くなってしまった故郷を想ってか、晃示さんは哀愁を漂わせる。そして立ち止まったかと思うと、こちらに振り向く。
「優衣……なぜ、俺が今こんな話をするかわかるか?」
おしゃぶりが震える。目は当然見えない。けれど、しっかりとあたしの目を見つめている。語り掛けてくる。
「後悔は先にはできない。だが未来は誰にもわからない……運命というものがあるとして……例え定められた道があるとしても、人はその道を知ることはできないんだ。
だから……正しい選択をしろ……とは言えない。だがあの時、ああすればよかった……とは言わない生き方をしてほしい」
言われて目を見開く。
「君が選択を迫られたとき……あるいは普段の行動で……一番怖いと思えることを考えろ。それが起きた時のことを……今の自分の行動で、その最悪の事態が起きたとき……君自身は、未来の自分に胸張れるのか、自分の心に聞いてみろ」
「……」
あたしはなにも言えずに俯いて黙りこくってしまう。後悔のないように生きる……言葉にすれば簡単だけど、それがどれほど難しいか。
あの時のことを嫌でも思い出す。あれは過去にある影。やり直したいと思うほどの後悔そのものだ。
「説教くさくなってしまったな。要は今の自分が過去になった時、胸を張れる生き方をしろってことだ。難しいのはわかってる。だがそれを意識するのと、しないのとでは違うだろう」
「晃示さんは……その、妹さんのこと……後悔してるんですか?」
聞くかどうか迷った。だけど晃示さんがこんな話をするのは珍しいことだったのでつい好奇心が勝った。
野次馬根性といえばそうかもしれないけれど、こんな話をするってことはやっぱり特別な思いがあるんだと思うから。
この人の思いを……心の底を、聞きたい。
「その頃の俺は、次の日自分が死ぬかもしれないと思って生きてはいなかった。次の瞬間、大切ななにかが自分の手からぽろっと落ちるなんてことは考えずに、日々を適当に流していた……抗うことをしていなかった」
「抗う、ですか」
「そう……人は抗ってこそ、人たりえるんだ。足掻くことをやめた時、人は死ぬ。俺はそれがわかっていなかった。若かったんだ」
「あたしにもよくわかりません」
「そのうちわかるようになるさ」
晃示さんは優しく笑う。その声はとても優しくて……いつも感じていたことだけれど、娘か恋人を労わるような気持ちだ。
……この人は、どんな人生を歩んで来たのだろう? ふと、そんなことを思った。晃示さんには謎が多い。多くは語らないし、どこか底が見えない。訳のわからない造語? を語ったりするし。
晃示さんの言う抗う……って、どういうことなんだろう?
「じゃあその、抗うって具体的にどうすれば」
そこに晃示さんの人となりがあるような気がして……あたしは訊ねてみた。
「君が一番怖いと思うことを想像し、その事態が起きないように足掻く……かな。さっき言ったことに通じるが」
「怖いことに……足掻く」
「人間は恐怖を勇気で克服し、前を向いて進むことができるから人間なんだ。ただ怠惰に流されて生きるだけでは人とは言えん。ブタと同じだ」
「恐怖を、勇気で。……なんだかアニメのヒーローみたいですね」
テレビの中のヒーローは悪を恐れず、真っ直ぐに立ち向かう。男の子はああいうのに憧れるのだろう。女のあたしだって格好いいと思う。
あたしの言葉を、晃示さんは笑い飛ばす。
「かっこよく言っているが、別にそんな大したことは言っていないさ。人って生き物はいつだって、小さい勇気を胸に生きてるものさ。
それに、男ってのはさ、格好つけたがる生き物だから。ただ、あいつ(、、、)に誇れる自分になりたい。……それだけだ」
妹さんのことだろうか。亡くなってしまった妹のために、格好よくなりたい……やっぱりお兄ちゃんだなあ。
「さて、無駄話はこれくらいにしよう。さっさと花を摘んで帰って、ご婦人の病を治すぞ」
「そ、そうですね! 行きましょう」
あたしたちの目的はオハナさんの病気を治せる薬を取ってくること。そのために、あたしたちはさらに暗闇の奥深くへと足を進めて行った。
目的地に辿り着いたあたしたちを出迎えてくれたのは、スライムではなく辺り一面のお花畑だった。
黄色い花が乱れ咲き、そこを木々が避けるように取り囲む幻想的な光景。あまりに神秘的で現実離れした景色に思わず息を飲む。
「……綺麗。こんなにたくさん咲いているんですね」
「スライムはいないようだな」
「出てこないうちに早く摘んで帰りましょう!」
ぶっちゃけいないに越したことはない。出会いたくもないのでさっさと花だけ摘んで帰ろうと屈んだ瞬間、
「いや、避けろ!」
「きゃあっ」
突然晃示さんに突き飛ばされて地面を転がった。そのあとすぐ轟音を轟かせてなにかがすぐそこを掠めていったのがわかった。
「ブルルル……」
顔を上げると馬に似たそれは唸り声を上げる。姿も馬そのものだ。筋肉質の四本足に立派なたてがみ。足の先にはひづめがあり、寄り集まった毛でできたなびく尻尾もある。姿かたちは完全に馬。
ただ、全身が半透明な銀色に鈍く光っているところが、それをスライムだとまざまざと伝えている。
「う、馬!? ってことは……」
「ナイト・スライム……機動力に長けた馬のような姿をしたスライムの種類だな。こいつが相手だと走って逃げるのは不可能だ」
実はスライムには種類がある。数は五つだ。キング・スライム、ナイト・スライム、ビショップ・スライム、ルーク・スライム、ポーン・スライムとある。
今対峙しているのは馬のような姿をしたナイト・スライムだ。見た目通り足がとても速いらしく、動きは当然素早い。お城で映像を見せてもらったがもうスライムというより馬の化け物だった。
晃示さんはというとポーン・スライムらしい。中型犬くらいのサイズで不定形。大きさも一番小さく、一番弱い。といってもスライムなので聖剣がないと戦うことすらできない。
「……優衣。俺がこいつの注意を引き付ける。君はその花を持って村に行くんだ」
あたしがその威容に圧倒されて動けずにいると、晃示さんがそう告げた。心の動揺をぴしゃりと言い当てられた気分になり、余計に頭が混乱する。
「そ、そんな! 晃示さんを一人には……」
「戦う覚悟のできていない人間と、一緒に戦うことのほうがよっぽど危険だ!」
「っ……」
怒鳴りつけられ、全身が委縮する。初めて晃示さんが大きな声を上げた……その迫力もあったが、これはあたしを守ろうとしているのだと、直感する。必死であたしのことを守ろうとしているのだ。
「行け!」
あたしは花を素早く摘んで町に向かって駆け出していた。同時に……心の底でほっとしている自分に気が付いた。
やっぱり戦いたくない……痛いのは怖い……そういう思いが強く染みついているのだ。目的は薬。これを早く届けることが重要。そして晃示さんにも体のいい理由をもらって逃げることを正当化できた。
仕方ない。これでいい。今は一刻も早く薬を。
……あたしはこれで本当にいいのだろうか。いや、薬を届けてすぐ引き返せばいい。オハナさんに薬を届けて、そして晃示さんと一緒に逃げる。それでいい。それでいい、はずなんだ。
最悪な……こと……。
再び暗い森の中に足を踏み入れたあたしの脳裏に、さっきの晃示さんの言葉が浮かぶ。
一番……起きてほしくない……。
考えられる中で最悪な出来事。起きてほしくない事柄。それから逃げないこと。
確かにスライムは強くて怖い。スライムと戦うことは今でも腰が引けてしまう。でも……
でも、それよりもっと恐ろしい考えが、あたしの中に浮かびつつあった。
「ッ!」
町に向かう足を急速旋回して、元来た道を全力疾走で引き返す。
もう迷いはない。この心には今、勇気が灯っている。
「晃示さん!」
「優衣……」
「自分が死ぬより怖いこと……見つけました!」
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