第10話 昴&瑞希

2002年6月17日。この日は瑞希の家の前で待ち合わせて、静岡市清水区にある静岡近代美術館に行くことになっていた。家の前に到着すると瑞希が「会いたかった~」と駆け寄ってきた。


フンワリした淡いパステルカラーのワンピースは、普段から瑞希を見慣れているとはいえ、かわいらしいと思えるのであった。車を飛ばし、パーキングに停めて美術館まで移動する。入場料を払って館内入り口の絵を見た所で、昴が何かを思いついたように提案した。


「そうだ!最後に一番気に入った作品を発表し合おうよ」

「それいいね、面白そう!お互いの趣向が分かるし――」

 不意に思いついたような発言だが、事前に友達からこのアイデアは教えてもらっていて折り込み済みであった。ゆっくりと館内を見て回り、落ち着いた所で話し始める。


「一周しちゃったね。どうだった?昴くん的にはどれが一番よかったと思う?」

「俺は荻須 高徳のグラン・カナルかな。なんかこのぼんやりとした感じが好きかも。水面の淡い色彩の光がずっと見てられるような良さがあるね。瑞希はどうだった?」


 荻須 高徳は『リトグラフ』と呼ばれる手法を得意としており、これは、平らな版に水と油を垂らしてその反発作用で絵を描く手法で、画家のタッチをそのまま反映させることができ複製も可能なものであった。


「う~ん、私は小磯 良平の踊り子がよかったかな。構成が知的で人物と背景の境界が明確なのと、清楚な色調なのに力強さがあるから。女の子なら、一度はこんな風に絵に描いてほしいかなって」


 小磯 良平はフランスで新進美術家の展覧会であるサロン・ドーヌに出品し卓抜したデッサンを根底に油絵技術の伝統を追求し、『文化勲章を受章した』人物である。昴はこういう時にお互いの趣向にケチを付けてはいけないということは分かっていたので、普段なら「何がいいの?」と言ってしまう所、グッと堪えて褒めることにした。


「そっかー、なんていうか上品な感じするよね」

「そうそう。親しみやすいんだけど、気品があるんだよね!」

 瑞希が嬉しそうにしていたのでなんだか昴も楽しい気持ちになった。美術館など一人では来ないようなところだが、こういうことなら偶には来てみてもいいなと感じた。 


だが、無料で読める美術雑誌を手に取って語らっても、すぐに時間が経ってしまう。

“思ったよりも早く終わっちゃったな。近くのカフェを調べといてよかった”

 美術館デートは早ければ30分ほどで終わってしまうこともあり、その後のプランを練っておくことが必須であると考えられる。


その後近くにあったカフェでリラックスし、二人の今後についての話をした。真剣な話題とあり、多少ツンケンしながらも話は進んでいた。すると会話に割って入るように、昴の携帯にメールが来て着メロが流れた。


昴は、それを横目で確認するが、わざわざ携帯を開いて確認しようとまではしない。別に不自然という程ではなかったのだが、それを見て瑞希は思うところがあったようだ。


「ねえ、携帯見せてよ」

「嫌だよ」

「なんで?やましいことないんでしょ?私のこと好きなんでしょ?」


「そうだけど、いろいろ見せたくないものとかあってさ」

「何?見せたくないものって?」

「うるさいな、何だっていいだろ」


「良くないよ、また浮気してるんじゃないの?」

「そんなことないよ。俺が好きなのは瑞希だけだって」

「じゃあ証拠は?」


「だから、俺が好きなのは瑞希だけだなんだって」

「携帯見せてよ」

「――。そんなこと言うんだったらもう別れる」


「――ごめん」

「瑞希は心配しすぎなんだよ。彼女なんだからもっと信用しろよな」

「――分かった」


会えば喧嘩かセックスか。そんな付き合いに、お互い嫌気が差していた。

 重たい雰囲気から明るい話題に変えようと、努めて元気に瑞希が話し始める。


「そう言えば、同棲するんだったら犬飼おうよ!私、ミニチュアダックスがいい♡」

「え~俺は柴犬がいいな~」

「それじゃ、近くのペットショップ見に行かない?せっかく清水まで来たんだし」

「それもそうだな。実際に見てみないと分かないもんだし」

「やったー。行こう行こう!!」


それから商店街の中にあるペットショップで候補の犬を見て回ることになった。元来動物好きの昴は、好きなものを目の前にしてテンションが上がっているようだ。

「あ~イヌイヌ、柴犬!!」

「チワワ!チワワ~!!」

「ダックス~」


昴の仔犬を見て喜ぶ『姿』を見て、瑞希は思わずキュンとしてしまった。

「もう~、子供じゃん」

「だってさー、かわいいんだもん」

「あっ、見て見て!ビーグル!!」


テンションが上がった昴を見て、店員が声を掛けてきた。

「よかったら遊んでみます?遊んでみないと分からないことってありますし」

「いいんですか?お願いします!!」

ゲージから出されたビーグルは嬉しそうにシッポを振っていた。


「ああ~可愛い!」

「だろ!やっぱいいよなー小型犬はー」

それを聞いて、店員がすかさず畳み掛ける。


「男の子なんですけど、すっごい甘えん坊なんですよ」

「そうなんですね!いいなあ、かわいいなあ」

「もう~気が早いんだから~」

「この子がいいなー。なあ、飼っちゃおうよ」


「え~。いろいろ考えないといけないし、すぐには決められないな~」

「適当でいいんじゃない?飼っちゃえばなんとかなるって」

「そんなこと言うけど、トリミングだってシャンプーだって予防接種するのだって大変なんだよ。その子の一生面倒見るんだし、飼うのには責任が伴うものなんだよ」


「心配性だなー、もうちょっと気楽に生きようぜ」

「とにかく今日はまだダメ。同棲し始めて、よく考えてから決めよう」

「いいじゃん。飼うなら早い方がいいよ」

「自分たちのことも出来てないのに、犬の面倒なんか見られないよ!!」


「う~ん、それもそうだよね。分かった、また今度にしよう――」

昴は納得いかない様子だったが、瑞希の『自分たちのことも出来てないのに』という言葉には一定の理解を示すだけの根拠があった。



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