第12話 デート
「ローラースケート行こうよ」
秋奈にそう言われ、明はあまり気乗りしなかったものの、行ってみることにした。1984年3月10日。明と秋奈は、東京都文京区後楽にある東京ドームシティに来ていた。水曜日だというのに館内はスケート目当ての客でごった返している。明は休みを貰い、秋奈は春休みで学校がない。
「なんか『ハイカラ』なモン見つけて来たな」
『ハイカラ』とは西洋の様式や流行に追随することを言い、語源は明治時代の男子洋装の流行であった、ワイシャツの丈の高い襟、『ハイ・カラー』から来ている。
「ふふ~ん。いいでしょ~」
センスが良いと言われたような気がして、秋奈は上機嫌であった。
「アベックばっかじゃねぇか」
「アベックなんて言い方、今じゃもう古いよ。今どきの若者は『カップル』って言うんだから」秋奈は得意げにそう話す。どうやら彼女は流行には敏感な質らしい。
「どっちでもいいけどよ、俺にはなんかこう居心地が悪いように感じる場所だな」
「照れてるんでしょ。女の子と二人でいるから」
「別に照れてなんかいねぇよ。それより赤城はローラースケートすんの何回目なんだ?俺は正直やったことねぇから、滑り方を習いたいとこなんだが」
「そっかぁ。実は私も初めてなんだよね。お兄ちゃんに滑り方のコツを聞いたんだけど、上手く教えられるかどうか――っていうか、何回か言ったと思うけど、もう半年も一緒にいるんだし秋奈でいいよ。今日は明くんと仲良くなろうと思って来た訳だし」
「付き合ってもいねえのに名前で呼ばねえよ。俺はチャラついたのは嫌いなんだ」
明はわりと硬派なようだ。
「ふ~ん。まぁいいや。とりあえずシューズ借りに行こうよ」
秋奈は些か残念そうではあったが、そこまで気にしてはいないようだ。二人は受付に行き、それぞれ700円払って靴をレンタルした。明は何か考え事をしているようだ。
「何かしゃべってよ」秋奈はなんだか不満そうだ。
「う~ん、そうだな。赤城は兄弟いたんだな。一人っ子かと思ってたよ」
「それ偶(たま)に言われるんだよね。なんでなのかな?」
「気が強いからじゃねえか。言いたいことをズバッと言う気がするな」
人のことは言えないのだが、明はサラっとそう言った。
「そうなのかなぁ。なんでも歯に衣着せないとは言われるけど」
「ハニキヌ?なんだそりゃ?」
「なんでも『オブラート』に包まず言うってこと」
秋奈は分かり易く言ったつもりであったが、明にこの単語が伝わる筈もない。
『オブラート』とはオランダ語であり、デンプンから作られる水に溶け易い薄い膜のことを言う。この表現の場合は比喩であり、言葉をぼかしてマイルドにする効果の意で使われている。
「なんだよ、オブラートって。案外難しいこと知ってんだな。そう言えば赤城って高校どこだっけ?」
「浅草女子だよ~」秋奈は気軽な感じで答えた。
「浅草女子?浅草西高じゃなくてか。すげえな、お嬢様じゃん。俺なんか東浅草高校中退だぜ」
浅草女子高校は都内でも有名なお嬢様学校で、文武両道を掲げる進学校として知られている。浅草西高校と東浅草高校は地元では1、2位を争うほど荒れた学校で、素行の悪い生徒が多く、近隣住民を悩ませている。因みに、東日本新人王トーナメント初戦で対戦した坂東 寵児は、浅草西高校出身である。
「そんないいもんじゃないよ。親も先生も大学に行けって煩くて。私には私の考えがあるんだけど」
「それはなんかもったいねぇ話だと思うけどな」
「だって大学に行くにはお金が掛かるし、私がやりたいのはボクシングに携わることだから――」
秋奈は『言い難い事を言った』という風であった。
「まあ進路ってのは人が口出しするもんじゃねえから、これ以上は言わねえけどよ。っていうか靴紐、全然結べてねぇじゃん」
明は先程から気になっていたことを漸く言うタイミングができたので、好機を逃さぬよう口にした。
「うん、なんかこういうのって難しくって。手伝ってよ」
「しょうがねぇなあ。簡単だろこんなの」
「凄いじゃん。ガサツなイメージだったけど、意外と器用なんだね」
「どういう意味だよ。俺は毎日グローブ嵌めてんだから、こんなの朝飯前だぜ」
秋奈の褒めているのか貶しているのか分からないコメントに対し、明は真意が分からず喜んで良いのか疑問に感じた。
「そういえばそうか。実はボクシングでも細かいジャブが打ててると思ってたんだ。リズムとアングルも巧いし」
「そうか~。やっぱ、いつもしっかり見てくれてるんだよな。疑って悪かった。靴も履けたし、滑りに行こう!」
「うん。毎回ちゃんと見てるんだよ~。今日も上手く滑れるか見とくから」
「おお、なんかできそうな気がする」
明は普段からの体躯を活かし、初めてとは思えぬほどの滑りようだ。
「やばい、これどうやんの?」
秋奈は頭では滑り方が理解できているものの、身体が思うように動かせないようだ。
「大丈夫か、転けんなよ」
明は冷やかしているのか、心配しているのか分からないような言い方で言った。
「何これ。全然立てないんだけど」
秋奈はなんとか滑り出そうとして、盛大に転けてしまった。
「なんだよ、どんくせぇな」
明は口ではそう言いながらも、秋奈のことが気に掛かるようだ。
「痛った~い。転けちゃった~」
秋奈はペロっと舌を出してお道化て見せた。
「ほら、掴まれよ」
明はそう言うと、秋奈に向かって手を差し出した。
「うん、ありがと」
秋奈は少し照れながらも明の手を握り、辛うじて立ち上がれたようだ。
「俺、ちょっと滑ってくる」
明は照れ隠しなのか、一人で練習しようとし始めた。
「うん、分かった」
秋奈も明の普段見せない態度に少し困惑したが、提案を受け入ることにした。
しばらくして明は練習していた場所から戻って来た。
「俺は一応滑れるようになったから見てるよ」
「うん。私も練習するね」
だが、秋奈は少し滑るとすぐに戻ってきた。
「どうした?まだちょっとしか滑ってねぇぞ」
「ちょっとジュース飲もうよ~」
「もしかしてヘバっちまったのか?しょうがねぇな。一旦休憩するか」
明がそう言うと秋奈は少し笑って頷いた。
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