第4話 芭蕉の気鬱

「いかがであろう。その曽良を伴って俳諧の旅に出てみては……」

「………!?」

 藤堂良長からのあまりの突然の提案に、芭蕉は言葉を失った。

「そなた、日頃から松島の月を見たいと申しておるとか」

「それは、誰から……」

「誰から聞いたかと申すか。ふふっ、言わずとも分かるであろう」


 曽良は深川の芭蕉庵近くに住み、何くれとなく芭蕉の世話を焼いてくれていた。そうした意味では、いちばん気のおけない弟子であり、親しい話し相手ともいえよう。


 ――その曽良が藤堂藩の良長と通じていたとは!

 まさかであった。眉ひとつ動かさず平静を装ってはいたものの、芭蕉は内心動揺していた。


 芭蕉はあえて静かな声音で返答した。

「吉野の桜、須磨の月もよろしゅうございますが、松島の月も心ゆくまで眺めてみたいものでござりまする」

「左様か。では、来春あたり、曽良とともに奥州に参れ。よいな」

 ――しかし、何故に曽良なのか。

 聞けば、幕閣は将軍綱吉の命のもと、諸藩の大名を監視する巡見使なる制度を復活させ、その任に当たる一人として、河合惣五郎こと曽良の登用を考えているという。


 この当時、仙台伊達藩は、幕府から日光東照宮の修繕を命じられ、莫大な出費を強いられていた。その不満があってか、藩内で不穏な動きがあるという、まことしやかな噂が流れていた。

 おそらく伊達藩を貶めるために捏造された悪意のある流言であろうが、幕府としては放置できないのであろう。とりあえず曽良を奥州に派遣し、その巡見能力を試してみることにしたのだ――と察せられた。


 良長が脇に控える家臣に目を遣り、脇息きょうそくを指で叩く。 

「旅費などの金子きんすは心配するでない。今後は、この者が一切の取り次ぎを行う」

 このとき、いかにも無骨そうな武士がはじめて口を開いた。

「大井源次郎にござる。以後、お見知り置きくだされ」


 良長が芭蕉に念を押す。

「ここだけの話じゃが、綱吉公の側用人そばようにん、柳沢吉保よしやすさまからの内命である。このこと、断じて漏らすでない」

「はっ」

「そなたは、曽良とともに奥州へ旅するだけでよい。すべての手配は同行の曽良がする。ゆるゆると吟行の旅をするがよい」


 念願の奥州へ旅立てるのはよいが、まさか密偵の片棒をかつぐことになるとは――

芭蕉は何事につけても几帳面かつ丁寧で、のなさそうな曽良の顔を思い浮かべ、「脱俗の境地に至るのは難しいものよ」と、心の中でつぶやき、ひそかに溜息をついた。

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