第46話 決戦開始!

『カンッ』

 試合開始。すぐさま歩み寄る二人の一瞬の攻防。速攻で放った明の『スマッシュ』がロビンソンの左頬に突き刺さる。必殺のスマッシュに王者轟沈。

 開戦直後の『パニックダウン』は心身共に多大なダメージを与える。この試合だけでなく2試合通じて初のダウン。この意味は大きい。完全に気を失っているロビンソン。

“立つな、立たないでくれ”一瞬で決まる筈などない。だが、そう願わずにはいられない程の強敵を目の前にしているのである。


 5、6、7。ゆっくりと身体を起こしたロビンソンだが、身体が少し震えているようだ。いくら超人的な人間であるとはいえ、この事態に動揺していない筈はない。チャンスだ。畳みかけるなら今しかない。ロビンソンがファイティングポーズをとり、グローブを拭いたのを確認するやいなや、凄まじい勢いで倒しにかかる。

 山場など必要ない。『倒せる時に倒す』それもボクシングの鉄則の一つである。凌ぐしかないロビンソン、矢継ぎ早に拳を浴びせる明。まるで大人と子供のような一方的な展開に会場は大きく沸き立っていた。


「行けるぞ、明」

 普段大声を張り上げることのない五十嵐が大声を出す。“目が死んでないな”明は静かにそう思った。侮れる訳がない。この男、現段階での正真正銘の世界チャンプ。そして、最後まで何があるか分からないのがボクシングでもある。防戦一方のロビンソンに対し、明は見るからに勢いづいていた。そしてゴングが鳴り、第1ラウンドが終了した。


 このラウンドで明が浴びせた拳は100と8つ。ロビンソンはカウンターを放った4発のみ。目に見えて優位に立ったことで、張り詰めた心に僅かばかりの余裕が生まれていた。



そして、迫真の第2ラウンド。火花散る打ち合い。大地を揺るがすようなどよめき。

 打ち合いを挑んだ明は、ロビンソンに押され始めてしまう。体格差は試合の勝敗にも影響を及ぼす。一年経ち、更に大きくなった、身長174cmのロビンソンと168cmの明では計量後のエネルギーの蓄積量が全く違う。


 更に、一度負けている相手にはどうしても苦手意識がつきまとうもの。それを払拭するのは容易ではない。先程のラウンドとはうってかわって息を吹き返したロビンソンはここぞとばかりに猛威を振るう。


 豪打の滅多打ち。これで互いにエンジンがかかった。嵐のような打ち合いを経て、手の内を伺うようなことはもう必要ない。裸一貫、リングの上では隠し事などできようものか。常に全力を投じ、己の限界を超え、ただ相手を薙ぎ倒すのみ。経験の差こそあるものの、変幻自在のロビンソンの攻撃にも、今の明はしっかりと対応出来ていた。


 しかし、重たく体重の乗った拳が、明の意識を刈り取ろうとして来る。ボクシングは常に『オール・オア・ナッシング』。勝てば官軍、負ければ賊軍と言ったところか。脚光を浴び、英雄となれるのは、どこの世界もトップの者と決まっている。


 その栄光を手にしたいがために多くの代償を払い、死に物狂いで練習に明け暮れるのである。チャンスはそう何度もあるものではない。だからこそ、その希少な機会を、人生を変える転機を、逃すわけにはいかないのだ。高らかにゴングが鳴り第2ラウンドは終了した。ガードした部分が痺れて麻痺したような感覚になる。

「守勢にまわってはいけない。パンチをもらい続けると相手のリズムを作り、調子づけることになる。先手必勝、主導権を握るんだ」


 五十嵐のアドバイスで明ははっとして正気を取り戻す。いつもは勝気な明も、ロビンソンを前にしてはどうしても気後れしてしまう。そして、再戦というのは互いに手の内が分かっているからやり難いものなのである。特に負けた相手というのはどうしても『恐怖する対象』として認識しやすい。だが、生物としての本能を理性で抑えることができてこそ、『人間である』と言える。



そして、激情の第3ラウンドを終えての、激動の第4ラウンド。

「ロビンソンは左のフェイントから右のフックを絡めてガゼルパンチを打って来ることが多い。経験の中で身に付けた『お得意の』コンビネーションなんだろう。このパターンに入ったら即座に左にシフトし、カウンターで『スマッシュ』を打ち込んでやれ。心臓が止まれば3秒間、そこはお前の世界だ」五十嵐にそう耳打ちされ、明は静かに頷いた。


 ラウンド開始直後、ロビンソンがフックからフェイントを交えての『ガゼルパンチ』を打って来た。『お得意の』パターンを抑えステッピングで左後ろに下がり、カウンターで渾身の『スマッシュ』を打ち込む。手応えが薄い。ロビンソンは右手を心臓との間に挟み、辛うじて身体を右へ傾けることでヒットポイントをずらし、心臓への直撃を避けていた。


彼の類まれなる反射神経と本能が自身の危機を察知した結果であろう。ダウン後、ピクリとも動かないロビンソン。相手のセコンドであるリチャードが英語で何か捲しててている。


「立て、ロビンソン。オクラホマで差別を受けていた時の、ニューヨークでいじめを受けていた時の、デトロイトでリンドンに勝利した時の、苦しかった時代を忘れたのか?立ってここへ戻って来い。お前はチャンピオンで居続けるべき男だ」


 その言葉を受け、ロビンソンはゆっくりと起き上がり、大きく咆哮してみせた。自身を奮い立たせるため、明への威嚇のため、どちらの意味合いもあることであろう。鋭い針のような眼光で、今にも明を射殺さんとばかりに睨み付けている。


 そして、豪腕を唸らせて風を切り、明の首を落とさんばかりに責め立ててくる。明はそのあまりの気迫に思わず気圧されてしまう。劣勢のままこのラウンドは終わりを告げた。


「地獄を見た者とそうでない者とでは根本的に見ている世界が違う。お前はどん底から這い上がり、この場所に帰って来た。試練に耐え乗り越えた者が、負ける筈なんてないのさ」五十嵐はここが勝負所とばかりに語調を強めて話している。


「ああ、任せといてくれ。なんだか今日は負ける気がしねえんだ。ハイになって感覚がバカになってるだけかもしんねえが、『あの』ロビンソンがグリーンボーイか子供のように見えちまってるんだ」

虚勢を張っている訳ではない。それは誰の目にも明らかだった。

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