第2話 芭蕉の憂悶

 故郷の伊賀上野をめざしたものの、途中にはさまざまの寺社仏閣がある。芭蕉は熱田神宮、伊勢神宮などに参詣して随所で道草をくいながら、物憂い気分で旅をした。

 旧主藤堂良忠の継嗣である良長とは、延宝7年に催行された良忠の13回忌法要以来、会っていない。その良長からの思いもかけぬ帰郷催促の手紙であった。

 何か不自然である。釈然としない。


 確かに今年は、父松尾与左衛門の33回忌にあたる年ではあった。しかし、その父親は苗字、帯刀こそ許されていたものの、無給で山回り役をつとめる無足人であった。まだ二十歳そこそこの良長が、そのような取るに足らぬ郷士ごうし風情の忌日を気にかけていようか。

 断じてあり得ない。何か裏がある。


 疑心と屈託を抱えた芭蕉の足は遅々として進まなかったが、それでも半月後には伊賀上野につき、藤堂屋敷の書院の間で良長と対面していた。

「松尾忠右衛門、久方ぶりであるな。そのほうの噂、伊賀でも聞こえておる。江戸では高名な俳諧師として弟子も多いとか。大したものじゃ」

 良長は茶を喫しながら、ひとしきり芭蕉をもちあげた。だが、そこから話はなかなか前に進まない。

 おかしい。何か不審な気配がする。


 芭蕉もやむなく当たり障りのない話でお茶をにごした。

 先代良忠とともに俳諧を学んだ際の思い出話、良忠の俳号である蝉吟せんぎんの由来、俳諧師匠であった北村節季吟の逸話、等々である。

 しかしながら、十数年ぶりの良長との対面が、まさかこんな四方山話で終わるはずもない。芭蕉は良長の目を見た。

 この若殿の目的とするところは何なのか。本当は何を話したいのか。


 ややあって、良長が咳払いした。

 なぜか太刀をたばさんだ屈強な武士が襖を開けて現れ、良長の脇にひかえた。

 武士が芭蕉に儀礼的に一揖し、こちらを無言で睨む。

 まさか江戸からわざわざ呼んでおいて危害を加えるはずもない。しかも、こちらはたかが俳諧師なのだ。あやめても一文の得にもならぬし、殺められる理由も思い当たらない。

 さりながら、この剣呑な空気は何なのか。

 芭蕉は改めて良長の目を見た。

 

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