第10話 A級の兄

1984年1月14日、三連休の初日に、東京都八王子市にある八王子市民会館で、A級ボクサーとして最初の試合を行った。2010年代ともなれば、1986年より開催されている日本タイトル挑戦権獲得トーナメント、通称『A級トーナメント』に参加するための練習を行っているところであろうが、1984年にはまだ開催されてはいなかった。試合開始10分前、米原が明に喝を入れる。


「確認のために言っておくが、今日の対戦相手は皆藤兄弟の兄、篤(あつし)だ。左フックが得意で、ストレートを打った後にガードが下がる癖があり、そこが狙い目だ。日本ランキングでは7位だが、確実にトップ3を脅かすであろう実力がある選手だ」

 篤は北海道旭川(あさひかわ)市出身、身長165cm、体重116ポンド(約53kg)の21歳。右利きで、明るくて口が立つ選手だ。戦績は7勝1敗2KOとなっている。


「相手との接近戦を得意とし、KOを狙って倒す『インファイター』であり、上体を前後に振って相手のパンチを躱す『ウィービング』の使い手だ」

明はそろそろ記憶しきれなくなって来ていたが、尚(なお)も米原は説明を続けている。ボクシングにはいろいろな技があり、『ウィービング』を使ったものでは、古くは無限大、数字の8を横にしたようなマークの如く身体を動かし、相手を滅多打ちにする『デンプシーロール』という技を使った選手もいた。


また、ボクサーにはタイミングで相手をスパッと斬るように倒す『ソリッドパンチャー』と、重いパンチで相手を薙(な)ぎ倒す『ハードパンチャー』がいて、篤は『ソリッドパンチャー』である。そして、篤は元アマの日本一として、プロテストにおいて特例でB級ボクサーとなったエリートボクサーでもある。 


「あと、くれぐれも『例のジャブ』には気を付けるんだぞ」

 米原にあれこれ言われ、記憶力の乏しい明だが熱中しているボクシングのことならと、聞いた情報を何度も繰り返して頭に刻み込もうとした。

「おうよ。必殺技を試す良い機会にしてやるぜ」


明は自信満々にそう答えるとシャドーボクシングをし始めた。選手紹介を受けた後、審判が出て来てルール説明を行った。

「ルールはJBCオフィシャルルールを採用し、2試合6ラウンド制で行います。1ラウンドに3回ダウンするか、レフェリーが試合続行不可能と判断した場合KO勝ちとします」


黄色のトランクスを履いて出て来た篤は、余裕があるのか笑顔を見せながら明に話し掛けて来た。

「よう、今日はよろしく頼むぜ。今日負けちまうと、弟と負けが同数になっちまうからな。お互いの為にも気楽に行こうぜ」

「悪いが今日は俺の勝ちで決まりだ。俺はどんな相手にも負けないくらい強いからな」


本来ならこの丁寧でない対応に機嫌を損ねる者もあるかもしれないが、明はフランクに話しかけられた方が話し易い性分(しょうぶん)のようだ。

「ちぇっ、釣れねえなぁ。あんまカリカリしてっとモテねえぜ、ダンナ」

「お前は戦いに来たんじゃねえのか?女のことより、今は試合だろ」


明は喧嘩の時とは違った苛立(いらだ)ちを見せていた。

「お喋りはそこまでだ。試合を始めるぞ」

そう言うとレフェリーは両者をコーナーポストに着かせ、ゴングを鳴らした。


『カンっ』

ゴングが鳴り試合が開始されると、相手の出方を伺っている明に対し、篤は攻めの一手に興じるようだ。探るように仕掛けた後、不意に篤の目が鋭くなる。そして鞭のように撓った左腕が、閃光のように鋭く明の頬を掠めた。


『フリッカージャブ』

このジャブは腕をL字に構え、縦に振り子の動きをし、鞭のように相手に打ち付けるジャブである。明はボディに一発、遠心力を掛けた一撃をお見舞いし、牽制の意味を込める。


篤は明に対し、いろいろと角度を変えながら『フリッカージャブ』を打ってくる。明はその動きに惑わされ、強烈な右ストレートを食らってしまった。傷は浅いものの、蹌踉(よろ)けて視点が定まらなくなる。


そして続けざまに右フックが飛んで来る。形勢は不利に見えるが、そこは世界チャンピオンの教え子。そう簡単にひれ伏す訳には行かない。


明は五十嵐から教わった通り、ジャブの引き際を狙って距離を詰め、強烈な右ストレートをお見舞いした。篤はこれに面食らい、ステップを踏むのも忘れて後ずさりした。明が追い打ちの右アッパーを繰り出そうとした2秒前、大きな音を立て、ゴングが打ち鳴らされた。


「上出来だぞ、赤居。とてもこれが初めての8回戦には見えん」

米原の誉め言葉に気を良くしたのか、明は普段より饒舌に語り始める。

「まあざっとこんなもんよ。アマの日本一だろうが、プロの世界とは違うってことを見せつけてやるぜ」そう言うとふんぞり返って椅子に座った。


レストが終わり、第2ラウンド開始。篤は本来はインファイターであるが、この『ヒットマンスタイル』を維持するためにアウトボックス寄りの立ち位置で闘うことを選んだようだ。リング上では、フリッカージャブがジェット機のように飛び交っている。明は距離を離さないように注意し、それに合わせて小刻みにジャブで返して行く。焦る篤。


 篤が踏み込んで来たのを見計らって、一気に間合いを詰め、上腕二頭筋に渾身の力を込めて振り抜く。無慈悲な程に強烈なアッパーが炸裂し、篤は呆気なく気絶してしまった。5、6、7、カウント8。寸でのところで意識を取り戻し、ふらつきながらもファイティングポーズをとる。


 明は少し余裕が出て来たのか、このラウンドでいろいろ試してみようと考えた。篤は足に来たのか、ステップが上手く踏めずたじろいでいる。防戦一方。見ている者が不安になるほどに攻めあぐねている。明は距離を詰めるが、たいして手は出さず、篤を威嚇する。そして篤が苦し紛れに出したストレートが、明の右目の辺りに命中しそうになった。


だが篤は拳を止め、攻撃した明の右フックが直撃してしまった。この態度に、米原は敵ながら天晴(あっぱれ)であると感じた。第2ラウンドが終わり、米原がレストタイムに話し掛けて来た。


「赤居、今のやろうと思えば、KOできたんじゃないか?もう少し攻められただろ」

「まぁそうっちゃそうなんだけどよ。もう少しあいつと闘ってみたくなったんだ。まだ、あいつの底が見えてねえし、次のラウンドも少し試しながらやってみるよ」


米原は「そうか」とだけ言うと明に何か言いたげな様子だったが、それを上手く言葉にできずにいるようだった。一方、皆藤(かいとう)陣営は凄惨な試合内容に側で見ていたセコンドの瀬古はご立腹のようであった。


「何故手を止めた?時には減点も厭わない冷酷さが必要なこともあるんだぞ」

 これに対し篤は烈火の如く反論した。

「ボクシングはスポーツだ。正々堂々クリーンに闘って何が悪い。『サミング』なんて男のやることじゃねえよ」


 『サミング』とは目潰しの意で、親指を意味するサムを語源としており、悪質な場合3点もの減点となる反則技である。そんな汚い真似をするくらいなら、不利な戦況でも甘んじて受け入れるというボクサーも少なくはない。多少険悪な雰囲気で皆藤陣営は次のラウンドを待った。


第3ラウンド開始直後、皆藤陣営にちょっとしたアクシデントがあった。 若いセコンドが椅子をしまい忘れ、減点にはならなかったものの審判が少し試合を止めた。ゴングが鳴ると、明は左右のフックでテンポ良く篤の動きを攪乱しようとする。戸惑い、攻めきれない篤。明は隙を突いて、フックの連撃。


篤は目まぐるしいラッシュに舌を巻き、それを6発ほど食らってしまった。気付いた時にはダウンする形になっており、カウント9までかかったがなんとか起き上がることができた。意識が回復し、多少混濁してはいるが、ここまでされても戦意は失っていない。


“根性あるじゃねえか”喧嘩仕込みの明にとって、闘って勝とうとする相手というのは、何よりも嬉しいものであった。


 “このラウンドで決めるか”明は密かにそう考えていた。篤が右ストレートを放った瞬間、稲妻のように明の左手がその上を交差した。一瞬目を見張る米原。

右頬にその『電撃』を食らった篤は、無残にもその場に崩れ落ちた。


『決まった』


実践で初めて放ったとは思えないほどの息を飲むような鋭さで、明の『クロスカウンター』は炸裂した。瀬古は試合を観戦していた若い選手に頼み、篤を別室で休ませることにした。レフェリーが両手を交差し、3ラウンド15秒で決着が着いた。



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