第14話 ワールドカップ2002

フェインターズとの試合が終わった翌週の6月30日、予てから瑞希にせがまれていた富士宮交響吹奏楽団のコンサートを鑑賞することとなった。昴は、市にあるホールへ向かうために車で瑞希を迎えに行ったのだが、ここで少々トラブルがあった。


昴は事前に言われてはいたのだが適当に聞いていたため留意できておらず、スーツの用意を怠ってしまっていた。運転席を見た瑞希の表情が一瞬にして曇る。


「前に散々言ったじゃん。なんでよりによってジャージなの?」

「うっせーな。付いて来ただけマシだと思えよ」

「こういうのホント嫌なのに、ギリギリだからもう着替える時間ないよ」


「このまま行きゃいいじゃん。別に裸で行くわけでもないんだし」

「ねえ、また徹夜で麻雀やってたんでしょ?だからこんなにギリギリなんだよね?」

「先輩たちとだからさ。こっちにも付き合いってもんがあんだよ」


そう言って車を走らせたものの、昴は会場に着いて早々に後悔した。周囲はその殆どが正装で真っ黒に埋め尽くされており、まるで鴉の群れのようであった。隣にいる瑞希も、もちろんスーツ着用だ。


「なんだよスーツばっかじゃん。なんでもっと強く言ってくれなかったんだよ」

「私が悪いわけ?4月から3回も念を推したじゃん」

「お前の言い方が悪いんだよ。俺が聞いてる時に言わないから」


「昴くんが分かったフリするからでしょ!!ほかのこと考えながら返事しないでよ」

「――」

「もういいよ。どうせ興味ないんだよね、こういうの」


確かにその通りだと思って悪い癖なのだがつい無言になってしまった。普段ならこのことに文句を言う瑞希も、もういい加減うんざりした様子だった。一方昴は、予想通りになるのがなんだか癪に障るので、コンサートが終わるまで意地でも寝ないことにした。


トランペットやホルン、チェロやヴィオラの奏でる音は確かに綺麗ではあるのだが、教養のない自分には縁遠い世界のように思えた。コンサートが終わって車に乗り帰路に就いたはいいのだが、瑞希の機嫌が治っているはずもない。その様子に昴は徐々にイライラし始めていた。


「思い出ってのは財産なんだよ。今日も一緒に居られたって、それだけじゃダメ?」

「そんなこと言ったって限度があるじゃん。こういうのホント良くないと思うよ」

「じゃあもういいよ!!どうせ俺が悪いんだろ」

「なんで開き直るの?そっちがちゃんとしてなかったのに被害者ぶるの止めてよ!」


「――」

「私のこと嫌いなの?」

「そんなことないよ」


「私たち価値観あわないよね」

「そんなことないって」

「私たち、喧嘩ばっかだよね、付き合ってても意味ないよね」


「――」

「ねえ、ねえったら!!」

「悪かったと思う。今度から直すよ」


この言葉が『本心からのものだったら』どれだけよかったか、昴は後になって何度かそう思ったのであった。その後先ほど怒りを露わにして少しガス抜きできたからか、瑞希の機嫌は多少マシになったようであった。帰りの車の中でこれからの話をする。


「どっか寄って、食べて帰ろうぜ」

「いいね、そうしよう」そうだね。

「ギョウザの楽勝は?」


「う~ん、こってり系はちょっと~」

「パス太郎は?」

「う~ん、イタリアンの気分でもないな~」

「スシ放題は?」


「う~ん、回転ずしはカロリー高めだし~」

「なんだよ、結局どうしたいんだよ」

「女の子は優柔不断なものなの!!」


「じゃあもういいよ。家で食べることにしよう」

「そうだね、早くしないと間に合わなくなるもんね。ワールドカップ」

「そう!なんてったって決勝だし。あ、そうそう。今日、友助と美奈も来るから」

「えっ!?なにソレ?そういうことは先に言っといてよ!」


「いいじゃん別に、適当になんか作ってよ」

「適当にって、作るのは私なんですけど!そんなのいい加減すぎるよ」

「まあまあ。もう呼んじゃったんだし、頼むよ~」


それから沼津駅のロータリーで30分ほど待っていると、先に来たのは友助の方であった。


「お久ぶりっす、昴さん」

「おお、久しぶり!ちょっと待ってな、もう一人来るからさ」

「そうなんですか?分かりました」


「あ、来た来た!お~い、こっちこっち」

「あ、昴くん。瑞希ちゃんも~こんばんは!」

「こんばんは」


瑞希は明るく振る舞ってはいたが、よく知っている人から見れば、明らかに作り笑顔であった。それから30分ほどで瑞希の家に到着し昴と瑞希は台所で話をしている。テレビの前に陣取った友助と美奈はさっそく電源をオンにしてテレビを見始めた。


02年のWCは例年に比べて少し特殊で、日韓共同開催となっていた。二つのゾーンで大会を行い、決勝は日本ゾーンのブラジルと韓国ゾーンのドイツの一騎打ちとなった。横浜国際総合競技場で行われたその試合は、例回に准ずる白熱したものとなる。


「前に優勝したのってどこだっけ?忘れちゃった」

「フランスですね」美奈の言葉にすかさず友助が反応する。

「ああ、ジダンの!!」

「そうです。僕なんかジダンを見てルーレットやり始めたんですよ。憧れなんです」


近年のW杯は8年ごとに大別でき、82年のイタリアを起点とし、90年にドイツ、98年にフランスがそれぞれ優勝している。これは843年、ヴェルダン条約によってフランク王国が分裂した際に、長男ロータル、三男ルードヴィヒ、妾の子シャルルで、国を分割したことを知っておくと更に思い出しやすくなる。


そして、イタリア優勝年前後の大会である78年と86年にアルゼンチン、フランス優勝年前後の大会である94年と02年にブラジルが優勝していることが分かると、

おおよその優勝国は諳んじることができるだろう。


ただ、確実なのは実際に見ることであり、決勝だけはリアルタイムで見ておきたいところだとは思う。瑞希との話を終えた昴がテレビの前に座り込む。


「おっ来た来た!ブラジル!!」

「テンション高いっすね、昴さん」

「そりゃそうだよ、なんたって決勝だぜ!!」


当時のブラジル代表は優秀な『クラッキ(名手)』が揃っており、5人のナンバー10と言われ、史上最強と謳われたセレソン70を凌ぐと言われるレベルであった。


フォワードのロナウド、ミッドフィルダーのリバウド、ウイングバックのロベルト・カルロス、ディフェンスのエジミウソン、ゴールキーパーのマルコスなど、錚々たる顔ぶれは豪華としか言いようがなかった。


だが、そんな中でも最高の輝きを放っていたのは、やはりロナウジーニョだろう。サンバのリズムと華麗なテクニックでファンを魅了する様は、今も人々の記憶に鮮明に焼き付いている。


「やっぱブラジルだよなーカッコイイよなー」

「この黄色のユニフォームって、膨張色だからなんか圧迫感ありますよね」

「そうそう。見るからに強そうなんだよな、カナリア軍団」

「昔から上手い人ばっかですもんね、ブラジル」


20世紀最高のフットボーラーと言われたペレ率いるブラジルは、58年、62年、70年に三度の優勝を果たして初代ワールドカップである『ジュールリメ・カップ』を持ち帰った。


ジュールリメとはFIFA3代目会長の名であり、13年後の83年に警備員を配置していないような杜撰な管理下にあったため盗難に遭い、金塊に変えられてしまったという悲しい逸話もある。



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