第5話 芭蕉の憂愁
芭蕉は郷里伊賀から江戸にもどった翌年の元禄2年3月27日、奥州へと旅立った。いわゆる「おくのほそ道」吟行の旅である。
曽良は何食わぬ顔で芭蕉のあとにつき従った。
となれば、師の芭蕉も動じるわけにはいかない。
折しも芭蕉が憧れる西行500回忌を迎える年の旅立ちなのだ。
藤堂良長から聞いたことなど世俗の塵と打ち払い、松島の月を愛でるに如かずと腹を固めた。
江戸深川の草庵を出た芭蕉は、舟で隅田川を北上し、まずは千住をめざした。
船上で曽良が語りかけてきた。
「お師匠さま、ともあれ、此度の奥州吟行よろしゅうございました。この曽良も精一杯、お供をつとめさせていただきまする」
芭蕉が鷹揚にうなずき、一句詠んだ。
「行春や鳥啼き魚の目は泪」
このとき、芭蕉の胸中に、
「あの大火さえなければ、もっと早く旅立てたものを」
という思いがよぎった。
あの大火とは、今から5年前の天和六年に起きた、いわゆる「お七火事」である。その際、芭蕉の深川の庵も類焼したのだが、弟子の杉山
杉風は、幕府御用の魚問屋を営み、『野ざらし紀行』の旅を支援してくれた門人の菅沼曲水とともに、芭蕉を長らく支えてくれていた門人の一人であった。また、深川の芭蕉庵が焼けたときは、その再建に尽力してくれたが、さすがに大金を必要とする奥州吟行の旅にまでは手が回らなかったのである。
行く春を惜しむように旅立つ中、別れの悲しさに鳥は啼き、魚も水の中で泪を流している。
旅立ちの前日、杉風は芭蕉庵に立ち寄り、「これは些少ながら」と餞別を渡してくれた。
その杉風の胸中を忍べば、芭蕉は慟哭の思いを禁じ得なかった。まして、これが死出の旅路になるかもしれないのだ。よしんば、そうでなくても最後の旅になるであろう。芭蕉は念願の旅立ちを実現した喜びの半面、心の中には重い鉛のような塊があることに自分自身、気づいていた。
この旅をわが俳諧人生の総決算にして集大成にせねばならぬ。
芭蕉は悲痛な覚悟とともに、沈鬱な眼差しで北の空を見遣った。
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