第41話 手術の行方

そして二時間後、五十嵐と秋奈と母に見送られ、明は手術室へと旅立って行った。

「明くんとはこれが初対面でしたよね。今回、執刀医を務めさせて頂く堺(さかい) 天(たかし)です。よろしく」


これまで再三、会いたいと言われていたのを断っていた手前、多少の気まずさはあったものの、それでも手術を引き受けてくれたこの男は信頼の置けそうな人物だと判断した。


「あんなに邪険に扱って来たのに、俺のことを見捨てなかった。あんたになら任せても大丈夫だと思ってる。よろしくお願いします」


堺医師は穏やかな笑みを見せ、ゆっくりと頷いて見せた。手術開始。堺医師は先程とは打って変わって鷹のように鋭い眼光で明を見据え、大きめの注射針で麻酔をかける。


「うぐっ」堪えようとしたが、明は思わず声を出してしまう。

「痛いですよね。もう少しの辛抱ですので、我慢して下さい」


これより医学が進歩すると『テノン嚢下麻酔』と呼ばれる結膜の表面の薄皮に注射する麻酔や『点眼麻酔』と呼ばれる目薬を使った高度な麻酔術が確立されているが、ここで使われている注射を用いた『局部麻酔』は麻酔自体がとても痛いものである。

いくらボクサーとはいえ、眼球への痛みには慣れていない。


「そろそろ効いて来た頃ですね。それでは『切開』に移ります」

ここでは『反転法』と呼ばれる一般的な折り畳んで行う手法ではなく『引裂法』という水晶体を包んでいる水晶体(すいしょうたい)嚢(のう)を円を描くようにして切開する方法を用いている。この手法は習得は難しいが、慣れると非常にやり易く、難症例でも成功率が高いとされている。


 2010年代には『2mm』で済む眼球切開も、1980年代の白内障手術においては『約10mm』も必要であった。それは、眼球内の水晶体を砕かず、そのままの状態で摘出することが一般的であったため、それほどの幅を要するしかなかったからである。


「それでは、『核処理』に移ります」

堺医師は慎重に、明の両眼から『水晶体』を取り出して行く。

後にはカナダのハワード・ギンベル医師考案の『ディバイド・アンド・コンカー法』というシャープペンシルの芯を伸ばした時のような形状の『フェイコチップ』と呼ばれる器具と手術用の『フック』を用いて水晶体に溝を掘ってから分割するという優れた手法が開発され、これは時間が掛かるがリスクが低く、安全な手法であると考えられている。


また、溝を掘らずに水晶体を割って吸引する施術として、永原 國宏医師考案の『フェイコチョップ法』と呼ばれるフックを用いる手法、赤星 隆幸医師考案の『フェイコ・プレチョップ法』と呼ばれる先端がナイフ状の特殊なピンセットを用いる手法がある。いずれも水晶体嚢の破損のリスクを伴うものであるため、高度な『腕』が必要とされている。


「佳境ですね。『眼内レンズを挿入』します」

 挿入開始。堺医師はピンセットで慎重に『眼内レンズ』を水晶体嚢の中に入れている。


白内障の画期的発明『眼内レンズ』が開発されたのは、第二次大戦中のことである。戦闘機の空中戦でコクピットが割れ、破片が目に入る負傷兵がたくさんいた。普通、目に異物が入れば炎症や拒絶反応が起こるが、それらの負傷兵の目はそのような症状を起こすことはなかった。破片の素材は『PMMA( ポリメチル・メタクリレート )』というハードコンタクトレンズと同じ樹脂素材で作られており、それを知ったイギリスの眼科医ハロルド・リドレー医師は手術で取り除いた水晶体の代わりに『PMMAの人口レンズ』を入れて白内障を治療することを思いついた。これが『眼内レンズ』の誕生である。


2010年代では直径6mmの『アクリル製』のレンズをインジェクターと呼ばれる専用の器具で丸めて目の中に挿入するのだが、当時は『シリコン製』が主流であった。世界で初めて『眼内レンズ』が移植されたのは1949年のことであり、明のレンズは、その頃にしてみれば多少の進歩はみられるものの、1990年代から用いられている『アクリル製』に比べれば多少見劣りする感は否めなかった。


「『眼内レンズ』を眼球に固定するため『縫合』しますね。これで最後です」

そう言って堺医師は縫合に移り、オペチームに緊張が走る。この処置を誤れば、見え方に狂いが生じるという可能性が多分にある。だが、そこは歓応(かんのう)私塾(しじゅく)大学医学部局長、堺医師。10mmの間に10針縫う驚異的な精度で、明の眼球を強烈に固定する。


極度の緊張の中で無事に手術は終わり、残すところは抜糸だけとなった。術後はなるべく動かさないようにしなければならない。『眼内レンズ』は水晶体嚢の中に入っているが、術後の傷が治る過程でそれが収縮すると、時間と共に多少中央からズレたり、傾いたりすることがあり、乱視の原因となってしまうからだ。

 手術中のランプが消え、約30分の手術を終えた堺医師が、手術の『成功』を伝えると、秋奈と母は涙を流しながら、手を取り合って喜びを分かち合った。ストレッチャーに乗せられた明は、そのまま病室へと運ばれ、安静にしておくようにとだけ言われた。



一週間はあっという間であった。抜糸を終え、退院の日には五十嵐、秋奈、母が出迎えてくれた。

「退院、本当におめでとう。なんか、また泣きそう」

 泣きベソをかいている秋奈の頭を撫でた後、明は力強く話し始めた。

「二ヶ月もブランクが空いちまったからな。これを取り戻すのは簡単なことじゃねえって分かってる。けど、苦じゃねえよ。大好きなボクシングだからな」


五十嵐はそれを聞いて嬉しく思い、明の気分を少しでも乗せようと考えた。

「お前には生物最大の武器『若さ』がある。ブランクを取り戻すなんて造作もないさ」


「そうだよな。これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

 意に反して難しい言葉を使ったので、五十嵐は可笑しく感じてしまった。

「はっはっはっ。言うようになったじゃないか。退院祝いに、出前で寿司でも取るか」

「いいのかよ、そんな大盤振る舞いしちまって」


「うちのジムから二人目の世界チャンピオンが出るんだ。その前祝ってことさ」

まだ自分の挑戦は終わっていない。そのことを強く感じ、明は感極まった様子だ。

「――ありがとよ。五十嵐さん」

五十嵐はこれまで何度も見せたように不敵に笑って答えた。


「その代わりチャンピオンになってからはしっかり稼いでもらうぞ。1回や2回でなく何回も防衛し続けてくれないと困る。歴史に名を残すような偉大な男にならないとな」

それを聞いて秋奈は思い出したように声を上げた。


「ジムに行ってお寿司食べるんだよね?それなら慎也くんも呼んであげようよ」

「そうだな。あいつには世話になってるし、一緒に祝ってもらうとするか」


「そうと決まれば急いで行こう」秋奈は先程よりも、もっと明るい声で話を進めた。

 病院の公衆電話で慎也を呼び。ジムに着いてからは久しぶりに楽しい時が訪れた。この時がずっと続くといいな。その場に居た誰もがそう思った。


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