第39話 二人の行方

AFCを終え、日本代表の選手たちは足早に岐路に就いた。飛行機の中でも、昴の精神状態は悪化したままで、チームメイトの前だからと、どこか空元気で振る舞っているようであった。仲間との会話もそこそこに、昴と瑞希は失意のまま自宅に戻った。

そして床に就き一夜明けても、昴の感情は昂ったままであった。


「勝てなかった。俺の技――通用しなかった」

「昴くん――」

「自信があったんだ――これなら行けると思ったんだ!!」

それから昴は徐(おもむろ)に表彰状やトロフィーを捨て始めてしまった。


「何やってるの!?捨てないでよ!!私たちの思い出でしょ」

「もう要らない」

「みんなで勝ち取ったものなのに――大切なものなんじゃないの?」


「うるさいな、お前には関係ねえだろ」

「関係ない――?」

「チームも――サッカーももう辞める」

「そんな――」


「俺はもう終わったんだ!何もかも、もうやり直せねえんだよ」

「なんでいつも逃げるの?なんでいつも諦めるの!!」

「俺はプロになれなかったんだ。もう28歳だ。やり直すには遅すぎるよ」

「プロになれなくてもいい、サッカーやってる昴くんが好きだったのに」


「それじゃ食って行けねえんだよ。男はな現実見て生きて行かないとダメなんだよ」

「それで大人になったつもりなの?夢を諦めて、自分を騙して、誤魔化して。そんなのちっとも偉くないよ!!」

「それと――前から思ってたんだ」


「何――?」

「俺たち――もう終わりにしよう」

「どうして!?こんなに好きなのに、――もう私のこと好きじゃないの?」


「お前、重いよ」

「好きだったのに――信じてたのに!!」

「もう勝手にしろよ。付き合いきれねえよ」

「酷いよ!!こんなのってないよ!!」


それから無言のまま家を出て、実家までの道のりをどうやり過ごしたのかは今となってはもう思い出せない。

東京の実家に帰って部屋で物思いに耽っていると、なんだか懐かしい物を見つけた。


それは不意に見つけた、段ボールに入った20本ほどの古いビデオテープだった。何気なく手に取ったうちの一本を軽い気持ちで再生し、ダラダラと見続けていた。


だが、後になって振り返る度にいつも思う。この時手に取ったのが、このテープで本当によかったと。テレビ画面に映し出された小学校低学年生であろう自分は、満面の笑みで一生懸命にボールを蹴っていた。

「こうやって――上手くなったんだった」


いつかの試合であろうその映像に映し出された自分は、外しても外してもただ直向きにゴールに向かってシュートを撃ち続けていた。そして、試合後のインタビューで今後の人生の目標について聞かれ、嬉しそうにこう答えていた。

「将来の夢は、プロの、サッカー選手になることです!!」


子供の頃の自分は恐らくそれほど強い気持ちで言ったわけではないのだろう。だがその言葉を聞いた瞬間に、自分でも驚くほどに涙が溢れ、声を殺しながら嗚咽するほど泣いてしまった。


子供の頃は、自分の中にどこまでも続く青い空があったはずだ。人はいつからか自分の中に限界という名の天井を設けてしまい、無意識にその檻の中で暮らすことに甘んじてしまう。その限界を越えようとすることで成長を伴い、その努力を挑戦と呼ぶのではないだろうか。


“どうしてダメになってしまったんだろう?どうして人が――信じられなくなってしまったんだろう?”それからは実家に居る間中、そのことばかり考えていた。

「先生――」


いつしか昴は、自分の原点となった高校時代を思い返していた。それは、諦めとも逃避行ともつかぬものであった。



 一方瑞希は、部屋に居ても気が滅入るばかりであるため、外へ出て気晴らしをすることにした。とぼとぼと河原を歩いていると、ロードワークをしていた友助と偶然にも出くわしてしまった。


「あ、瑞希さん!インドネシアから帰ってたんですね」

「う、うん。――昨日ね」


それから友助と並んで歩いていたのだが、先程のことがあるため会話が頭に入って来ない。


「瑞希さん、今日はなんだか静(しずか)ですね」

「うん、遠征でちょっと疲れちゃって」

「ホントにそれだけなんですか?なんか、いつもと様子が違うようなーー」

「そう?大丈夫だよ」


それから河原を歩きながら、妙に口数が少ない瑞希に友助は業を煮やしたようだ。

「やっぱり何かあったんじゃないですか?僕でよければ言って下さいよ」

「う~ん。友助くんには敵わないなーー」


 瑞希はそう言うと、言い難いことではあったが、徐(おもむろ)に口を開いた。

「実はねーー昴くんと別れちゃったの」

「えっ!?そうなんですか」えっ、そうなんですか!?

「うん。昴くん最近荒れてて、帰ってから大喧嘩しちゃって」


「そうだったのかーー。なんだ、それならそうと言ってくださいよ。僕でよければ、相談乗りますし」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかなーー」


 友助は川沿いの土手に腰を下ろし、瑞希が話し始めるのを待った。

「昴くんね、私の初カレだったんだ。だからホントに大好きで。好かれようと思って、あれこれ無駄なことやったな~」


「別れようと思わなかったんですか?瑞希さんなら、他に付き合える人くらいいくらでも居ると思いますけど」

「昔はああじゃなかったんだよ。強くてカッコよくて、みんなの憧れだったんだ」

「どうしてそうなっちゃったんですか?昴さん、あんなに上手いのに」


「10年前のあの日から、私たちの歯車は狂ってしまったの」

「聞かせてくださいよ。10年前――何があったのかを」

 友助がそう言うと、二人の間に暫しの沈黙が流れた。


「全国大会に行けるかどうかっていう大事な試合だったの。その決勝戦の最後のシュート、昴くんね――撃てなかったの」

瑞希は恨めしそうに、その時の情景を思い返している。


「全国に行くのがプロのスカウトの条件でね。それで結局、プロになるっていう話はなくなってしまって、それからあんな風に荒れるようになっちゃって」


「大学からでもプロになれますよね?歓応私塾大だったら、宇津美とか後藤田とか、サッカー部でプロになった人いっぱい居ると思うんですけど」


「お父さんとの約束でね。高校生の時にプロになれなかったら進学して医者になるっていう話だったの。それでサッカーと勉強を両立しないといけなくなってしまって」

「昴さんって――確か大学中退してましたよね?」


「そうなの。単位は大丈夫だったんだけど、結局は勉強しながらプロの選手を目指すのが辛かったみたいで、遊び歩くようになっちゃって。それから、高卒区分で警察の試験を受けて、実家から離れた沼津で働くことにしたの」


「そうだったのか――」

「大変だったんだから。それが元で両親が離婚しちゃって。昴くん、今はお母さんの旧姓を名乗ってるの」


「えっ!?じゃあ、室井って旧姓なんですか?」

「そう。堺と室井だから、あんま変わんないんだけどね」

 瑞希は当時を思い出し、懐かしそうに空を見上げた。

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